鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

南三陸町 防災庁舎

2013-08-16 21:54:37 | お知らせ

 きょうも暑い一日でした。 家の奥さんは少々バテ気味で元気がありませんでしたが、休憩をとったり、ポカリを飲んだりしたらほぼ元通りの元気さを取り戻しました。 はるかに私よりも元気溌剌な奥さんでも参ってしまったこの天気、この暑さいつまで続くのでしょうか。 仙台くらいで暑いと言っては他のまちのみなさんからブーイングを食らいそうですが、やはりどこにいても暑いのは暑いのです。

 朝方川に行って活けて置いた鮎がどうなっているか、元気かどうか心配になって見に行きました。 そしたら、そしたら何となんとナント6匹も死後硬直状態でした。 ガッカリですね。 それ以上にびっくりしたのは、あの頑丈なナイロンのネットで作った生簀なのに、下の方に穴が見つかったのです。 そこに死んだ鮎が首を突っ込んでいました。 だから他の生きている鮎が逃げなかったようです。 当然逃げられません。 

 不思議なのはなんで穴が開いたのかということです。 鮎が食いかじるなんてことは全くもって無理な話で、であればなにがそうしたのか、もしかしてカニか?と思いました。カニも鮎で掛かったばかりですから。 でも余程大きいカニか、はさみの強いカニかということになります。 他にも死んだ鮎の中に腸だけ見事に食いちぎられていたアユが居たのです。 

 ということはカニはその自分で開けたであろう穴から出入りしていたということになるのでしょうか。 網の中にはカニはいませんでしたから。 水通しのいい、水深もあるところに活けて置いたのに、・・・。 自然界には人智では計り知れないことが一杯あるのでしょう。

 

 南三陸町です。 ここはさっぱり復興が進んでいないとしか思われませんでした。 例の今ではすっかり象徴的な存在となってしまった防災庁舎ですが、そのまわりの風景は2年前とほとんど変わってはいませんでした。

 

 別角度から。

 

 

 周りの風景も入れて。

 

 祭壇の様子です。

 

 この防災庁舎、後世に残すことになるのでしょうか、ならないのでしょうか。 周辺をこれからも忘れることのない記念公園にして、その中心にこの庁舎を設置する形にできないものでしょうか。 津波はこの庁舎を飲み込んだのです。 想像しようとしても、この真下に来てみると想像を絶しています。 こんなに広い地域に、こんなに高い津波が押し寄せてきたのです、現実は。 

 

 今月2回目の「男の台所」。 きょうは ターメリックライスとココナツカレー、春雨サラダ、タピオカのココナツミルク でした。 メインはココナツカレーです。 当然市販のカレールーは使いません。 ルーはニンニク、ショウガ、玉ねぎ、トウガラシ、なす、ピーマン、トマトに、サラダオイル、カレー粉、小麦粉、チキンスープの素、水でつくりました。

 食べて少し経ってから辛さがやってきます。 ショウガ、玉ねぎを細かいみじん切りにしてよく炒めることがコツでしょうか。 肉は鶏肉です。

 春雨サラダは、春雨、きくらげ、干しエビ、紫玉ねぎ、にんにく、トウガラシ、豚ひき肉、スリムねぎ、プチトマト、サニーレタスからなります。 調味料は、ナンプラー、砂糖、レモン汁、チリソースです。

 どうでしょうか? 美味そうに見えますか?いやあ、美味かったです!!!タピオカも久しぶりに食べました。

 

 みんなでいただきますを言ってから、いただくのですが、食べ終わってから各班ごとに一人づつ感想をいいあうことになっています。 事務局の人が発言のあとフォローして、最後に料理の先生が総括的な話しをしてお仕舞いです。


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第十八共徳丸

2013-08-15 21:20:30 | お知らせ

 きょうは八月十五日、世間では終戦記念日ですが、どう考えてもこれはオカシイ。

 政府広報(厚生労働省)では、『本日は、戦没者を追悼し 平和を祈念する日です』となっています。 問題はどういう形で追悼し、平和を祈念するかです。

 それを徹底するためにも、八月十五日を「敗戦の日」とすべきです。 総力戦として戦った戦争に負けたのです、中国との十五年戦争から米英相手のアジア太平洋戦争にいたるまで完膚なきまでに叩かれ負けたのです。 敗けたという認識から目をそらしてきた結果が、挑戦や中国との関係が根本的なところでうまくいかない原因です。 街頭に右翼の街宣車がはびこる原因にもなっています。 自民党が国民を騙して、誑かして蔓延るもとにもなっています。

 言いたいことはその内後でまとめて書くつもりですが、先の衆議院選挙、七月の参議院選挙で経済成長だけのために自民党に投票した人たちの責任は重いです。自民党を支持するなんて、軽挙妄動意外の何ものでもないと思っています。その気持ちはますます強くなってきています。(民主党支持派ではありませんので、念のため) きょうはこのくらいにしておきます。

 

 お盆真っ最中なので、お盆過ぎると解体される運命にある気仙沼の大型漁船「第十八共徳丸」に会ってきました。 実際にこの眼で見て確認し、脳裏に焼き付けておこうと思ったわけです。 二年五か月前の大震災を忘れないためにも、実物を、一キロ以上も陸地に打ち上げられた大型の漁船を見ておきたかったのですが、なかなか行けませんでした。

 今回お盆期間中にこそ、解体される前なのでもう時間がないので行かなければと思い、実行した次第です。 いろんなところからいろんな人が来ていました。 車、バイク、自転車(サイクリングの若い人が多かったです。)、いろんな交通手段で来ていました。

 ということで大きめの写真満載となります。 まずは全景から。

 

 

 

 凄い迫力でした。 こんなに大きい船が沖合から1キロ以上も内陸に打ち上げられるなんて!!まさに想像を超えています。 次に部分的な拡大写真です。

  (船首)

 

 (船尾)

 

 

 

 船首の水中部分のふくらみ、水の抵抗を減らすために考えられたものですが、ある意味グロテスクなくらい大きいものです。 戦艦大和の建造のときに考えられたもののようです。

 現代の漁船の選手はどうなっているか? 気仙沼魚市場前の様子です。

 

 この漁船では穴が開いていないようです(水中で見えないだけかもしれません)が、共徳丸のそれは穴が開いて中にスクリューのようなものが入っていました。

 

 拡大するとこうなります。

 

        

 船の道路を挟んで斜め向かいにはコンビニがありました。とっても混んでいました。

 

 私の個人的な考えですが、はやりこの船は後世のためにも遺構として残しておくべきと考えます。 気仙沼市のアンケートの結果、解体することになったようですが、このような悲劇を繰り返さないためにも、後世にきちんと伝え残していくためにも、風化させないためにも、被害に遭われたみなさんにとっては、確かに見るのも辛いでしょうが、”今現在だけの問題ではない”のです。 今後の大切な貴重な形のあるものとして、”将来に向けて”ずーと保管維持していくことこそが、犠牲になられた人たちにとっても報われることではないでしょうか。 解体されてしまえば風化も忘却の度合いも早まるかと思います。 もともと日本人は忘れやすい性分ですから、意識して遺産として残すべきではないかと思うのですが、みなさんはどうお考えでしょうか。


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お盆ですが、・・・

2013-08-14 21:30:12 | お知らせ

  お盆ですので、きょう午前中お墓参りに行きました。 回るのは3か所で、いずれも市内。 江戸j代からのお寺が二つに、市民墓地が一つで、家のお寺があるところには親戚のお墓が4基ありますので、効率よく回ることができます。

 昼食後軽く昼寝をして、少し迷いましたが川へ行くことにしました。 やはりお盆期間中の殺生は気が引けます。 これは子どもの頃から言われていたことで、小さいときは、いや20代までは律儀にその言い付けを守ったものです。 川に入りたくても、他の釣り人の釣りをじっと羨ましそうに眺めているだけでした。中年を過ぎてからは破ることが多くなり何とも思わなくなりましたが、高齢になるにつれてまたお盆期間に殺生をするのは如何なものかと思うようになってきた次第です。

 それで、一計を案じました。 殺さないことは守る、でも傷つけることは我慢してもらう、ということでお盆期間中釣った鮎は極力すべてを生かしておくということにしました。 お笑いになるかもしれませんが、そうすることで少しでも心の負担が軽くなっています。 死なないように活かしておくためにはどうすればいいか、曳舟とか友カンとかの容器でなく、水通しのいい容器に入れるの限る、ということでこの前つくったネットの生簀です。 これはどこからでも水が通ります。 100%完璧な水通しです。

