鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

都市ガス災害復旧隊、万歳!

2011-04-15 21:28:31 | お知らせ

 今日もいい天気でした。昨日よりは最高気温が上がらなかったようですが、気分的には今日のほうが暑く感じました。

 仙台も私の地元は桜が5部咲き以上に咲き誇っていますが、職場の方は小高いためかまだまだ咲き誇ることとは程遠い感じです。今日の朝8時と夕方4時の桜の様子です。同じつぼみです。

          

 上が朝で、下が夕方です。他のつぼみはまだ咲きません。

          

 そんな中、やってきました、都市ガス災害復旧支援隊!!山形交通の大型バス2台でやってきました。1台は秋保温泉から、1台は鳴子温泉から。市内では宿泊できなくて、郊外や市外に宿泊して、日中作業にやってきます。

 今日職場の地域の都市ガスの開栓作業に来てくれたのは、名古屋の東邦ガスを主力メンバーとする2個小隊でした。 『東海北陸部会中隊』から【第1-1小隊】と【第2小隊】のみなさん70名です。

 

              

 

 バスの荷物置き場には当然仕事の道具も入っていますが、そのほかに飲料水や食料も、お菓子類も一杯積み込んでいます。バス単位で小隊全員が飲食ができるように、料理に必要な道具一式も積んでいます。

 それらの飲食物は持参してきたものなのか、全国から送られてきた支援物資なのか、その両方なのかは分かりません。

 別ルートで折りたたみ式の自転車も届きました。トラックから降ろしたのは10台くらいでしたか。

             

 車から降りて、各人自分たちの割り当てられた範囲の住宅地図を持って作業に向かいます。

 

 若い人が圧倒的に多かったです。人件費も安いし、若くて体力があるし、独身者も多く(多分)動きやすいし、また若い人にたくさんの経験をして欲しいという思いもあるでしょうし、全国的なガス事業者の熱い結びつき、連帯感を味わって欲しいのでしょう。

 東邦ガスが主力とはいっても、それぞれ異なる作業服を着ているので、いろんな地域から来ているということがわかります。本当にありがたいものです。心強く感じます。(今日は余震が少なくてよかったなあと思っていたら、ついさっき揺れました。)

 都市ガスは、今日あたりでほぼ完全に復旧するようです。彼らは今日は山形に向かって、飛行機で帰るとか。

 みなさんお疲れ様でした。本当にご苦労様でした。感謝のしようがありません。

 

 そして最後に、田中マー君もお疲れさん。よく投げました、楽天での完投投手第一号です。さすが次期楽天のエースだけのことはあります。

 3対2でオリックスに勝ちました。どこのチームに負けても構わないが、オリックスにだけは負けてはいけないのです、楽天は。選から漏れた、要らないといわれた”屈辱”は忘れてはなりません。

 

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3年前の新聞記事と、

2011-04-14 21:31:32 | お知らせ

 今日の最高気温は何となんとナント、21.3度でした。暖かくなるという予報でしたので、マフラーはやめ、コートも中のライナーも外して出勤しました。手袋は持ちましたが、ポケットにいれたままでOKでした。

 だけどこのまますんなりと暖かくなるかというと、どうなのでしょうか?去年は4月17日に雪が積もりましたから。まだまだ安心はできません。でも、自動車のタイヤはラジアルタイヤに交換しました。

 

 書類の整理をしていたら3年前の新聞記事の切り抜きが見つかりました。今の状態にぴったりというか、皮肉というか、宮城県沖地震関係の連載記事です。

 2008年(H20)6月10日からの7回シリーズです。30年後までに99%以上の確率で起こるとされる宮城県沖地震について、これでいいのかという検証記事です。たった約3年前のことです。

 『検証 耐震力  宮城県沖地震30年』 第1回目は、≪「次」の被害想定≫です。

          

 【内容】 国の中央防災会議は、2006年に死者290人、圏内の建物全壊約19,000棟と想定しました。30年前の死者は28人、全壊住宅は1,377棟だったのに、なぜ10倍を超したのか。  ここで起きる地震には二つのタイプがあり、一つは金華山沖の震源域が起こす「単独型」(30年前の地震がそう)、もう一つは金華山沖の震源域と、さらに沖合いにある別の震源域が同時に起こす「連動型」。  単独型の規模はM7.4前後なのに対し、連動型はM8以上となり、エネルギーは10倍近くになるため、単独型ではほとんど被害を及ぼさない津波も大型化し、県北部を中心に最大10メートルの大津波が襲うとみられている。

 そして約3年後3月11日の現実は、どうだったか。 「連動型」ではあってもM9.0という未曾有の巨大地震となり、大津波が押し寄せ、宮城県だけでも死者は8,000人を超え、全体では13,357人(4/13)と二桁も異なる大惨事となりました。

 予想は大体は当たってはいましたが、地震のエネルギーも津波も規模が大きすぎた、大きすぎたけど、大きすぎただけでそうかと、仕方がないと納得するわけにはいかない気持ちです。想定外、想定を大幅に超えるものだったと納得するわけにはいきません。

 折角連動型の地震となり、Mも8以上、津波も10メートルとなるだろうと想定したのなら、被害者数が余りに少なすぎたのではないか、もちろん今だからそういえるのだともいえるのですが、それにしてもやはり少なすぎたと思わざるをえません。少ないために”津波”に対する心構えが甘くなってはいなかったか、津波が来ても大したことはないと思ってしまわなかったか。

 数千人の死亡者が予想されると想定していれば、もっともっと真剣味、現実味が出て、現実の地震が強ければ強いほど、これは何をさておいても高いところに、内陸部に逃げなければならないと思ったのではないか、そうなれば少しは死亡者が減ったのではないかと思います。

