鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

(その2)仙台城の出城②

2007-12-04 21:50:35 | お知らせ

 この前は現在建設中のお城みたいな交番のお知らせをしました。

 

 今日の写真は現在使用中の交番です。

 写真の左側の2階建ての建物が交番で、前にパトカーが止まっています。

 

 お城の形としては、現在の方がよりお城に近いと思います。

 その手前、写真の右側の平屋の建物、これは公衆便所、トイレです。

 

 交番のほうは新築しているので、取り壊されるのでしょうが、トイレの方はどうなるのでしょうか。

 

 ここは春には桜で、桜を愛でる人たちで、本当は酒を飲んで騒ぐのが好きな人たちでとっても賑わうところなのですが、そうなれば次に賑わうのはここのトイレです。長蛇の列?ができます。

 

 でも、来春のお花見はひっそりとしたものになることでしょう。お花見は出来ないかもしれません。

 天文台は移転し、桜の木も移植されたり、切られたりして環境が大きく変わっていきます。

 

 広瀬川の景観も、川を横断する地下鉄の橋のために変わっていくことになります。願わくは橋の建設工事で魚に影響がでないことを祈るばかりです。

 

 かって、むかし昔、澱橋が立派な橋に生まれ変わったとき、下流の岩盤の大きな淵の魚が極端に居なくなったことがありました。

 子どもから大人までが一緒に釣りを楽しむことが出来た大きな深い淵でした。どう考えても橋の建設に伴うセメント党の影響ではないかと思います。

 今は建設工法も改良されたでしょうから、そういう心配は不要、無用かとは思いますが、果たしてどうなることやら・・・・。

 

 それが進歩ということなのでしょうか。


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(その1)その後の花

2007-12-04 21:24:13 | お知らせ

 11月16日が我々の結婚記念日ということで、記念の花束を買ってきましたが、その後2週間ちょっと(撮影は12月1日)でこのようにさっぱりとしたものになりました。

 

 百合ばかりが目立ってしまい、バラがほんの少し残っていました。

 現在は全滅です。

 


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今日の広瀬川

2007-12-03 23:11:35 | 広瀬川

 写真は今日、12月3日のいつもの広瀬川です。

 薄曇りというか、いかにも冬空という感じの広瀬川です。

 水量は少ないなりに落ち着いています。

 

 この写真の右側の木立が茂っているところは一応形としては中洲となっています。

 本流は中洲の右岸、写真の左側がそうです。

 

 中洲の左岸は確かに水はあるのですが、上流のほうは伏流水となっていて、流れというよりは大きな、長い水溜りといっていいかと思います。

 その昔地理で習った”潟湖”とでもいうのでしょうか。その意味では中洲と呼べるのか疑問でもあります。左岸側と一体となっていると言ってもいいかと思います。

 

 その中洲に限らず、左岸の河原も今はすっかり草木や笹に覆われています。それはそれはすごいとしか言いようがありません。

 この付近の状況を知らない人は、右岸の崖の方にある本流にはなかなか到達できないのではないでしょうか。中洲付近だけを見ると、極端な話、川が流れているのかどうかさえわからないかもしれません。

 私でさえ中洲付近には近寄れません。藪がすごいということもありますが、何が出て来るか分からない、何が住んでいるか分からない不気味さがあります。真夏でもそうです。

 これでは川に親しむなんてとても無理な話しです。

 

 昨日の地元の新聞によると、宮城県仙台土木事務所とNPO水環境ネット東北が主催した、広瀬川の利活用を地元住民とともに考えるワークショップの報告会が県庁で開かれました。

 それによると、この中州については、中洲の樹木を伐採して整備するということです。年度内に実施するとか。

 

 まあ、この際だから樹木を伐採してもらってさっぱりしてもらいましょうかと思わないでもないですが、一方ではそのままそっとしておいて欲しいとも思います。いままでほったらかしにしておいて、何を今さらとも思うのですが、どうせ整備するというのなら、思い切って大きい樹木は残すとしても、そのほかの樹木、草木、笹薮はきれいさっぱり伐採してもらい、その代わりに大中小の石を敷いて欲しいと思います。

 石敷きの河原、できれば鬼怒川みたいな河川状態にしてもらえないか、そうすれば視界は良好となるし、邪魔物もなくなって老若男女の親しめる川になるのではないかと思います。

 つまりは昔の河川敷にしてくれということです。昔は草木よりも石の方が多くあったものです。それがいつの間にか砂に埋もれ、草や木が繁茂し、笹薮まで出来てしまった。

 

 そして出来ることならついでに、川の中にも大中小の石を敷き詰めて欲しいものです。とくに澱橋の上下流には一杯敷き詰めてもらって、いろいろな流れを造って欲しい。そうなれば、その付近の川も生き返ることになるでしょう。川が生き返れば、鮎も住み着き、かっての賑わいを取り戻すのではないでしょうか。”鮎釣り銀座”の復活です。夏の風物詩の復活です。

 こちらの方こそ是が非でも実施してもらいたい、そのための公共事業なら即賛成します、といってはあまりに身勝手といわれてしまいそうです。


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仙台城の出城

2007-12-02 22:19:26 | お知らせ

 このお城の形をした建物は、何あろう、隅櫓ではありません、交番です。

 

 これも地下鉄東西線の建設に伴って、現在のところにある交番が移転しなければならなくなったために新築しているものです。

 

 見てのとおり、お城をイメージしています。

 それもそのはず、仙台城に通じる、広瀬川にかかっている大橋のたもと近くにあります。

 

 警察も粋なもので(珍しく)、前の建物もそうですが、新しい建物もいかにもお城の門番みたいに造っています。

 見たところ3階建てのようです。

 

 写真の関係で、見た目以上に細長くなっています。

 

 この奥には、11月25日で閉館した天文台があります。まだ桜の木も減りましたが、残っています。

 

コメント (1)
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臥竜梅

2007-12-01 23:38:28 | お知らせ

 実は、臥竜梅は西公園にもあります。(「若林桜だより」のブログ参照)

 ここは私の通勤路になっていて、よく通るのですが、まだ枯れずに健気に生きています。

 

 仙台市の保存樹木に指定されています。昭和50年に指定されていますので、232年の樹齢となりますか。

 伊達政宗が、文禄の役(1592年)のとき、朝鮮から持ち帰り、仙台城に植えていましたが、明治維新後この地(現在西公園、旧仙台城三の丸跡?)に移植したといわれています。

 花は白色一重で、幹が地を這うように曲がっていることから、竜が臥している姿に似ているということで、臥竜梅といわれています。(以上説明版より)

 改めて見ると、本当に地を這う竜によく似た梅です。迫力があります。

 

 このすぐそばには天文台があったのですが、11月25日に閉館してしまいました。とはいっても、なくなったわけではなく、西武の方に新築移転することになっています。来年開館です。

 この付近は地下鉄東西線の建設のため、数年後には大きく変わってしまうことでしょう。

 この梅の奥は野球場になっていたのですが、今は野球場としては使われず、土や樹木の移植地になっています。

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