 

 きのう活けて置いた8匹の鮎はすべて元気でした。このネット生簀は大きいので10匹以上入れても水深さえあれば十分当分の間は生き続けられます(と思っています)。

 8匹から3匹を選んで曳舟へ。 いつものところへ向かいました。澱橋と牛越橋の間の広瀬川ですが、下流半分には釣り人はなし、上流側半分には私を入れて5人の釣り人という状況です。 下流側は見放されているようです。

 観音淵の下流の長い広い押しの強い平瀬の瀬尻にオトリを入れます。午後2時からスタート。 段々瀬の上の平瀬にオトリを入れます。 待つこと5分、オトリの付近で鮎がヒラを打つのが見えたように感じました。 もしかして掛かったかもとは思いながらも引きがなかったので、恐る恐る竿を立てたところ掛かり鮎が動き出しました。 段々瀬に入られないように強引に左岸に寄せます。 何とか左岸に寄ってきたので、もう少し浅瀬に誘導してから抜けばよかったのですが、まだ白波が立っているところで強引に抜きの体制に入ったところ、飛んできたのはオトリ鮎のみ、肝心の掛かり鮎は逃げていきました。 大きかったのになあ~ 逃がした魚は大きいものです。 最初の1匹はどんな時でも大事に対応しないといけませんね。        (写真はいつもと違えて、右岸側から撮りました。)

 

 その後気を取り直して、段々の瀬で泳がせます。 いるんですねえ、掛かるんですねえ、掛かり鮎は対岸の浅瀬の方に逃げようとします。そこを堪えて左岸に寄せて引き抜きました。 22センチくらいかな、とても25センチには及びません。 オトリを交換して今度は段々瀬の流芯を泳がせていると、またしても当たりがあり、今度は割と楽に抜けました。

 

 さらに下流の流れが絞られている岩盤底の急瀬にオトリを入れます。 この前といってもきのうですね、きのうは手応えがあったのですが、きょうは全く反応なしでした。 ここでは3匹掛けて取り込み2匹でした。

 

 それでまたしてもさらに上流の牛越橋下流の瀬に向かいました。ここには4人の釣り人がいました。ほとんどがガラガケで、友釣りは一人のみ。 何度も書いていますが、この付近もポイントは右岸側となります。

 でも釣られたのでしょうか。 掛かりません。 きのうとは雲泥の差。一体どうしたというのでしょうか。 他の人の竿も曲がってはいないようですし、先客は納竿し始めています。 結論から言うとここでは2匹掛けました。 2匹取り込みました。 

 でも、あろうことか根掛かりをしてしまいました。外しに入っていくのはちょっとためらわれました。足の付け根以上に深いところに入っていくのは、とくにそこが流れの速い瀬であればなおのこと怖いです。 だから何とかはずそうと竿が折れない程度に煽って外そうとしましたが、何となんとナント天上糸の結び目から切れてしまいました。 つまりは水中糸の仕掛けすべてをパーにしたわけです。 これでマイナス1匹。

 ところが人生は何があるか分かりません。 こんなこともあるんですね。 水中糸の仕掛けすべてを失ったため、新たに天上糸から水中糸(ナイロンの0.3号)、ハナカン回りをセットし直して、ほぼ同じところを泳がせました。 するとなにやら動きがおかしい。 重かったですが、引き上げてみると何やら糸が、長い糸が付いて来ました。 ああ、ガラガケの仕掛けかと思いつつ糸を手繰り寄せると、その糸は天上糸と水中糸が付いたままの鮎釣りの 仕掛け、おまけにハナカンのついた鮎も付いていました。 でも手繰り寄せる途中で糸が切れてしまいました。鮎は元気そうに泳いでいました。 惜しかった!ゲットしたかった!

 さらにもう一つの出来事がありました。 これも極めて珍しいことです。 長いこと鮎釣りをしていますがこんなことは初めてでしょう。 右岸へチの瀬にオトリを入れていた時、まさかの根掛かり。 竿を前後に煽っても外れません。 まっすぐには入って行けないので、下流側からならもしかして近付けるかもしれないと思って、下がりはじめたら重いなりに根掛かりが動き始めました。 黒っぽいものがオトリ鮎の後ろにくっついています。 はじめはゴミかなと思いました。 でも何だったと思いますか? それは結構大きな””カニ””だったのです。

 ヨシノボリやカジカ、ハヤ、二ゴイ、ヤマメ、オイカワは掛かったことがありますが、カニははじめてです。 足を曲げていても20センチ近くもあったでしょうか、下手に掴むと挟みに挟まれそうで、ハリ掛かりのままタモに入れようとしたら、敵は足を残して水中に消え去りました。 その証拠写真です。 カニが鮎を食べようとしたのでしょうか。たまたまカニの足がハリに刺さってしまったということでしょうか。

  (中央上部にハリが見えます。)

 2匹目は掛かりどころが悪く、腹掛かりだったので、リリースしました。 

 

 ということで4時30分に納竿しました。掛けて取り込んだのは3匹ですが、キープは2匹でした。(確保してから逃がしてやった鮎が1匹)  きのうと大きく異なる点は、鮎が少なくなったと感じたことと型が小さくなってきたなということです。 もっとも小さいとは言っても22センチはありますが、24、25センチは掛からなかったということです。

 帰りの川の中での邂逅です。 変化に乏しい澱んでいる浅瀬にいました。 近付いてもなかなか逃げませんでした。 綺麗です。

 

 ということできょうはいろんな変化経験があった2時間30分でした。

 (オマケ) 

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お盆ですね、

2013-08-13 22:25:37 | 広瀬川

 きのう夜の大崎八幡宮 御鎮座記念祭 はとってもよかったです。 今年で18回目となるなんて、地元に居ながら全く分からなかったなんて恥ずかしい次第です。 日中はとても暑かったのですが、夕方になるとどこからともなく爽やかな風が癒しを与えてくれます。 

 

 

 何と幽玄な舞と雅楽であることか!!夜になり、4つの篝火(後でもう一つ追加)に火が灯され、一瞬聞こえるのは蝉の声のみ。 11人による雅楽の演奏、太鼓・笛・笙等が不協和音?を奏でます。 笙の音は音楽に深みと幅を与えてくれるのですね。 こんなにも心に染み入るなんて予想もしていませんでした。 一緒に見、聴いた友人はこう言っていました、「日本人に生まれてよかった」と。

 演奏は1時間15分でした。参考までに演目は以下の通りです。

 一 今様 白薄様  ニ 管弦 太食調音取 合歓塩 三 神前神楽 青葉の舞 四 管弦 抜頭 五 御神楽 其駒ー人長舞 六 神前神楽 浦安の舞 七 退出音声 長慶子 

 演奏終了後の大崎八幡宮本殿です。 余韻がこの空間全体に漂っています。

 

  

 きょうは午前中友人が所属する絵画展に行って来ました。県立美術館ですので、散歩を兼ねて夫婦で歩いて行きました。 澱橋から上流を撮ったものです。 大分水位は下がっています。 いつもならここはいい鮎釣りポイントなのですが、ご覧のように釣り人は誰もいません。 (午後ですが、もっと上流に行くと釣り人は私を入れて6人いました。)

          

 きょうも午後1時30分から4時30分まで3時間竿を出しました。 一昨日活けて置いたオトリですが、3匹のうち2匹が死後硬直の状態で、辛うじて1匹だけが生きていました。 魚体は全体に薄くなってどこから見ても元気がなくなっているのがわかります。 でもオトリはそれしかないので、何とか瀕死の状態の魚体にムチ打って頑張ってもらわなければなりません。

 観音淵の下流側の押しの強い平瀬が長く続くところから竿を出しました。 そうそう仕掛けはナイロンの0.3号(この前と同じものではないです)、竿は久しぶりにシマノの スペシャル豪腕尺鮎90-95 にしました。数こそ少ないですが、大きい型の鮎が掛かるようになったので、出番となったわけです。

 案の定オトリはノーマルでは泳いでくれませんので、背バリにしてみましたがそれでももたず、仕方がないので3号のおもりにしました。 おもりの位置は中り鮎に近いところにセットしました。 これなら何とか川底に入れられます。 でも、流れの弱いところではあまりの貧相さに野鮎も見放すのではないかと思われ、こうなれば野鮎をごまかすために、白泡の立つ瀬に入れてじっと我慢して待つより他なしと判断しました。