 でも、どう思っても全ては後の祭です。亡くなった人は帰ってはきません。空しさが漂うばかりです。    合掌

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広瀬川、春の

2011-04-13 21:04:02 | 広瀬川

 嬉しいですね、きょうも東北楽天ゴールデンイーグルスは、5対1でロッテに勝ちました。全勝です、といっても2勝ですが。ピッチャーのラズナーはコントロールがよかったし、4番山崎のスリーランホームラン、弾丸ライナーで楽天ファンが陣取るレフト側の席に突き刺さりました。これぞ4番の打撃です。

 うん、この調子なら今年の楽天はやってくれそうです。爆発するかも。原発の爆発だけは御免被りたいですが、最高のレベル7となってしまった今は最悪のことを想定して、対処法を考える必要があるのかもしれません。

 だからと言って我々に何ができるのかと思うと、情けないことに何もできない。自分で自分の身を、家族を守られない。”自助”といわれても、相手が放射能ではお手上げです。

 人間が最終的に制御できない原子力を使って発電を始めたこと、それが全てでしょう。便利さを追求するために、飽くなき追求のために、不完全なまま使い続け、とうとうお手上げの状態に陥ってしまった。これも定め(宿命)と受け入れ、諦めて死んでいくのでしょうか。

 どっちみち人間は必ずいつかは死んでしまうのですから。生きていくことは、長生きすることは死に近付いていくということに他ならないわけですから。止めましょう、そう思うことは。死ぬまで人のため社会のため働いていきましょう。それしかないです。覚悟を決めて、働ける(=体が動く)うちは働き続ける、結果は後からやってきます。

 行く川の流れは絶えずして、しかも本の水にあらず・・・・

                 

           12日の分流の様子です。笹にごりですか。

 

 河原では”ねこやなぎ”が咲いていました。以前は一杯密集する形で咲いていたものですが、今はそれを探すのも大変です。至るところに工事が入り、伐採されてしまいましたから。

 

                  

 この桜はきのうご紹介しました。

 

 ほかの花々です。水仙は分かりますが、他は分かりません。

    

          

                 

 (おまけ)このチューリップは職場で咲き始めたものです。

 

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春めいて、中学校の入学式

2011-04-12 21:01:54 | お知らせ

 昨日今日と連休でした。昨日のことですが、朝9時頃泉区を車で走っている時、見ました、力強いトラック部隊を。そうです、とっても頼もしい”大阪ガス”関係者のトラックが何台も目の前を走っていきました。小さいショベルカーを積んでいるトラックも2台。今回の大震災によるガスの供給再開にあたっては、東京ガス、東邦ガス、大阪ガス等の強力な支援がとってもありがたかったです。私の町内は大阪ガスが作業や工事をしてくれましたので、ことのほか大阪ガスにはありがたさを感じ、感謝に堪えません。

 私は直接は見ていなかったのですが、妻が言うには同じ町内で不在だった家に来ていた車のナンバーは「沖縄」ナンバーだったそうです。こうやっってみると本当に全国から応援に来てもらっているのですね。また、そういう協力体制が確立されているのですね。すばらしいことです。”ガス”という同じ商品、危険な商品を扱っているということから、連帯感、共同体的な意識が芽生えているからなのでしょうか。

 話し変わって、嬉しいことですが、このところ本屋に活気が出てきました。土・日・月と近くの本屋に寄り道しているのですが、若い人たちが一杯来ていて、賑やかだったのです。レジにも長い列ができて、人手だけでなく、書籍や雑誌類も書架に並べられるようになって、本や雑誌もこころなしか喜んでいるようで、ことのほか嬉しくなってしまいます。もう二度と1ヶ月間も新刊書籍が入荷しないということがないことを祈ります。

 嬉しいことといえば、今日仙台地方でも桜の開花が宣言されました。本格的に咲き誇るのは来週となりそうですが。

 下の写真は河原の桜の様子です。もう少しですね、咲き出すのは。

            

 そしてもう一つ、今日からプロ野球が開幕しました。セ・パ同時開幕で、勝って欲しい”東北楽天ゴールデンイーグルス”が、本当に勝ってしまったのです。エースの岩隈が、要所要所を押さえてくれて(最後はちょっと打たれてしまいましたが)、捕手の嶋がスリーランホームランを打って勝つなんて、理想的な勝ち方です。

 なんでも今日は岩隈の30歳の誕生日とか。いいことずくめです。

 いいスタートを切りました。このままいい感じで勝ち進んで欲しいものです。目指せ、勝率7割、は無理か、6割でいい!!6対4で勝ちましたが、これを6勝4敗とみなせば、勝率6割となります。うん、いい感じです。

 昨日は小学校の入学式、今日は中学校の入学式に出てきました。

           (来賓用の玄関脇に飾られていた花)

           

 昨日は86名で3クラス、今日は217名で7クラスの編成です。

           (玄関の正面、鏡の前のいけばなです)

           

 入学式の開会前に、大きな地震が起こった場合の逃げる順番、逃げ口の説明がありました。

          

 その後は、修礼・開会のことば・国歌斉唱・新入生呼名・(校長)式辞・(来賓代表の)励ましの言葉・来賓紹介並びにメッセージの披露・誓いのことば・閉式のことば・修礼、と続き、2,3年生合唱部員による校歌披露、学級担任並びに教科担任紹介で終了です。

 その前に全員で拍手での迎えと最後は拍手での見送りがありました。

 新1年生は全体で217人ですが、男女比がかなり偏っています。男が127人に対し女は90人です。約6:4の比率です。2年生だけは女が多い。それにしても身長差はすごい、ざっと見たところ130センチくらいから160センチくらいまでの幅があります。思い起こせば私自身は小学校卒業の時の身長は138センチでした。前から3番目か4番目に座らされました。どうでもいいことですが。

 この中学校は私の母校でもありますが、校歌を合唱部員が2部合唱で歌うのは初めて聞きました。とってもよかったですね。本当にきれいなハーモニー。こういう編曲もあるのかと、感心しながら聞いていました。

