鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

よく冷え、タイヤ交換

2020-11-29 14:24:58 | 思いつくまま

 

 何かを掘っていました。

           

いやあ、今朝がたは良く冷えました。朝5時で3.7度で、7時は3.5度です。その後少し上がり、午後2時過ぎでは最高気温は1時49分の記録11.0度となっています。とにかくよく冷えました。覚悟しないとね。

 

それで、ようやくタイヤ交換と相成った次第です。とはいっても、私の思いとは異なり、我々夫婦の車はタイヤ交換は延期となり、子どもは自分の車のみ好感してTHE ENDでした。

 

なんじゃこれはあ~。甘えすぎたか。まあ、われわれは雪が積もったら、車の運転をしなければいいだけなので、また最悪の場合は夫婦で協力して交換するので、楽しみはとっておきましょうか。1000ccの車なので、タイヤも小さく軽く自分たちでもやれないことはないですから。

 

ときどきブログを書く前に開いてみたりする「今日は何の日カレンダー」を見たら、いろいろ書かれていました。なんでもきょうは議会開設記念日なのだそうです。1890年帝国議会が開かれました。

 

今の衆議院議員や参議院議員の輩はそのことを知っているのでしょうか。自由民権運動が盛り上がった結果、議会も開催されるようになったわけですが、本来議会は言論の府であるべきなのに、昨今の議会(国会)の様子はいったい何ですか。

 

どこが言論の府なのですか。どこで議論しているというのですか。激論を熱く戦わせるような国会を死ぬ前に見てみたいものですが、現在は、あらかじめ質問を提出し、それをもとに官僚が回答書を書き、その回答書に基づき99代目とか官房長官、各大臣が答えるといえばまだしも、下を向いて回答書を読み上げる、という一連の行為が国会の質疑応答という有様です。

 

与党と野党が、首相と野党の党首等が激論を戦わせつつ、議論を深め、一致点を見出すとかそういう議論ができないものでしょうか。与党議員のやらせ質問は全く不要不毛ですし、時間無制限で与野党の党首が必死に議論するという国会を見てみたいですねえ。

 

というか、質問をし、それに答えるという形式が整っているのであればまだしもましかなと思います。ひどいのは「お答えを差し控えます」「捜査中ですのでお答えを控えます」という類の返答があまりに多すぎます。いわば質問に対する回答の門前払いですね。

 

これはとりもなおさず国民を馬鹿にしている、愚弄していることにほかなりません。投票における自民党の支持者はせいぜい三分の一あるかないかでしょう。大多数の国民は無関心か、反対ということなのです。支持していない、反対の立場の国民はいっぱいいるのです。

 

そういう国民も税金を払っているのです。支持者たちよりも多くの税金となるでしょう。政権がばらまいているお金はとりもなおさず、支持していない反政権の人たちのお金もたくさん入っているわけです。

 

だから、例えば日本学術会議は政府に批判的だから、10億円のお金を削れとかいう与党議員の暴論の声がありますが、これだって反政権の国民の税金がいっぱい入っているわけで、そんなことを軽々しく言えるわけがないのです。ようは予算の私物化は許されないということです。

 

そして、きょうは日本で第九が初演奏された日だそうです。1924年ですね。第一次世界大戦で日本軍の捕虜になったドイツ軍の兵士たちが演奏したものですね。

 

もう何度も書いているように、私にとってもベートーベンの第九は忘れられないものとなっています。2010年から2014年までの5か年ですが、仙台フィルハーモニー管弦楽団とともに「第九を歌う合唱団」に応募し、オーディションを経て演奏会に参加してきました。

 

人生で初めての合唱への参加で、ベートーベンを選び、それも第九の合唱、しかもテノールです。ソプラノ・アルト・テノール・バスと4つのパートがある中でテノールを選びました。テノールがこんなに高い音も出さなければならないなんて全く知る由もありませんでした。

 

まあ、何も知らないからこそ、怖いもの知らずで応募できたのかもしれません。演奏会に出て歌うまでに、応募者を対象にしての練習がかなりあります。この練習の時点でやめていく人も数人いました。

 

その練習を経てオーディションがあり、人数の少ないテノールも落ちる人がいるのです、合格すれば晴れて正式に合唱団として認められ、結団式を経て猛練習に入るわけです。今となってはすべてが懐かしいと言えますが、当時は苦しかったです、辛かったです、本当に。

 

いろいろ楽しい記憶がありますが、楽しくてかつとっても悲しかったのは2011年の演奏会でしたね。東日本大震災を経ての苦渋の決断と言いますか、それまで佐渡裕(呼び捨てで失礼します)がやっていた1万人の第九に東北からも参加することになりまして、私も参加しました。

 

今思うと、その2011年の1万人の第九は、コロナ禍でおきたリモート出演の先駆けと言えるのではないでしょうか。岩手・宮城・福島の3県から120人くらいだったかな、が地元仙台から参加したのでした。スクリーン越しの大合唱でした。

その本番に向って何回か練習があったわけですが、その1回はいわゆる佐渡練と言われる、佐渡裕先生・指揮者が仙台にやってきて、直々に我々を指導してくれたのです。その時はテレビ局や新聞記者がいっぱいきてすごかったですね。

そのとき、これも何回か書いていますが、壇から佐渡指揮者が下りてきて私と友人の間に入ってきて、肩を組んで歌ったのです。第4楽章合唱の中の男声合唱の部分です。そんなことがあったのです、2011年の暮れは。

 


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