 昔最上川の上流域でやったことがあります。オトリがすっかり弱ってしまい、どうにもしようがなくなって白泡の瀬に入れて掛かってくれることを祈願したところ何とか掛かってくれて、その後は怒涛の入れ掛かりとなったことがありました。

 

 この写真を見ただけではちょっとわからないかもしれませんが、急瀬であってもその中で幾分全体的に流れが緩やかなエリアがありました。そこで希望的観測を持って待ったわけです。 10分後か、強い当たりが伝わってきて、掛かり鮎は一気に対岸の右岸の方に走ります。伸されそうです。必死に転ばないようにして下ります。何とか左岸の緩やかな流れに導こうと下がりながら流芯を横切らせます。 そしてようやくゲットしました。これです。

  下がオトリ、上が掛かり鮎

いやあ、ホッとしました。これでようやく何とか鮎釣りができる!嬉しかったです。天にも昇る気持ちでした。 オトリを代えて段々瀬を泳がせますが、掛かりません。 さらに下って岩盤底の絞られている流れにオトリを入れました。 こういうところです。

 

 そしたらすぐに竿が重くなり、下流側に持って行かれます。 初めはエビになったかと思ったのですが、掛かっていたのです。 慎重に溜めて下って取り込み。 再度オトリを送り出したら、一気に竿が絞られました。ちょっと想定外だったため慌てました。そのためか流れに乗ってしまってなかなか引き抜けず、とうとうバラシテしまいました。 もったいないことです。

 その後は一昨日いい思いをした牛越橋下流の急瀬に向かいました。 一日置いているのでもしかしたら釣れるかもしれないと思って。 ここにはガラガケの人と、友釣りの人がいました。もっと橋の方にも二人の釣り人の姿が見えました。

 一昨日すぐに掛かった岩盤底の急瀬では、残念ながらお呼びではなかった。釣り下って急瀬の右岸よりの瀬を攻めることにしました。 そしたらようやく掛かりはじめました。 しかしながら竿が硬かったせいか、2回もバラシです。 伸されようとするところを必死に堪えて、下がって左岸に寄せようと努力します。そして抜こうとするのですが、浮いて来ないのです。 そうこうするうちに2匹もバレテしまいました。辛かったですね。 ここで2回もバラシました。

 

 1回は本当に強烈な当たりでした。豪腕尺鮎が大きく弧を描きます。耐えます。この瞬間が堪りません。 (時間がなくなってきました)

 でもその後は水中でのバレが1回あっただけで、何とか引き抜きキャッチすることができました。 瀬での鮎釣りは本当に楽しいものです。 こういう経験をすることができてありがたいことです。

 1時30分から4時30分までの結果はキープが8匹でした。 1匹は20センチくらいと小さかったですが、他は22から24センチはありました。 バラシ分を含めるとツ抜けできたのですが、その楽しみはとっておきましょう。

  (おとり1匹あり)

 

 いつまで楽しめるか? 少しでも長く楽しめればありがたいのですが。

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広瀬川の大アユ

2013-08-12 14:44:46 | 広瀬川

 きょうも暑いですね。 暑さに負けたりしてませんか。 何はともあれ水分補給、ちょっとした休養、これに尽きます。 暑いからと言って、クーラーの効いた部屋の中だけで生活していてはよろしくないと思いますが。 これはクーラーのない我が家の負け惜しみです。 緑のカーテンとすだれと扇風機と自然の風で生活しています。(どうでもいいことですが)

 ちょっと見てください。 これは何だと思いますか?

 

 分流の上流口で見つけました。 卵ですが何の?

                    

 非常に小さい卵が普通の石にびっしりと付着しています。 オタマジャクシということはないし、魚としても何の魚でしょうか? カジカガエル? ハヤ? ヨシノボリ? この歳になって始めてみる卵と思います。

 そして10日午前のアブラハヤです。

 

 これは11日のアブラハヤ。

   

 お分かりでしょうか? そうなのです、10日午前中は生きていたのに、午後になって1匹急逝してしまいました。 なぜなのでしょうか? もしかしてハヤの熱中症?かな。 水温が上昇して我慢できなくなったのかも。 水槽の水は循環しているのですが、測ってみたら30度ありました。 この頃の広瀬川の水温は高くても25度くらいですか。本物の川よりも暑いのは確かです。 残念ですがまた1匹亡くなってしまいました。2ヶ月半の観賞魚としての命でした。

 

 さてここからが本題です。いつも前書きが長くてすみません。 きのう11日午後です。午後2時から4時まで竿を出しました。 今年初めてナイロンを使いました。 0.3号nナイロン、竿はシマノの輝石90 H2.75、このくらいの硬さがあれば大丈夫だろうと思っていたのですが、・・・。

 おとといの活けて置いたオトリは元気でした。ホッとしました。 それをもって上流側へ。 観音淵の下流の長く広い平瀬が続くところです。 何としてもここで1匹は掛けたいと思っていたのですが、ようやく下の瀬頭付近で掛かりました。 このときのオトリは前の日にたっぷりと使用したオトリだったので、久しぶりに背バリを使いました。

 

 掛かり鮎に下流の瀬に逃げられたら取り込みが大変になるので、やや右岸側から強引に引き抜きました。 無事キャッチ!!嬉しいですね。 時に2時15分。 開始から15分経過です。

 それで今度はもっと上流から釣り下ろうと思ました。そうそう釣り人は私を入れてたったの二人だけでした。 日曜日ですよ、日曜日の昼過ぎというのに、この広い河原に釣り人二人のみ。 もうすっかり広瀬川は諦められているということの表れとみるべきなのでしょうか。 何にしても淋しいものです。

 そうそう10日の土曜日でも、観音淵周辺には3人くらいしかいませんでしたね。いるのはセミ、ミンミンゼミやアブラゼミだけではなく、ツクツクホーシも鳴いていました。ちょっと早いのでは?と思いますが。 それとカジカガエル、いい音色です。

 牛越橋の下流の岩盤底から急瀬が長く続く場所です。 写真は川に立ったところから見える牛越橋の様子です。 テント持参でのバーベキュー大会会場みたいな雰囲気です。もうすっかり夏の定番になってしまいました。

 

 下のとってもいい川相のところから竿を出しました。2時30分くらいからのスタートです。元気のいいオトリでしたので、ノーマル仕掛けです。 それでも十分潜ってくれました。

 

 いい瀬ですね。川底もいろいろに変化しています。 ここで掛かったのです。5分も経たないうちに竿が下流に持って行かれます。 当たり自体は強くない。 これが少々不満ですね。 こちとらとしては「ガツーン」という強烈な当たりを、そして竿が一気に弧を描くのが楽しみなのですが。

 

 10分くらいに1匹の割合と言ってもいいでしょうか。 掛かるのです。 もしかしてここの急瀬は「竿抜け」だったのかも。 今回は敢えてその川の部分で一番の急瀬で釣ってみようと思った次第です。 だから急瀬を釣り下ることになります。

 

 この下の右岸側の瀬ではざっと見ても24センチはあるだろうという鮎が掛かりました。でもそういう場合でも、当たりはいまいちなのです。 でも掛かってからがすごいです。 大体は下流に走りますが、2,3匹は対岸に走ったりもしました。 だから引き寄せて引き抜くのがこれまた大変!!なのですが、それが楽しい、鮎釣りの醍醐味でもあります。

 

 ナイロンの0,3号ですので丈夫です。抜こうとしても竿が柔らかいためかなかなか掛かり鮎が浮いて来ません。 近付いてくるばかりで、3メートルほどの距離になってようやく水面ぎりぎりを飛んで来たりの繰り返し。 ただ1回の当たりは強くて、竿も一気に曲がったのですが、竿を立てたところバレテしまったことがありました。 バラシは1回だけで、取り込みは結局6匹でした。7回掛けたことになります。

  (いいハミ跡です)

 夜は第9合唱の結団式と練習がありますので、時間に追われなければもっとじっくりと時間をかけて同じところを攻めたりすればもっと掛かったのかもしれませんが、それは何とも言えないところです。 どう贔屓目に見ても数は少ないだろうと思うからです。 その意味では拾い釣りが結果的に良かったのかもしれません。

  11日の釣果(オトリ2匹込)