 ・・・新しき世に目覚めつつ 日毎に進み伸びる秋・・・

 ・・・行く手明るき日本に 正しき文化打ち建つる・・・

 未曾有の大災害を被った仙台、宮城、東北、日本、一生懸命勉強して、クラブ活動をして、日本を再建してほしいものです。

 それなのに、新1年生を送り出そうというときに、ブラスバンドが演奏を始めたらまたもや結構大きな地震が起きました。大きく横揺れします。そのため一旦休止、4,5分してから拍手で、体育館から教室に送り出しました。午後2時7分の地震です。茨城県や福島県で震度6弱でした。仙台は震度4ですか。どこまでも地震はついてきます。みんなもういいからと心底思っているのに。

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小学校の入学式でしたが、

2011-04-11 20:30:16 | お知らせ

 7日深夜M7.1の大きな余震があったばかりというのに、何故また今日夕方M7.0の大きな余震が起こるのですか。7日からたったの4日しか経っていないのですよ。何でですか?何が目的ですか?どこまで日本人を苦しめればいいのですか?(今も揺れている、結構強い!)

 しかも、今日は3月11日の東北地方太平洋沖地震がおきてから丁度一月目にあたります。もうそろそろ天の怒りも収めてもいいではないですか!?

 震源地も宮城県沖から茨城県、福島県沖へと南下している感じです。3月11日の本震は南北500キロ、幅250キロの範囲にわたって3回震源が南下していった連動した巨大地震でした。

 今回の地震も順に震源が南下していくのですか。じわじわ我々を苦しめていく、真綿で首を絞めていくように。

 午後5時16分にM7.0の地震があってから7時までの2時間弱で震度3以上の地震が何回あったか!?10回以上もありました。こんなに地震が頻発すると地震ノイローゼ、地震のトラウマになってしまいかねません。降参します。だからもうこれ以上苛めないでください、苦しめないでください、試練を与えないでください。我々はヨブではありません、耐えられません。

 

 今日午後1時から勤務先管内の小学校で入学式がありました。新一年生は86名、3クラス編成です。

           

 卒業式のときもそうでしたが、式に先立っての注意事項、大きな余震が起きた場合は、先生方の誘導で体育館の両隅にまず一年生を逃がし、その後保護者や来賓が逃げる、それでも危険となったら校庭の中央に逃げるようにと。

         (学校の玄関に飾られていたバラの花です。)

         

 校長先生は4月に異動になったばかりの新しい校長ですが、新一年生に対するあいさつはなかなか良かったです。飽きさせないようにとの配慮でしょう、紙芝居みたいなものを用意して子どもたちに学校の目標を教えていました。

 「3匹の子豚」の話しがありますよね、狼の襲撃に備えて3匹の子豚が、藁の家・木の家・レンガの家を作る話しです。それを通して、なかよく・かしこく・たくましく、という3つの目標をうまく子どもたちに伝えていました。感心しながら見ていました。

          (校長室に飾られていたバラの花です。)

         

 おもしろかったのは、クラス担任の紹介のとき、1組の子どもたちは手を上げてといったら、三分の二くらいの子どもたちが手を上げたことです。校長先生も苦笑い、というか微笑ましい笑いというべきでしょうか。

 迎えの言葉は、2年生が縄跳びの用意をしてスタンバイ。地震の影響で十分な練習はできなかったでしょう。迎えの言葉はうまく言えましたが、縄跳びはてんでんバラバラとなってしまいましたが、それも致し方ありません。かえって愛嬌があってよかったのかも。

 この子どもたちには何が何でも順調にスクスクと成長していってもらいたいものです。

 明日は午後1時から中学校の入学式があります。少なくとも式の途中で大きな余震が起こりませんように、それを是が非でも願いたい。


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明日で1ヶ月、東北地方太平洋沖地震

2011-04-10 21:27:40 | お知らせ

 早いものです、明日であの忌まわしい巨大地震から1ヶ月が経つのです。この1ヶ月間常に揺れてばかりいたようにさえ感じます。

 地震に加えて巨大津波、そしてあろうことか原発(人災)事故まで起きるなんて。東電福島第一原発と仙台の距離はわずか100キロ、車で2時間弱、あっという間の距離です。爆発でもして風向きが北の風にでもなったら完全にアウトです。

 さらに東に100キロ以内に東北電力の女川原発もあるのです。ここの原発もたびたび問題を起こしています。常にヒヤヒヤものです。

 我々夫婦のくらいの年齢になれば諦めもつきますが、若い人たちや子どもたちだけはなんとしても守りたい、放射能を浴びせたくはない。健康で長生きして欲しい。避難するとしても子どもから年寄りまで完全な避難は難しいでしょうから、多分そうなっていくでしょうから、そういう場合は若い人と子どもたちを何としても優先させて避難させる、避難先は有無を言わずに引き受けるということにしなければならないでしょう。

 それで、もしも余裕があるのであれば高齢者も避難させればいい。この際60歳以上の男女は決心すべき、覚悟を決めましょう、なんて格好いいことを言っても、本当にその決心があるのか、行動できるのか自分のことながら疑心暗鬼になってしまいます。

 でも大きな原発の事故ともなれば、誰を優先的に非難させるか、否が応でもまじめに考えなければならないのではないでしょうか。そうなったら高齢者が自ら進んで避難を辞退する、若い人たちや子どもを優先させる、そのような勇気ある行動をとれればいいなと思います。思いますが、自分がその時になって本当にそのように行動できるか、100%の自信はありません。最終処理ができないまま原発を導入してしまった我々の義務、責務ではないでしょうか。

