きょうはきのうよりも最高気温で3.1度高くなりました。13.3度から16.4度です。このくらいの気温、そして晴れた日がいいかな。(勝手なものです。)
きょうも地域猫から見ていただきます。散歩の終わりに目撃しました。
2匹の位置関係はこうです。
何を語るや、君たちは!?
宮城県の教育委員会がようやく新任の校長を対象にした研修会で大川小学校を訪れました。もうすぐ10年になろうというのに、こともあろうに肝心要の宮城県では実施されていなかったのです。県教委の怠慢と言わずして何と言いましょうか。
なんでも県教委は「係争中に訪問型の(研修)実施は考えられなかった」と言っているそうです。「できなかった」「行きたくても行けなかった」「行くわけにはいかなかった」とかいうのならまだしも、「考えられなかった」とはいったいどういことでしょうか!!!それでも人間か!それでも先生か!と叫びたいです。
84人の生徒や教職員が2011年3月11日の大津波で亡くなっているのです。そういう事実が厳然とあるわけです。私は、大川小学校の悲劇は東日本大震災での最大の悲劇と思っています。
そして、現実に小学校の授業は行われて続けているわけです。であるならば、係争中であろうがなかろうが、ここ大川小学校で大勢の子どもたちや教職員が亡くなっているわけで、現場に足を運んで、みんなでなんでこういう悲劇が起きたのか、何とかできなかったのか、どうしようもなかったのか、ひとり一人がその現場で悩み考えることこそが大きな意味を持つのではないでしょうか。
誰の責任とか、どんな不備があったのかということは、それはそれとしてひとり一人の先生が考える、自分のこととして考えることこそが大きい意味を持つわけで、「研修の実施は考えられなかった」ということは、裏を返せば、県や市が勝訴していれば研修をすることはなかった、ということなのか。研修をする必要性はなくなったということなのでしょうか。
『他人事を自分事と捉える想像力が大切だ』
『我が子を失った事実の前には、どんなプロセスも無になる。一つひとつの命に背景があったことを考えなければならない』
『学校は教職員と子どもたちの命を守る場所だと心にとめてほしい』
『裁判の結果を待って、学校防災に手をつけたのでは遅い。工事が始まる前に来てほしかった』
『10年近く経って初めて研修が実施されるなんて恥ずかしい。裁判で県や市が勝っていたらやらなかったのか』
『多くの児童が犠牲になった大川小がある宮城県が先頭になって、全国に発信していくべきだ』
『宮城県の先生で(自発的に)訪れたのは、ほんの一握り。子どもの命を守ることに向き合っていないのではないか』
『旧大川小の話は教育現場でタブー視されてきたように映る』
『「もし自分が当時この現場にいたら」と捉えてほしい』
子どもを亡くした親たちの言葉は手厳しいです。最後に、有識者による死の検証委員会で、委員長を務めた兵庫県立大学室崎教授(防災計画学)の話です。
『宮城県こそが事故と向き合い、先頭に立って子どもの命を守るために取り組んでいくと思っていたのに、9年以上が経ってもほとんどかわっていないように見える』
やはり、広瀬川や分流の様子をアップさせていただきました。