 元気いいです。 

 いい型でしょう。 ようやくいつもの広瀬川らしい鮎が釣れました。 ハリはどういう訳か「3本イカリ」、それも6.5号か7号くらいの小さめでした。

 

 24センチと言っていいでしょう。 大きい鮎は義父に持って行きました。 酒の肴にちょうどいいし、美味しく食べてくれますので。 広瀬川のアユの義父への献上は初めてでした。ようやく責任を果たせました。

 

 ということで広瀬川にもいるところにはいるという、当たり前のことになります。 深い誰も竿を出していないようなところが狙い目だったのでしょう。 だから今回はたまたま幸運に恵まれたというだけだと思います。 次回も同じような結果が出たら最高ですね。でも無理でしょう、続かないでしょうから。

 

 よるは大崎八幡宮の「御鎮座記念祭」に行って来ます。

 

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2年5ヶ月

2013-08-11 23:24:58 | お知らせ

 暑い! 早い! でも忘れるわけにはいきません。 もう午後11時30分近く。 きょうは午前中閖上へ行き、午後は広瀬川で2時間ばかり竿を出し、夜は第九合唱の結団式と練習がありました。 それぞれいろいろと書きたいことが一杯ありましたが、時間の関係で閖上についてお知らせします。

 写真が多くなります。 閖上の現状をご覧いただき、先の大震災のことを決して忘れないように個人的にもお願いしたいと思っています。

 閖上中学校の校庭側の様子です。

 

 昭和55年に閖上中学校は完成しました。それを記念して作られたものです。

          「校訓の像」です。

  学校入り口の右側の七夕飾り

  学校正面

 記念碑の右側の校舎入り口の千羽鶴鶴です。

 

 「一日も早い復興を願って、鶴をおりました。私たちも大震災を忘れません。 横浜市立小雀小学校 有志一同」

 

 

 

 

 日和山です。

 

 県外ナンバーの車が結構ありましたが、千葉県の大学生たちが大型バスでやってきました。 みんな日和山の頂上で神妙に語り部の話しを聞いていました。

  日和山の千羽鶴

 2011年3月11日 午後2時46分 何があったか、決して忘れてはなりません。 日本人はすべての面において”健忘症”気味ですので、意識して忘れないようにしていかないといけません。 忘れない!これこそが連帯の絆です。

 


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35.6度

2013-08-10 22:08:07 | お知らせ

 きのうの秋田や岩手北部の集中豪雨、すごい降りようだったのですね。 水位計で見てびっくりです。 広瀬川の鮎の友釣りはもう期待できないので、これからはせめて最上川や北上川に淡い期待を寄せていたのですが、・・・。 北上川の紫波町付近の水位の変化です。

 午前9時:△0.93 (去年の水位は、△1.17前後。 あと30センチも減水すれば川に入れるなと喜んでいました。) 10時:△0.75、 11時:0.28、 12時:1.23、 16時:3.64、 17時:4.20、 18時:4.50、 19時:4.61(最高値、あとは徐々に減水)

 一気に約5メートルも水位が上昇したことになるのでしょう。 凄いを超えて、恐ろしいですよね。 

 被害のなかった仙台では川に入れました。 何でも仙台の最高気温は35.6度とか、川に入っていた身としては、とてもそんなに暑い感じはなかったです。 川のありがたさでしょうか。 腰近くまで入るとヒンヤリとして、気持ちよかったです。 

 「にゃ」さんが朝から川に入っているということで、たくさん掛かっていることを期待しながら、いつ川に行くか考えながら新聞を読んでいました。いい御身分です。 川相は最高にいいのですが、だからといって鮎が掛かる、鮎がいるということにはなりません。 まず様子を見に行こうかなと思いつつも、どうせならやろうと思いつつ実行できないでいた、毛鉤の流し釣りもやってみようかと思い、その準備をして”例のところ”に行きました。

 竿は6.3メートルの渓流竿、毛鉤は5本セット、スリムウエダーに曳舟、タモ網という格好。 「にゃ」さんはいつものところで竿を振っていました。 挨拶をして釣果を聞くと「15匹くらい」とか。 朝の6時からスタートしているとのことで、4時間弱で15匹とは、今の広瀬川にすれば最高の釣果と言っていいのではないでしょうか!!

 ガラガケでは掛かる、鮎はいることはいる。 あとは追うかどうかのみ。 友釣りのときに鮎を拝借することをお願いし(快く了解していただきました。)、まずは毛鉤での鮎釣りに挑戦です。 こういう浅いところで渓流竿を振りました。

 

 毛鉤が5つも着いているのでからまないように振り込むのはそれなりの技量が必要です。といっても何回もからみましたが。 最初は浅瀬で、ククッという当たりがあるので、合わせるのですが掛かりません。3,4回は掛かりませんでした。

 この毛鉤は小さくて返しがありません。この釣りは向こう合せでいいはずだと思い、その後は当たりがあっても慌てずにそのままにしてハリ掛かりを待つようにしたら、何とか掛かり出しました。

   

 でもハヤばかりです。 水流のあるところを流しても全く反応はありません。浅瀬でしか反応がなく、ということは小さいハヤしか掛からないということです。 10時から11時頃で終了しました。 鮎が浅場にも出てくるくらいに多ければ、この毛鉤仕掛けでもかかるのでしょうが、この分ではもう出番はないでしょう。

 いったん帰宅し、軽く食べてから再度同じところへ。 「にゃ」さんからオトリを借用して釣りを始めたのは12時過ぎでした。 その前にこれだけ掛けていました。

 

 どうです? すごいでしょう! 小さいのは14センチくらいか、大きいのは22センチはあったでしょう。大きさにムラがあります。 ではあってもこれだけ掛かればもう文句なしです。

 やや大きめのオトリを2匹お借りして、最初は瀬頭に入ったのですが、流れがきつくオトリにはまだ無理と判断して、上流右岸に向かいました。 水深は70センチ前後でしょうか。 いい感じの石が入っており、ハミ跡も結構あります。

 15分位した頃でしょうか、強くはないが重い感じの当たりがあり、下っていきます。伸されそうになりましたが、無理をして引き抜こうとしたらそこでバレてしまいました。 下っていって十分に竿が立つようなところで引き抜けば大丈夫だったのでしょうが、後のまつりです。

 その後はまったく掛かりません。掛かりそうにも感じませんでした。

 

 こんなにいい川相なんですが。 なぜ友釣りでは掛からないのか? 追い気がないから、縄張りを持たないからでしょうが、それでもお前たちは鮎か!とカツを入れたい気持ちです。

 

 水温は23度くらいでした。 2時30分頃か、「にゃ」さんとお別れし、下流で竿を出すことにしました。 新しいオトリを2匹厚かましくも頂戴しました。 快諾してくれました「にゃ」さん、本当にお世話になりました。ありがとうございます。 こうなれば?これからもよろしくお願いします!!

 

 「新兵淵」で竿を出しましたが、ウントモスントモいいません。 右岸側にガラガケの人がいました。 いい流れなのですが、・・・。岩盤が多い瀬にはまだ居つかないのでしょうか。

 こうなれば美術館下の岩盤の深い大きい溝しかないと思い、おもり3号を付けて沈めます。ずーと釣り下っていよいよ最後の溝の瀬へ。 ここで掛かったのです、見事に。 しかし、その時は目印を見ていませんでした。 一気に引っ張られて掛かったと気が付きました。 あと3メートルくらいのところには強い瀬があり、そこに入られたら何メートルも下ることになります。 少々強引に引く抜こうと必死に竿を溜め浮かそうとしますが、敵も然るもの抵抗します。竿はシマノの”珪石”、信頼がおけますので瀬に入られないように堪え、浮かせます。浮いたら躊躇せず引き抜きました。

 

 22センチはあるでしょう、見事な鮎でした。追い気が感じられる鮎です。

 

 その後澱橋上流の瀬に入ったのですが、反応は全くなかったです、残念ながら。

 というわけで、4時に納竿しましたが、掛けたのはたったの1匹でした。 広瀬川での友釣りはもう無理なのでしょうか? そうは思いたくはないのですが、16日からは投網も解禁です。 友釣りで掛からず、ガラガケで掛かるのであれば、投網でも採れるでしょう。

 これからどういう展開になるのか? 何回かはいい思いをするのではないかと勝手に期待してしまう自分は何と言う ”あまちゃん” でしょうか!?