 9日時点での被災者の状況です。朝日新聞です。

 死亡者:12,898人   不明者:14,824人

 生きているものは、3月11日(金)のことをずーと語り続けていかなければなりません。それが1000年に一度とか言われているM9.0の巨大地震、巨大な津波を経験した者たちの努めです。

 今日の朝日新聞の朝日歌壇から;(引用をご了承ください)

 ≪馬場あき子≫選

 津波退きしがれきの山に雪つもるこれが東北というがごとくに

                  (東京都・久保田仁さん)

 こんなにも悲しく響く東北弁聞きたることなし巨大地震は

                  (名古屋市・山田静さん)

 ≪佐佐木幸綱≫選

 炊き出しを笑顔で手伝う中学生青いジャージに粉雪が降る

                  (富山市・松田梨子さん)

 ≪高野公彦≫選 

 東北の棺の並ぶ体育館卒業生が立つはずの場所

                  (東京都・中山真彩子さん)

 短歌を読んでいて泣きたくなりましたが、堪えました。泣きたいのは、泣くに泣けないのは当の被災者の人たちですから。

 明日は小学校、あさっては中学校の入学式がありますので、出席してきます。校舎の被害が大きかった小学校の入学式は21日となっています。子どもたちにはどんなことがあっても、健やかに育って欲しいものです。

 職場の陽が当たらないところにいつのまにかつくしが芽を出していました。いかにも可憐で、弱々しい頼りなさそうなつくしですが、立派に生長して欲しいものです。

           


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広瀬川地下鉄橋梁工事

2011-04-09 22:12:13 | 広瀬川

 広瀬川に架かる地下鉄東西線の橋梁工事ですが、進んでいるのか、停滞しているのかあまりわかりません。後退しているということはないようですが。そんなに難しい工事なのでしょうか。 まさか広瀬川の環境を守るために工事の進捗状況がおもわしくないのだとか言い出さないでしょうね。

 最初は全体の写真です。撮影は4月6日(水)。場所は仲の瀬橋で、下流側を撮っています。

        

 次の写真は左岸側の様子です。

 

 左岸側から川の中央付近を撮ったものです。

     

 川の流れから右岸側を撮ったものが、したの写真です。

           

 さらに右岸側だけを撮ってみました。

 

 この付近の川底には橋脚は造らないようですので、遡上鮎や放流鮎にはあまり影響はないかもしれません。

 でも、澱橋上流の河川敷の大掛かりな工事は、何時までかかるのかは分かりませんが、アユ釣りに影響はないといえるでしょうか。4月中に終わるようなら大丈夫かもしれませんが、工事が延びると影響は出てくるでしょう。

 なんにしても、どこの工事にしても早く終わらせて欲しいものです。

『川の主役は魚』です。魚が居ての川なのです。魚のことをまず第一に考えて工事をして欲しいものです。


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これでも、余震?

2011-04-08 21:13:19 | 思いつくまま

 昨日夜の大きな地震、驚きよりもショック、衝撃でした。何で4週間も経ってから、余震もかなり落ち着いてきた感じだったのに・・・。

 もうこのところ早寝早起きが習慣となっているので、昨日も10時30分過ぎには布団に入りました。 まさか、地震で飛び起きることになるなんて思いもよらず。妻は私よりも先にお寝んねしました。

 寝てから50分過ぎ、突然突き上げられるような強い振動。背中から飛び上がるような感じ。ガバッと飛び起きたものの、なす術もなく上半身を起こした状態で、周りを見回す、このところ地震恐怖症になってしまった妻はもう泣き叫ぶ始末。抱いて落ち着かせようとしますが、縦揺れから横揺れの地震のエネルギーに振り回されるのみ。

 ちきしょう、何でこんなに次から次と大きな地震が襲うのか!!妻を落ち着かせながら、悔しさと怒りの気持ち、そして恐怖心で自然を呪い、揺れに身を任せるのみ。何とちっぽけな存在であることか。ただただ、おびえて震えているのみ。子どもは風呂に入っていた。風呂場での大きな地震は、そうでないときよりもかなり恐怖が増すはず。とっても恐かっただろうと思う。

 でも、救いは3月11日ほど激しい揺れは長くはなかったこと。決して短くはなかったけれど、本震と比べたらかなり短い。これは助かった。

 何とか揺れも収まり始めて、ふとんから立ち上がり、電気をつけ、テレビもつけ、懐中電灯を探して2階をチェックしてから1階へ行き、状況確認。そしたら停電となる。またロウソク生活かと思ったところ、電気がつく。嬉しかった。その後消えることはなかった。1階、2階とも部屋の状況は、3月のときよりはましであった。金魚の水が飛び散ってかなり少なくなっていた。今魚だってびっくりしたろうと思います。同じ生物として、大丈夫だったかと連帯意識を感じますが、おかしいですか。

 二つのタンスが動いていました。タンスの上のこまごまとしたものは箱に収納していたので、飛び散ることはなかった。机の上のものは落下しているがこれは想定内。

 家の中はとりあえずは大丈夫と判断し、テレビで地震の様子をみる。震源地は宮城県沖で、M7.4、仙台市宮城野区で震度6強、青葉区は6弱とか。外からはサイレンの音が聞こえてくる。職場は大丈夫か、すぐに着替えて、大丈夫だろうと判断して自転車ではなく車で職場へ、懐中電灯や鍵をもって。 職場に近付くにつれて、暗くなる。電気がついてない、信号も止まっている。

 いつもは明るい電気がついている二台の自販機も停電につき暗いまま。非常灯のみ作動してついていた。敷地内の9つの街灯も暗いまま。    (また揺れている。)  鍵を開け、セコムを解除して、中に入る。事務室内はほとんどの机の引出しが外に出ている。でも、キャビネットやテレビの倒壊はなく一安心。懐中電灯を持って、建物内を調べて歩く。事務室以外は大したことはないと判断し、鍵を掛け、セコムをセットして(停電だったが、セットできた。)帰途につく。