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長崎原爆の日

2013-08-09 16:35:59 | 思いつくまま

  きょう8月9日は長崎原爆の日ですが、6日の広島原爆の日に因んで書かせていただきます。

 6日の朝日新聞の記事です。

 

 ここで「原爆の子」のことが語られています。  小島純也さんの記事が中心ですが、最後の方に『はだしのゲン』の作者中沢啓治さんにも触れています。 この記事で初めて知りました、『原爆の子』のなかに中沢啓治さんも載っているということを。

 それで奥の倉庫を探しました。 思っていたよりも早く見つかりました。 この本です。

 初版は昭和26年です。

  持っているのは、昭和43年第24刷 です。

 昭和43年というと私が大学生の時です。 今でも覚えています、読みながら泣きに泣いたことを。 もう涙が止まりませんでした。 止めることができませんでした。 本を読んでこんなにも泣けて泣けてどうしようもなかった本はこの本が初めてです。 その後もこの本のような強烈な印象をもった本には出会っていません。

 本の最後の方のあとがきの前のページに感想?みたいな文章が書かれていました。しかもローマ字でです。 ローマ字というと有名なのは石川啄木の、その名も「ローマ字日記」(岩波文庫)でしょうか。 桑原武夫が推薦の言葉を書いていたように記憶しています。別にそれを真似したわけではないのでしょうが、日本語ではなく、ローマ字にしなくてはならなかったくらいに深い強い感動を覚えてしまったからなのでしょう。

 こんなことが書かれていました。

 … Gizendeha Gomakashideha nainoka?  Donanda  Oreha Iikagenda mada mada Jikomanzokuda  Jikogiman sosite Amae ・・・

 『はだしのゲン』の愛読者でもあり、子どもたちにも伝えてきたつもりですが、「原爆の子」のどこに中沢啓治さんの手記が載っているのか探しました。 何回も何回も全頁をめくったのですがその名前が出てきません。  この本は目次がありません。 長い長い”序”があって、すぐにー廣島の少年少女のうったえーが続きます。 だから全頁を見てみないとどこに掲載されているのか分かりません。

 そのうち、あっそうか、もしかして”序”に引用されているのかもと思いまして、長田新さんの”序”を見ていくとありました、27ページです。

 

 部分的な拡大です。

 

 これは編者の長田新さんが「私は原爆投下の瞬間に忽ち地獄と化した惨状を、はっきり読者の目の前に浮かびださせる意図で、八時十五分直前の様子を、当時満三・四・五・六歳の子供達や、当時小学一・二・三年であった子供達の手記に聞いてみよう。」という考えで、”序”に取り上げているものです。

 そして新聞記事の小島純也さんです。 生後10カ月で母が病死。5歳の時に原爆で父、祖父母を失い、孤児となり、叔父夫婦に引き取られた小島さん。 小学6年の時に書いた作文が本に先行して雑誌「世界」に掲載されたのが叔父夫婦には気に入らなかった。『不幸』という文字があったから。

 『遠足の弁当にはみそを塗った麦ごはんしか与えられず、隠れて食べた。運動会も一人ぼっち。天井裏で寝起きさせられ、鉛筆も衣服も小遣いももらえなかった。』

 小島純也さんの手記を掲載させていただきます。

 

 ≪ もう原子ばくだんから六年たっています。ぼくは、今は満十一歳です。いよいよ大きくなり、元気に勉強して、あそんでいます。

 ぼくは小さいときから、お母さんはおられなくても、おばあさんやお父さんに大きくしてもらいました。

 ぼくは五歳のとき、原子ばくだんにあいました。原子ばくだんのとき、お父さんは、やくしょにいっておられました。そのとき、どくをすわれたものですから、いなかにこられたときは、もう、からだに、はんてんをいっぱいこさえて、死なれました。ぼくは、お父さんが、とてもとても、かわいそうでなりませんでした。ぼくはなんともいえない感じでした。ぼくは、それから、おやがおらなくなって、不幸です。

 今では、こんなに大きくなりました。ぼくは、お父さんやお母さんに、かんしゃしています。もう原子ばくだんから、六年たっています。原子ばくだんのまえは、幸福であったが、今ごろは不幸になってしまいました。でも、ぼくは、うちに家におらしてもらうだけ、まだ幸福です。なかなか、お父さんお母さんがおらないと、不幸なことだと頭にうかべています。

 いよいよ小学校の六年になって、大きくなりました。原子ばくだんで、ぼくは、ゆくえふめいにならなくてよかったと思います。中には、ゆくえふめいになった人もいるでしょう。

 それから、ぼくを大きくしてもらったおばあさんは、昭和三十三年にしなれたのです。お父さんや、お母さんが、おられなくなってから、約四年というものは、おばあさんにそだててもらったのです。ぼくは、おばあさんに、ありがとうといいます。

 やさしいお父さん、お母さんが、おられなくなってからというものは、不幸なものです。おやも、きょうだいも、おらないから、さびしいものです。ぼくは、お父さんがなくなったときは、りょうがんから、なみだが、ぽろぽろこぼれました。そのきもちで、お父さんお母さんにかんしゃしよります。ぼくがすることを、お父さん、お母さんが、みなみよってんだ、とおもって、なんでも、しよります。

 ぼくを三月にうんで、十一月に死なれたのだから、お母さんをみたことがりません。お母さんや、お父さんを、もう一回だけでもよいから、みたいのだが、もう二どと、ふたたび、みられないでしょう。 ≫

 今月に「原爆の子」の続編というのか、「『原爆の子』その後」が発売されるということです。 本の泉社発行  A5版256ページ  定価税込1575円 ということです。

 その本の中に、小島さんは 【いいんです、貧乏でも。わたしなりのプライドはもっています。弱い立場の人の気持ちは少しはわかるつもりです】 と書いているそうです。

 {原爆孤児として生きる私も無念だが、私を残して亡くなった父たちこそ無念だったと思う。父の代弁者のつもりで書きました。}

                        犠牲になられた皆様方に  合掌


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小国川フリーフィッシング?

2013-08-08 22:47:20 | 小国川

 きょうあすの広瀬川は友釣りは無理だろうと判断し、近場で川に入れそうなところを探すと”小国川”しかありませんでした。

 ということでゆっくり山形県小国川へ釣行してきました。 結果は改めて申し上げるほどのことはありません、まったくありません。 が、やはり正直に結果を報告しておかないと、無責任のそしりを免れません(評価はみなさんです)ので、時系列に書いていきます。

 きょうの小国川釣行は何が何でも鮎を釣るのだ!というのではなく、急瀬や荒瀬でおもりを使って鮎を掛けるということに拘ってみようかと思った次第です。 背バリからすっかりおもりへと重心が移動しています。 

 大きく3つに分類していました。 上流から ① 長沢堰堤の下流の急瀬(荒瀬) ② 経壇原下流の急瀬(荒瀬) ③ 一関大橋の下流の荒瀬 という具合です。

 ① 長沢堰堤下流; 9時15分から10時30分の1時間15分  釣果は3匹

 

 上の写真の上の方の右側の瀬で10分後に掛かりました。 しかし、掛かりどころが悪かったのでしょう、オトリとして送り出すと2号のおもりも負けてしまって、浮き上がる始末でした。 すぐにお亡くなりになりました。

 

 その後上下の瀬で竿を出しました。 3匹掛けたのですが、愚かにも1回はタモで受けるのにオトリの方を受けてしまって、肝心の掛かり鮎はタモの上を通り過ぎ水中へ回避してしまいました。

 

 当たりもいい当たりだし、2匹目の時はなかなか上がって来ないので、もしかして大きなハヤか二ゴイかなと思ったりもしたのですが、実際にタモに入ったのは20センチあるかないかくらいの大きさでした。

 ② 経壇原下流;11時から11時45分   釣果1匹

 ここでの釣りの写真はありません、 がまかつの大会の時に入った急瀬・荒瀬です。(7月25日のブログをご覧ください) 5分後に大きめの鮎が1匹タモに収まりました。 2回目は30分後くらいですか、大きな黒っぽい石の上流側を泳がせていたら、強烈な当たりと引きが伝わってきました。 竿が一気に弧を描きます。 よし来た!と喜び勇んで竿を寝かせたら、”ハイ、ソレマ~デ~ヨ”となりました。 これが悔しいのです。

 11時45分頃に何となんとナント 痛恨の根掛かりでした。 アチャ~ です。 どうしても外れないので、竿を畳み、天井糸を持って引っ張るよりほかはないと判断するも、何と言うことでしょうか、天上糸が芯竿から離れていくではないですか。 鮎だけでなく、ハナカンから水中糸、天上糸まですべての仕掛けがパ~となりました。それで経壇原をお仕舞としました。

 ≪昼食は、一関大橋下流の釣りの様子を見ながら食べました。≫

 ③ 一関大橋下流;12時35分から13時   釣果1匹

 こういう押しの強い、そこ流れの強い瀬です。大きな石がないだけ、流れ自体は見た目以上に厳しく強いのです。 ① ②では鮎が入ったのですが、ここではなかなか入ってくれません。3号のおもりにしてもダメでした。

 

 結局ここで掛かったのは思わず笑ってしまう大きさ、12センチくらいのチビ鮎でした。まだこんな小さい鮎がいるのかと感心した次第です。

 大会の決勝戦に使われる一関大橋下流は、水位も下がり、本当に申し分のない川相となっています。 川底の石も滑るようになってきたし、ハミ跡は至る所にあります。 この分ならどこでも釣れそうなのですが、そうはいかないのです。

 

 

 そうそうオトリを買った時も言われました。 水量は丁度いいけど、掛かるところと掛からないところがはっきりしている、と。

 きょうの小国川も私にとってはとっても厳しいものとなってしまいましたが、そこそこ瀬釣りの楽しさを味わうことができました。 ほぼ午前中の釣りということになってしまいましたが、猛暑の中、川に入って竿を出すことができたことに感謝です。

 これが23センチとか25センチくらいの鮎が急流で掛かってくれたら最高ですねえ~。 ということで5匹はキープしたのですが、根掛かり喪失がありましたので、最終的にはたったの4匹という釣果となります。お恥ずかしい次第です。 この分では小国川へはもっと通うことになりそうです。ほかにいい河川がないこともあります。

 

 最後に、いました! お待たせしました!!例の猫です。 何事もなかったかのように、堤防で憩っていました。 午後5時頃です。

   

 猫と同じころの分流です。

            

 

 ※ 何かすみません。睡魔によりまとまりのない記事となってしまいました。もう眠くて限界です。 体力の無さを痛感します。

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またしても振り出しに・・・

2013-08-07 14:57:40 | 広瀬川

  きのうは短時間で3匹(うち1匹はハヤ)釣れて、養殖アユともども4匹をネットに活けて置いたので、今日あたりからは毎日川に入ろうかなと内心喜んでいたのです。

 そして家についたら嬉しい便りが待っていました。

 

 8月5日付けで仙フィル事務局長よりオーディションの結果通知書が届いていました。心配をおかけしましたが、今年も無事『合格』いたしました。 これもひとえに皆様方のご支援の賜物とこの場をお借りして厚く御礼申し上げます。

 

 11日(日)夜、結団式と練習があります。いよいよ本番い向けて動き出します。 まずは10月6日(日)仙クラのフィナーレがイズミティ21大ホールであり、本番は12月21日(土)「第九」特別演奏会が東京エレクトロンホール宮城であります。 健康に注意しながら練習に臨み、最高の演奏会となりますように努力いたします。

   

 ということで、きのうはいいことが続いたのですが、・・・。 夜にPCをいつものように開き、お気に入りの中の何項目かをチェックするのですが、広瀬川に本当に久しぶりに入ったのでその時の水位はどうだったのか国土交通省の水位データでチェックしました。

 

 何かオカシイ?何だこの数値は?何かの間違いではないか?と我が目を疑いました。「広瀬橋」付近の水位なのですが、午後三時は△0.82でした。 その後雨が降ったので少しは増加しているとは思いましたが、六時:△0.70、七時:0.26、八時:0.00、九時:△0.16 という推移となっていました。

               

 三時間後に12センチ増えて、7時には44センチも増えています。かなりの増水です。ダムの放水の場合は近くのサイレンが鳴り響きますが、サイレンは聞こえませんでした。山の方での大雨が増水の原因でしょうか。 こんなに増えたら当然濁りも入っています。 いわば濁流となっているということでしょう。 

                        

 折角広瀬川の川相が最高の状態になっていると、これからが解禁日だと喜んでいたのに、完全に喜びに水を差されてしまいました。浅瀬までびっしりと苔が生えて、小さいながらもハミ跡も一杯あったのに・・・。 喜びは打ち砕かれてしまいました。

            

 もとに戻ってしまった、降り出しか。 なんで今年の広瀬川(に限らずみちのくの河川は)は、こんなにも過酷なのでしょうか。 寒河江川は平水なれど、濁りがきつくて釣りにならずというコメントがずーと続いています。 最上川も減水傾向が見られず、これでは入川は無理です。 期待していた北上川も増水状況が続いています。これが平水ということかも。去年のように減水してくれないと川に入れません。 最上川とか北上川という大河はアユが居る居ないということ以前に、減水してくれないと竿も出せません。 

     

 (きょうは午前中早目に健康診断に行ってきて、ついでに少しだけ七夕飾りを見てきました。 七夕の写真はきょう午前10時前のものです。)

 

 午後2時頃の河原は猛烈な暑さです。汗が一杯でてきます。 こんな時川に入ってならば何て気持ちがいいことだろう、それなのに、嗚呼それなのに、非情な自然は人間に敵対している。 人間界の思い上がった諸々のことに 激しく No! を突き付けているのでしょうか。

 (ちょっと話しは飛んで)暑いときはやはりこれ、氷ですね。 氷に閉ざされた七夕飾りを初めて見ました。 定禅寺通りのグリーンベルトのなかの一コマです。

 (表?)

 (裏?)

 (話しはきょう午後の広瀬川の様子です、)

 浅瀬の流れは変わってしまいました。 小石や砂が一杯流れていったことでしょう。

 

 今日なんか最高の釣りができたかもしれないのに・・・。

 

 男3人組が川で裸を楽しんでいました。 そばを通りましたが、ネクタイも見えたので、若いサラリーマンなのでしょうか? 自然の中での息抜きも必要なのでしょうね。 (でもよく考えたらそんなことはあり得ませんよね。 近くの高校生たちでしょう、今の高校生はネクタイ姿がおかしくないですから。)

 

 見てください、この分流の水量と流れを。 きのう活けて置いた網は見当たりません。水位が高くてどこかに隠れているのか、流されてしまったか、どっちにしても鮎は目を回してお陀仏だったことでしょう。

 

 牛越橋下流左岸に流れてきた大木も流されました。

 

 

 また話しは飛んで、定禅寺通りの「希望・未来への道」です。

 

 白いお化けか?と思うかもしれませんが、東北に関係する著名人のメッセージ灯篭とでもいうのでしょうか、それがきのう夕方から雨除けを被せられたようです。 まだ早い時間帯のため人がいませんでした。

    

 メッセージのなかでいいなと思ったのは、これです。 『前進前心』(間 寛平)

               

 覆いをとるとこうなります。

      

 それにしても暑い、もったいないくらい暑い。 そういう時はこれを眺めて。(再掲)

 

 


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仙台七夕スタート、鮎も?

2013-08-06 16:43:45 | お知らせ

 今日の天気予報では午後から雷雨ということでしたが、降りそうでなかなか降らず、降り始めたのは3時過ぎ頃でした。 どうしても仙台七夕には雨がつきものなのですね。

 ということで?、イチジクです。 毎日5,6個の無花果を我妹が採ってきます。 生で食べるのは私のみ、あとは甘露煮にしています。 今日の無花果(イチジク)の一刀両断です。

   

 右側の無花果がハート形で美味そうですね。 私としてはあと1,2日置いてから採ってくれと言っているのですが、力がないので従ってくれません。 甘露煮にするには丁度いい堅さというか柔らかさです。食べるのであればもう少し熟させてほしいものです。 今回の無花果の形としては、左側のような変形した形のものが多いですね。

 

 午後1時30分頃かな、例によって散歩を兼ねた広瀬川の散策へ。 

 

 午後から強い雷雨という予報だったのですが、なかなか降りません。 

 広瀬川の水量、透明度も最高かもしれません。 これで川底の石に苔が一杯付いてくれればいいのになあと思いながら河原へ。

 