 帰宅してテレビを少し見てから、服を着たまま布団に入る。ラジオを点けっ放しにして。当然なかなか眠れませんでした。

 

 幸い今回も我家は停電することもなく、水道・ガスも使える状態でした。停電は午前10時過ぎくらいまで続いたでしょうか。職場の周りは停電ですので、マンション等は水道も使えないところもありました。午前中水汲みにきたのは4組くらいですか。ケータイの充電に来た人もいました、一人のみ。

 東北地方全体(6県)で400万戸も停電したようで、考えてみればすごいことですよね。水は絶対なくてはならないものですが、電気もあるのとないのとでは雲泥の差です。

 今回の余震は、1978年に起きた宮城県沖地震と震源地や規模等はよく似ているのですが、精査してみないとわからないとは大学の先生の話しです。もう勘弁して欲しいですよね。3月11日の本震が宮城県沖地震を吸収してくれるか、4月7日の地震が想定されている宮城県沖地震であってほしいものです。

 津波が押し寄せなくて本当に良かった。


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川辺川を守りたい女性たちの会

2011-04-07 20:33:14 | お知らせ

 こんな嬉しいこともあるのですね。こんなありがたいこともあるのですね。こんなにも気を使っていただいて、感謝あるのみ、ただただ感謝です。

 前に「川辺川を守りたい女性たちの会」から震災お見舞いの電話を頂いたことはお知らせしました。

 以前カンパをしたとはいえ、大した額ではないし、遠く離れた仙台のことなんか覚えていないだろうと思っていたところ、3月11日のM9.0の巨大地震、津波の惨状を見たのでしょうか、何度も電話を掛けてくれたらしく、1週間後くらいに電話が通じたことを。熊本からの電話?と聞いて、一体誰からだろうと考えても思いつかなかったのですが、それが「川辺川を守りたい女性たちの会」からの電話だったのです。

 2,3日後にお礼のハガキを差し上げました。

 そしたら、今日写真のものが送られてきました。

        

 左から、カイロ、球磨川の青のり、そして鮎ちくわ、です。びっくりしました。驚きました。ここまでしていただくとは・・・。感謝と恐縮のいたり。

 

 「球磨川の青のり」です。みなさんは知っていましたか、球磨川で青のりが採れることを。私は全く知りませんでした。球磨川といえば、”鮎”それも”巨鮎”です、そのイメージしかなかったのですが、青のりも採れるのです。このブログをご覧のみなさんも覚えておいてください。

 添書によると、上流の「荒瀬ダム」のゲートが1年前に開いたお陰で、美しい清流が戻ってきて、その結果素晴らしい青のりが採れるようになったそうです。漁師も悲鳴を上げるほど、順調に育っているとか。カヌーイストの野田知佑さんは”四万十川を上回った”といっているそうです。

 レシピもついてきました。青のりの利用法としては、1)チリメンジャコの青のりふわっと和え、2)竹輪の青のり揚げ、3)チリメンジャコの青のりボール揚げ、4)青のり入りかき揚げ、5)麩とシイタケの卵とじ、6)青のりご飯、が写真入りで紹介されています。ちなみに漁師のお勧めは『青のりご飯』だそうです。

 ご注文等は、【やつしろ川漁師組合 代表;毛利正二】までどうぞ。

 〒866-0896 八代市日置町3838-3 

 電話 090-8834-1533  mouri.sy@sepia.plala.or.jp

          

 そして、球磨川といえば何といっても”鮎”です。その鮎を使った贅沢なちくわ、その名も『鮎ちくわ』です。八代の(八代といえば、八代亜紀の出身地です)ちくわ製造業の人が、尺アユトラストの趣旨に賛同してつくったものです。原材料はスケトウダラとアユです。ほんのりと鮎の香りがして評判は上々とのことですが、夜早速食べてみました。一般に売られているちくわより歯ごたえもよく、肉厚でうまかったです。

 

 鮎ちくわは、株式会社 おにさか 本店

 八代市清水町1-8 電話;0965-32-3517 でお求めください。

 

 お陰さまで余震もかなりおさまってきたようです。まだまだ安心はできませんが。今日は休みだったので、そろそろ書籍等が流通し始めたということもあり、仙台駅前の大型書店目指して自転車(電動です)で出かました。風もなくとっても暖かくて、さすがの私もコートは不要でした。

 しかし、目当ての大型書店は、ビルの6階と7階にあるのですが、ビル自体が出入り禁止となっていました。よく見るとビルの壁面に亀裂が走っているし、壁が崩れたりもしています。古くなったビルなので、M9.0の巨大地震には耐えられなかったようです。

 でも思い出すと、このビルにはかって地元の大型スーパーが入っていました。1978年、33年前宮城県沖地震のとき、夕方に発生したこともあり、たちまち食料や飲み水にこと欠くようになったのですが、このスーパーは太っ腹で、翌日からでしたか、ただで食べ物を配ったということを記憶しています。その頃は売上も利益も順調だったのですね、その後中央資本に敗れてしまいましたが。

 では同じ系列の本屋が入っている斜め向いのビルはどうかと行ってみました。信号待ちのときそのビルの壁をみたら、横に大きく亀裂が走っています。2階部分のぺデストリアンデッキとの接続部分が大きく盛り上がっていました。6階の本屋へ。営業はやっていましたが、まだ完全には復旧していませんでした。棚から落ちた本は全て元のとおりに陳列されてはおらず、一部の本棚は立ち入り禁止となっていました。

 そして、NHK関係の語学雑誌は4月号が並んでいましたが、釣り関係の雑誌は最新号は未入荷のようでした。

 帰りビルの壁等を見ながら帰ったのですが、結構亀裂が走っていたり、部分的に立ち入り禁止となっていたり、ビルの壁にフェンスが貼られていたり、建設業者らしき人たちが打ち合わせをしていたり、明日で丸4週間が経つのですが、まだまだ被害は広がるのでしょうか。津波ばかりでなく、地震本体でも痛めつけられているのが分かります。