 そしたら、いました、トンビが、2羽も、水際に。 こんなことは珍しいことです。カラスなら分かりますが。 

  ここに2羽仲良くいたのです。

 でも一羽はすぐに飛び立ちました。 カメラを構えて残りの一羽を撮りました。 すぐに飛び立ちそうだったので、構え続けていたところ実際そうなりました。 画面の右端に辛うじて写りました。

                      

 その後そこの川を見ていたら、なんかピチャピチャと浅瀬が動いているのです。浅瀬も浅瀬です。 そうです、魚です、魚が遡上しているのです。(そう思われました) 大きくはありません。 14,15センチもないかもしれません。 でも確かに次から次と2,3センチしかない浅瀬にジャンプするかのように遡上してくるのです。

  大きな石の左側の浅瀬です。

 もっとよく確かめようと回り込んだのですが、その時にはもう1匹も見えませんでした。 たまたま鮎らしき魚が集団で遡上してきていたのでしょうか。  だから、普段はいない”トンビ”が2羽もそこにいたのでしょう。 川に入らなくとも魚が採れるのです。 写真の左側で魚を狙っていたに違いありません。

 それでその下流域の川底を見ました。 驚きです! 一体いつの間にこんなにハミ跡が付いたのか? 浅瀬の石にハミ跡が、大きくはありませんが、一杯付いていました。 本当に浅いのです。 天気がいい日が続いたために浅瀬の石に苔が付き始めたということに他なりません!! それを狙って鮎も集団で移行し始めたということではないでしょうか。

 そう思ったら、もうほぼ完全に広瀬川には意気消沈していた私ではありますが、俄然やる気が出てきました!!!!!鮎がいる、鮎がでてきた、石に苔が付いてきた、そう、広瀬川のアユ釣りはこれからがスタートだあ~!!心の中で叫びました。

 それで戻って、オトリ缶を車に積んで八幡町へ。 もう買いたくはなかったのですが、今回は仕方がありません、とりあえず養殖オトリです。 着替えて曳舟にオトリ2匹を入れて川へ、いざ出陣!今日こそが広瀬川の解禁日であるぞ!!

 入ったのはここです。(再掲)

 

 川底のハミ跡をお見せいたしましょう。 浅いところでの水中撮影です。

 

                       

 

                  

 この食み跡がびっくりするくらい大きかったらもう申し分ないのですが、そこまでは言いますまい。 これだけでも満足です。 足るを知らないと、感謝です。

 がまかつの時と同じ仕掛け、同じ竿で澱橋上流、美術館下の瀬に入りました。 2時50分開始です。 おもりを使いました。 いつものnewoneなら迷わず”背バリ”でしたが、おもりに慣れようといろいろと挑戦したいです。

 そして、3時頃です、瀬の中から心地よい当たりが伝わってきました。 掛かったあ~!慎重に左岸に寄せて取り込みました。 16センチくらいかな、これです。

 

 あいにくと目掛かりでした。 でもオトリを交換して泳いでもらいます。 すぐには掛かりません。  そのうち嫌な事態に! そうです、天気予報が当たりはじめたのです、雷様がゴロゴロいいはじめました。 困った雷様です。 

 3時10分、今度は前よりももっと大きな当たりでした。 そしてなかなか浮いて来ません。少しオーバーに言えば、竿が伸されそうになりましたが少し下ったりして無事キャッチしました。 こっちは大きい、20センチくらいでしょうか。 背掛かりでした。

  綺麗です。

 ここまでは10分に1匹という割合です。 そして3時20分、珍しい、こういうことが現実にあるのだ、またしても手応えが! 前よりも伸されそうでしたが、左岸に寄せて引き抜くと、何と太ったハヤでした・・・。いい感じで掛かっていたのですが・・・。

 そのうち雷鳴だけではなく雨も降り始めたので、納竿しました。 雷は御免です。 結局2匹だけの釣果でしたが、20分で2匹とはもう文句なしです。 

           

 掛けた2匹と養殖の2匹は川に活けてきました。 これをこれから思う存分活用していきます、活用していきたいです。 

 この分では上流域の方も鮎が集まっているのではないでしょうか? 期待を裏切らないでほしいですね。

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七夕前夜祭

2013-08-05 21:55:55 | お知らせ

  きょうは8月5日、あしたから仙台七夕が三日間にわたり開催されます。 うちの町内でも恒例となっていますが、子供会と町内会が中心となって七夕を飾っています。 七夕飾りは先週作成していますので、きょうは竹に飾り付けるという仕事が待っていました。

 その前に有志が早起きして近くの知人の竹やぶから竹を切ってきました。6時集合です。 竹は大きいものと中くらいのもの、あとは小さいものと三種類の竹を切り出してきました。 去年までとは違って竹やぶは竹だけではなく、草も一杯伸びていて、足を踏み入れるのが躊躇するくらいでした。

 早朝竹の切り出し、午後から竹に飾り付けという作業がまっていました。 飾り付ける場所は縛り不動尊の境内です。

 

 まあいいいい感じではないですか。

               

 町内のみなさんの血と汗と涙の結晶です。

 

                

 

 

 3時から飾り付けが始まりまして、下の写真はその後に撮ったものです。 4時過ぎです。 だから空は重苦しい感じとなっています。

 

 分流と本流の合流点付近の状況です。 

 

 分流ですが、このころから雨が降ってきました。

 

 

 前夜祭としての花火大会は午後7時からスタートです。 2階のベランダからカメラを持参して、見学させていただきました。

   

 

    s

    

  終了は午後8時30分頃です。

 

 それにしても東北楽天ゴールデンイーグルスは強すぎる、一体どうしたというのでしょうか? チームとしても、田中投手個人としても、すべてがうまく行っています。 最後までこの最良の、最高の戦力が続くことはないでしょうが、ほぼパリーグ1位か2位は約束されたことでしょう(ですよね。是非ともそうであって欲しい

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梅雨も明けて、これからですが、・・・

2013-08-04 22:22:42 | 広瀬川

 きのう午後仙台管区気象台から梅雨明け宣言が恐れ多くも畏くも出されました。 確かに晴天好天が続きますし、梅雨が明けたということはモヤモヤが消えたということです。 きのうは対岸からミンミンゼミの鳴き声が聞こえてきました。

 ようやく実現した”夏の”市街地の様子です。 いい眺めですね。 撮影は朝の7時30分前後です。 今朝はミンミンゼミとアブラゼミの声が聞こえました。

 

 ついでですので周りの雲の様子もお伝えします。 本当に嬉しくなります。

 まずは西側の雲

 

 南側です。

 

 南東側。 飛行機雲も久し振りに見るという感じです。

 

 こういう変わった形の雲もありました。

 

 水も澄んできて、水量も多いとはいえ減ってきたし、朝から陽射しが強いし、そろそろ鮎も落ち着いているだろうと鮎釣り師なら誰しも考えてしまうでしょう。

 友釣りはまだ少し早いかもしれないが、ガラガケはもう大丈夫だろうと思います。 私もそう思いまして、河原の散歩も早めにした次第です。(午後と夜は日程が入っていたからですが) 雲の次は釣り人の姿です。

 観音淵の上流域の釣り人です。 上流側から下ります。

     この人は友釣りでした。

 

               彼はガラガケ

  

            彼もガラガケ

 

        彼もガラガケですね。

 

 なかなか掛かりません。 ガラガケでも鮎が掛からないのですから、友釣りではなおのこと無理でしょう。 でもこの付近の左岸側には食み跡がありました。 そう大きくはありません。 放流ものが残っていてくれればかなり大きく成長しているはずですが、ハミ跡が大きくないということは放流アユではなく、天然遡上鮎ということになるのでしょうか。 それなら放流したアユはどこに行ったのか? すべて流されてしまったのか??そういうこともないだろうと思うのですが、そうなると放流量の問題か?となってしまいかねません。 まあ、神のみぞ知るというところが一番いい落としどころということになるのでしょうか。

 

 豊齢学園の同級生が参加している「仙山コーラス・ジャンボリー」に行って来ました。仙山とはその名の通り、仙台市と山形市のことです。 県が違えどお互いに接している間柄です。 山形はいい河川が一杯あり、宮城県に住む鮎釣り師にとってますます関係がよくなって欲しいとこころから願う地域でもあります。 午後2時から3時50分

             

 山形と仙台からそれぞれのパートに半分くらいづつ参加して、総計で200人前後ですか、すごい人です。 それも男女の比率もいい感じですし、パートの種類ですが細かいのです。 ソプラノ・メゾソプラノ・アルト・テノール・セカンドテノール・バリトン・バスに分かれているのです。

 最初の男声合唱「雨ニモマケズ」が強い印象を与えました。 重層低音というべきか、何妙法蓮華経という音階がとっても効果的に聞こえてきました。 そして混声合唱の「土の歌」。 これは第一楽章から第七楽章まであるのですね。 第七楽章は『大地讃頌』でした。 交響楽団とのコラボは強烈でした。

 この感動は、第9よりもすごいのではないか?!と思ってしまいました。

 

 そして夕方からの第9のオーディション会場である141ビルの6階へ向かいました。 これはその途中の定禅寺通りの様子です。 グリーンベルトで結婚式の披露宴?行進?ダンス?が行われていました。  幸あれかし!!