 あの長い長い激震だけはもう二度と経験したくはありません。


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広瀬川河川敷工事

2011-04-06 20:59:16 | 広瀬川

 とっても暖かい一日でした。最高気温も17度を超えたようですし、明日も同じくらい暖かいようです。 春が一気にやってきそうな感じがします。

 ということで、広瀬川澱緑地にかかる河川敷の改修(改悪)工事です。撮影は3日です。日曜日は工事が休みなので、立入禁止の髪が貼られていても自由に入っていけます。

 場所的には、仙台西道路のトンネルが途切れているところの真下付近の河川敷です。左岸側になります。まあ、本当によく削ってくれました。

 近くから見ると下の写真のようになります。1枚目は下流側から上流側を見たもの。写真左側の眩しい水面は、深さが分かりませんがとっても浅いです。高低差は1.5メートルくらいあるでしょうか。

 

 下の2枚の写真は上流側から下流側を撮ったものです。

 

 底の土砂等が見えています。今でも水量は少ないですが、もっと少なくなれば水面はかなり狭くなります。

 

 4枚目、5枚目を見ればより全体的なものが分かるでしょう。

 

 

 上下の写真は似たようなところの写真です。

 

 左側に高く盛られた土砂の山が見えますが、それを石と砂にふるいわけて、頭大の石のみ川の流れの方に敷き詰めるのでしょうか。

 実はここではそれを一回やっているのです。2年位前ですか、このブログでも写真入りで紹介しています。できたころはこれはいいかなと思ったりもしたのですが、すぐにかなりの部分が土砂に覆われてれてしまいました。その愚をくり返すわけではないと思いたいですが、果たしてどのような河川敷の工事になるのか、結果として魚に悪い環境とならなければいいのですが。それだけを願っています。

    川の主役は魚!! 魚のいない川は川ではない!!

 (続きます。)

 

 それにしても、東日本大震災・東北地方太平洋沖地震での被災者は、6日午後4時現在警察庁発表では、死亡者:12,494人、不明者:15,107人といいます。合計すると、27,600人もの人々が直接の被災者。

 大きな町ひとつが消えてしまったことになります。それもほんの一瞬で。何と恐ろしい、何と凄まじいことか。

 これに東京電力福島第一原子力発電所の人災事故が加わり、こちらは今後何年何十年にわたって悪影響を及ぼす恐れがあります。しかも、陸上だけではなく海上からも災いとなって。

 ようやくガソリンも普通に手に入るようになりました。生協等の店も購入数の制限もなくなりつつあります。書籍等も本屋の店頭に並ぶようになって来ました。生活も戻りつつあります。

 原発事故さえなければ・・・・。


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確実に春が、謝謝 大阪瓦斯

2011-04-05 19:59:06 | お知らせ

 夕方の天気予報で、仙台地方の桜の開花は来週になるだろうといっていました。やはり確実に春はやってきていました。

 おとといきのうと冷たい空気の日が続きましたが、今日は最高気温が15度を超えました。風は少しありましたが、車に乗っていれば太陽が眩しく、かつ暑いくらいに感じられました。

 天気のせいもあるのでしょうが、職場の庭に咲いている、とっても季節を感じさせる花を紹介します。

 

 一瞬つばきかと思いますが、さざんかです。秋から冬にかけて咲く花といわれていますが、現在一杯咲いています。

             

 ふきのとうです、茎が伸びて花が咲いたふきのとう。これは一番早く出てくる山菜といわれています。

 

 最後は、ムスカリです。別名ブドウヒアシンスとも。これぞ早春を彩る花です。たしかにブドウのようにかたまって咲いています。

          

 ということで、我家にもとうとう春がやってきました。そうなのです、都市ガスが復旧したのです。使えるようになったのです。ありがたいことです。遠路はるばる駆けつけて日夜我々のために働いてくれました”大阪ガス”関係者の皆さん、本当にありがとうございました。

 助かりました。ほっとしました。これで日常が戻ったと、心底安堵しました。被災してまだ避難生活をしている皆さんには申し訳ないですが、正直なところ本当に嬉しい気持ちです。率直に喜ばせてください。

 早速家族は日中からお風呂に入ったそうです(私は仕事)。それだけ嬉しかったのです。お風呂が、ガスの復旧が待ち遠しかったのです。いつもは私が一番に入るのですが、今日ばかりは最後でした。お陰さまでゆっくり入ってさっぱりしました。

 3月11日の巨大地震のあと、22日か山形県寒河江市の温泉に入ったきりお風呂はなしの生活でした。何とかなるといえば何とかなるものです。25日間で2回の入浴、こんなことはもう二度とないでしょう(と思いたい)。

 電気、水道、ガス、あらためてこれらに感謝です。毎日感謝の気持ちをもって使わせていただくという心構えが大切です。そして多少の不便は、かえってそれが人間らしいのだということ、人間に必要なのだと、そう思いたいです。

 

 自分だけがよければという気持ちは決して持ってはいません。被災された方々のために何ができるか、これからも自分でできることをやっていくつもりです。 そして何よりも今回の未曾有の大震災のことを決して忘れず、語り継いでいくことがとっても大切かと思っています。

コメント (2)
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もう少し?

2011-04-04 19:18:56 | お知らせ

 昨日今日と日中は陽射しがあっても、春とは思われないくらい空気はとても冷たく感じていましたが、明日から約1週間は暖かい日が続きそうです。もう4月の4日なのですね。4月なのです、いつのまにか。本来なら桜の開花はいつか、どこがいいかとかの情報が流されているのに、今年は花見とは程遠い4月となりそうです。

 

 今朝の朝日新聞の朝日歌壇のうたから。

 選者は佐佐木幸綱さん。投稿者は岩手県盛岡市の佐藤忠行さんです。(引用お許しください)  やはり同じことを思っていた人がいたのですね(当たり前か?)、でもこういう形に思いを昇華させることが出来る人はやはり違う。私とは短歌のレベルが違います。

 一際に星の瞬き美しき明かりの消えし地震(ない)の夜空に

 そうなのです、東日本大震災の日の夜、電気が停電しましたが、仕事からのかえりふと見上げた夜空の星の数々。仙台の夜空にもこんなにもたくさんの星があったのか!!とびっくりしました。星は毎夜瞬いてくれているのですが、それを見えなくしているのは他ならぬ我々人間なのですね。人間が見えなくしている夜空の輝きを、皮肉にも自然が有無を言わせず強引に人間界の幕を引き剥がしてしまうことによって、見せてくれた。これをどのように解釈すればいいのでしょうか。自然界に常に畏怖の念を持って接するようにとのことでしょうか。思い上がるな!!ということも含まれているでしょう。

 

 夕方の地元のテレビニュースで知りましたが、ようやく仙台市にも書籍が配送されるようになったようです。地震から25日経ってのことです。でも週刊誌はまだで、8日(お釈迦様の日?)からだとか。つまりは1ヶ月間かかるということか。

 東北地方の沿岸には製紙工場がたくさんあり、どこの工場も被害を受けていますからそのためなのか、それと輸送手段の確保ができなかったのか、りょうほうなのでしょうか。ダンボールの工場もたくさんあるようで、ものを梱包するのも大変だったのかも。

 何にしても今週後半辺りからは書籍も雑誌類も普通に流通するようで嬉しいです、ありがたいです。本屋に行っても新刊本が全くないというのはほんとうに淋しく、ものすごく文化の遅れというか、置いていかれたという気持ちが強く、心の安定のためにも書籍等の普段の流通というものが必要なのだなと感じた次第です。

 

 そして、朝方もしかしてと喜んだのですが、儚く消え去った”都市ガスの夢”。今日の新聞に、本日ガスの開栓をする地区に何丁目こそ違いますが、同じ町名が掲載されていたのです。同じ町内だし、もしかしてついでに、または隣りだから掲載しなかったのかもなどと自分に都合のいいように解釈したりして、勝手なものです。毎度のことながら。でもここまでくれば明日は我丁目でしょうと思うのですが、現実はそんなに甘くはないですか?

 

 東京電力福島第一原子力発電所の事故。昨日辺りからニュースの量としても減ってきたように感じますが、現場はどなっているのでしょうか。好転しているのでしょうか、とてもそうとは思われませんが。東京辺りでは西の方に避難する人たちが出てきているというではないですか。700キロは離れないとだめだとか。そうすると東京からだと九州あたりまで逃げないと安心はできないことになります。

 東京電力の責任は当然としてこれまでの政府の原子力行政そのものの責任も厳しく追及されなければならないでしょう。と同時にもうわれわれも便利さのみの追求を止めなければなりません。多少の不便は当然のこととして受け入れた上で、日常生活をしていけばいいのですから。水道、電気、ガスなしの生活体験をしておくことも必須でしょう。


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今日と明日は連休で、

2011-04-03 21:02:20 | お知らせ

 今日と明日が休みと思うと嬉しいです。ホッとします。

 テレビで映画を見てしまいました。ケビンコスナー主演の「ワイアット アープ」。西部劇でお馴染みの伝説的な保安官の映画です。これが長い、なんと3時間15分くらいですか。長いと思っても見てしまったのだから、それなりに面白かったのですが、ただ面白かったというだけでした。そうそうバッファローの皮をはぐシーンや山と積まれたバッファローの皮を運ぶ荷馬車のシーンは新鮮でした。

 午後から外出。ついでにガソリンが入れられそうなら入れてくるし、釣具店にも寄って見ようと思いました。GSは休みのところが多く(それでも街中からGSがとっても少なくなりました。)、会員となっているところは3時からオープンのようでしたので、その頃寄って見ようと思ったのですが、寄って見たところ今度は4時オープンという張り紙がされていたのでやめました。まだ半分残っているし。タンクローリー車はいつ来るか分からないし。

 その前に寄った釣具店でようやく鮎の雑誌を見つけました。今年初めて手にしました。PRする義理はないのですが、嬉しくなったのでついアップしてしまいました。ピンボケですが。

                     

 上の雑誌は、 COSMIC MOOKとして毎年「株式会社コスミック出版」から発売されています。税込み1,680円です。 やっぱりアユ釣りといえば、大アユ釣りですよね。数は少なくとも。

 下はこれまた毎年発売されているダイワ鮎マスターズの雑誌です。これは24回目となります。優勝した小沢 剛のことが詳しく書かれています。彼の引き釣りを何とかマスターしたいものです。

 

 下の4枚の写真は2枚が昨日の夕方、2枚は今日の午後です。いずれももうお馴染みの分流の上流域と下流域の様子です。

                 

 上流域の様子で、上が昨日2日、下は今日3日の分流です。

 

 次は分流の下流域の様子。

 

 上が2日、下は3日です。

                 

 もうお分かりでしょう、濁っているか居ないかの違いです。そうなのです、昨日は濁っていました。それは分流の上流域で工事が行われていたからです。

         

 ショベルカー2台、キャタピラー式のダンプカーが1台作業中ということは前にお知らせしていますが、ショベルカーから土砂を受け取ってダンプが土砂を運搬していたのです。本流筋がとっても幅広くなっていました。それは明日また。

            

 キャタピラー式は便利ですね。簡単に登れる。

          

 


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今だから言えますが、

2011-04-02 20:06:02 | 思いつくまま

 昨日の夕方自宅周辺で「大阪ガス」の2トントラック4台とワンボックスカーを見かけたので、あっこれはもしかして”都市ガスが使えるのか”と内心喜びました。でも、都市ガスは閉じられたまま。ガス局の広報では、私の地域のガスの開栓作業はまだとなっているので、作業には来ないのでしょうが、予定にあがっていない地域でも開栓されているようなことを聞くと、そして大阪ガスの関係者のトラック等を見たら、もしかして?と思ってしまいます。

 そして、今朝出勤途中でしたが、R48号線から南下してくるトラック軍団、そうなのです、またしても「大阪ガス」のトラック、「堺」ナンバーや「なにわ」ナンバーの車が5,6台も私の地域目掛けて?やってくるではないですか!!「これは?もしかして、もしかするかも?!」と嬉しい気持ちで職場に向かった次第です。

 でも、このガス会社のトラックは純然たる”ガス工事”のために集結して来たらしいのです。 ぬか喜びにならないように、ガス関係の車を見ても期待しないようにしようと思った次第です。 というのも、ガスが使えるようになったところは、観光バス等の大型バスで関係者が一杯やってきて、各家庭を訪問して在宅しているかどうかを確かめた上で、在宅なら開栓してガスを使えるようにしていっているようなのです。

 その話しを聞いて、32年前(もうすぐ33年になりますが)の6月を思い出しました。1978年6月12日の宮城県沖地震です。この時もガス局がガスタンクをやられたりして、ガスの供給がストップし、たくさんの職員が集められ、大型のバスに乗せられて市内各地に回され、ガスの配管のチェック、栓を閉じる作業をやらされました。半日で日に焼けてしまいました。各家庭のガスの元栓を閉めてから、ガスの配管当の工事を行い、供給できるようになったらまた職員が総動員されて今度は開栓作業を行う。ガスが相手ですから慎重にやる必要があるのですね。そういうことがありました。今回もやはりそういう作業を行うのでしょう。

 おとなしく待っていましょう。そのうち供給されるでしょうから。

 

 実は、3月11日は午前中夫婦で買い物に行きました。旅行用の靴や記念品を買うためです。買ったあとビルの地下街の食堂でお昼を食べました。

 まさかその日の午後にこんな巨大地震が起きるなんて想像谷だにできません。何故靴を買ったか?夫婦で旅行に行くためでした。一昨年はソウル、去年は台北、そして今年は香港とマカオにするつもりで、全て手配済み、あとは11日に仙台を飛び立つばかりになっていました。

 日程は3月14日(月)から17日(木)までの3泊4日です。

 あの地震とその後の大津波によって、仙台空港までも泥の海と化してしまいました。空港は確かに海沿いではありますが、津波が起こってもここまではやってこないだろう、まさかやってくるはずがないと勝手に思っていました。人間の浅知恵というのでしょうか。人智を遥かに超えた自然の猛威の前には、何と人間は無力なものか、つくづく思い知らされました。

 当然旅行は中止となり、代金も全額払い戻しされるようです。それはそれでよかったのですが、やはり飛び立ちたかったですね。うまくいかないものです。

 それにしてもここまで甚大な被害をもたらすとは・・・。あらためて亡くなられたみなさまがたのご冥福を心よりお祈り申し上げます。 合掌

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また、揺れている

2011-04-01 21:15:30 | お知らせ

 日中は感じなかったのに、夜になるとまたナマズが暴れだす。不気味に静かにどこからともなくカタカタカタと小さく音が聞こえ、と同時に座っているお尻に緩やかな振動が伝わり、徐々に強くなり、全体がきしみだす。

 午後9時過ぎになって2回揺れを感じました。

 

 今日から上野動物園では2頭のパンダのお披露目があったようです。こういう明るい話題はもっと大きく取り上げてもいいのではないでしょうか。雄のリーリー(力力)と雌のシンシン(真真)。観客にたくさんの愛嬌を振りまいたことでしょう。地震の被災者も無料で見られたとか。いいことです。何といってもパンダは癒されます。個人的には最初に日本にやってきたランランとカンカンの2頭しか見たことはありませんが、本当に小さくてとっても可愛かったのを記憶しています。20代の前半に見たのですから、40年近くも前の話しです。

 

 いろんなコンサートとかも自粛しているようですが、そろそろ開催してもいいのではないでしょうか。コンサートやいろんな興行を開催しても、被災者に対して何も失礼には当たらないと思います。もちろん全員が賛成するはずはないでしょうが、それは仕方のないことです。コンサートによって癒され、エネルギーをもらう人だって多いはずです。何でも自粛すればいいというものではないはず。どうしても気兼ねしたり、申し訳ないと思うのであれば、被災した人を招待すればいい。そういうことを繰り返していって、すこしずつ日本全体が元気になっていけばいいわけです。

 ただ、プロ野球のセリーグ、のやり方考え方はいただけない。結果的には選手会の要望も受け入れられた形になり、セ・パ同時開催ということはよかったとおもいますが、あの巨人の思い上がりはいただけない、鼻持ちならないと改めて感じました。もういまや野球はセリーグではありません、野球はパリーグなのです。人気実力ともにパリーグがプロ野球を引っ張っています。そのうち、そのパリーグのうち””楽天GE””が中心となったら最高ではないですか。

 

            ともに、前へ 仙台

 仙台市の標語のようです。簡潔明瞭、分かりやすくていいじゃないですか。

 死亡者:11,532人  不明者:16,441人  この悲しみを乗り越えていくためには、乗り越えるという表現は好ましくないように感じました。乗り越えるというとなんか忘れ去るというニュアンスが感じられます。悲しみとともに前に向かって生き続ける、それもみんなで一緒に前に進んでいく、生きている人たちばかりでなく、不幸にも亡くなってしまった人たちとも一緒に生き続ける、そういう新生「仙台」を目指していきたい。


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