 

 そしてこれは6日からの仙台七夕の準備の様子です。 もうすっかり竹はセットされて、あとは七夕飾りを吊るすだけです。

 

 午後5時40分頃オーディションの会場に入りました。 受付をしているときに会場からは発声練習の声が聞こえてきました。 もうやっているのか!?焦ります。 この発声練習はオーディション参加者の自主トレみたいなものです。 

 中に入るともう熱気ムンムン。 私も途中から発声練習に参加です。 課題のところを歌うことよりも、まずは発声練習、これが肝心なこと、とっても大切なことなのです。 軽い準備体操と発声練習できちんと歌えるかどうか決まります。

 

 そうそう課題のところは、やはり大方の予想通り、595小節からフーガの前まででした。 私の順番はNo,19。 最終番号は22番です。 歌う時間は午後8時(予定)でした。 みんなで課題となった該当箇所を歌います。 ピアノが弾ける人が本当に羨ましくなります。ピアノが弾ければ音程もきちんととれるのでしょうし。

 午後6時10分からオーディションスタートです。 基本的には4つのパートから2名ずつ計8名で、ピアノ伴奏で、審査委員の前で歌うのですが、急遽来れなくなった人もいるために、男性陣では一人で歌わなければならない人が出てきます。 アルトが一番多いので3人ずつですが、初心者の方では男性陣は2回ずつ歌うこともありましたし、経験者の方でもテノールではなくて、バスの方で2回歌うということもありました。

 2回歌うということは、1回失敗しても2回目で挽回できるということもありますが、2回とも失敗してしまうというリスクもあります。 経験者コースならみんな私よりも上手な人ばかりなので、その人の声をしっかりと聴いて歌えば失敗することはないという利点もあります。

 8時からの予定でしたが、7時50分からと少し早まりました。 いつもはというか今までは指揮を執るのは練習の時の先生でした。今回も先生はそう言っていたのですが、実際は指揮者の先生が指揮をすることになりました。 それをきいて少し心配になったのですが、結果的にはミスすることなく歌い終わりました。 極力譜面は見ないで、指揮者の指揮を注目して歌いました。

 その結果は今までで一番うまく歌えたと自分では思っています。 もう一人のベテランのテノールの人は最後の最後の部分で早く出てしまいましたが、私はつられることなくマイペースで歌うことができました。 ということで ほっと しています。

 まだ ステージから去ることはできないようです。 マイクをステージに置くのは速いようです。 (なんてことをいっていいのでしょうか?)

 

 霧雨の降る夜の一番町の七夕飾りです。

                  


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快晴の空が眩しい!

2013-08-03 15:49:23 | 広瀬川

 いやあ、何日振りでしょうか? 朝からこんなに快晴なのは! 心ウキウキではありますが、素直に喜べないこの屈折した気持ちが、自分のことですが哀れです。 その前にちょっとこちらをご覧ください。 とってもかわいい行列です。

  (何を思って並んでいるのでしょうか?)

 これはおとといですか、2階から東側を見たら電線に雀が20匹?も!! 電線音頭なる歌がかって流行ったことがありますね、そんな感じですか。 霧雨模様の天気だったか?

 

 

 きょうのお昼前の様子です。 いいですね、こういう眺めは! 本当に久しぶりという気がします。         青空万歳!!万々歳!!!

 

 分流も元気に流れ、

          

 本流と合流して勢いを増し、

 

 下流に流れていきます。

 

 澱橋の下流に小さく人影が見えました。

 

 ガラガケの人です。 ここで掛かるのでしょうか。

 

 やはり分流の様子を載せないと可哀そうです。

    

 きょうは散歩の人やランニングの人たちがたくさんいました。 飼い犬3匹を連れて散歩がてらフリスビーですか、これを投げて犬にキャッチさせていました。 無事キャッチした犬と、それを見守る人と。

              

 牛越橋には重機が2台止まっていました。

 

                   

 そして橋の下には例によって集う若者たちが憩っていました。

 

 牛越橋の眺めも晴れ晴れする眺めでした。

 

 緑のカーテンのゴーヤも日々成長しています。

  

 

 そして、明日は夜第9のオーディションがあります。

 いつもは青年文化センターなのですが、今回はエルパーク仙台6階です。 家から近いです。 受け付けは5時45分から6時15分まで、オーディションは6時15分から9時までの予定となっています。

 少々早めに行って、声出しをしておかないと心配です。 いつもはピアノを弾ける人が中心となって発声練習をしてくれていたのですが、今回は場所が変わるのでピアノがあるのかどうか? 

                                

 そして歌の指定される場所はどこからか? 大いに気になるところです。 今までは男声合唱が少ないためなのかどうか、男声合唱からはじまる 595小節のAndante maestoso   Seid umschlungen Millionen! Diesen Kuβ der ganzen Welt!からとなるか、それとも、655小節の フーガ からとなるか、微妙なところです。

     

 フーガは長いし、アルト、ソプラノ、テノール、バスの順に入るところでいろんな要素が入っていて、とっても難しいところです。 なので今回も595小節からとなるのではないか、なんて勝手に思ったりしていますが、どうなることやら。

                           

 今年は初心者とはいっても若い人で合唱の経験者が多いようで、いつもとは様相が異なります。選抜は厳しくなりそうです。 私みたいな合唱経験なしの、半年も声を出していないものにとっては不利な状況です。

            

 今年の練習は6月から始まったものの、進行が速くしかも少人数での合唱を繰り返ししたりして、練習の様子もそれまでとは異なるようで、まあ、私としては自分なりに一生懸命やってきましたので、結果が落選ではあってもそれはそれで仕方がないと思うことにしています。 落選したら、その時で ”第9合唱はすべて終了” とするつもりです。 つまり、もう第9合唱には応募しないということです。 潔くステージから去ります。 何か格好いいですね!!

コメント (5)
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男の台所

2013-08-02 22:10:08 | お知らせ

 きょうは本当に珍しく?朝から薄曇り、日差しもうっすらと差すような一日で、朝から明るさが漂うと何と気持ちがいいものか、大袈裟ですが何というか希望が持てるような、そんな気にさえなってくるのだから不思議なものです。勝手な?ものです。

                   (きょうの昼)

    

 それにしても楽天はすごいですね。 楽天もいつの間にかパリーグのトップになり、今ではトップが当たり前というか、何の違和感もなく受け入れられますし、それ以上に田中将大です、すごいのは。 きょうで15連勝、去年からなら19連勝ですか。 これも日頃の積み重ねの結果ですね。いわば努力した継続の力の結果ですか。 勝って当たり前ということがいつまで続くか、楽しみです。 3,4点負けていたって、負ける気にならないのだから不思議です。 かっての楽天では全く考えられないことです。 選手たちに感謝の気持ちを正直に伝えたいです。

     

 きょうは8月2日金曜日、8月の第一金曜日につき「男の台所」の日です。6月からスタートして今日で5回目となります。早いですね、2週間はあっという間に経ってしまいます。

 久しく「男の台所」についてお知らせしてしていませんので、この場をお借りしてお知らせさせていただきます。 1回目はお知らせしていますので略とします。

 まずは第2回目の料理です。

 (6月21日)

 6月21日の主食はご飯、主菜はスクランブルエッグ、副菜はひじきの煮物と青菜のお浸し、汁物はジャガイモと若布の味噌汁でした。

 次は3回目の料理です。 7月5日です。

 

 主食はご飯、主菜は肉じゃが、副副菜はたたきオクラと長芋の酢の物、汁物はかき玉汁でした。

 4回目は7月19日です。

 

 主食はご飯、主菜はサバの味噌煮、副菜は蕗と筍の煮物、汁物は船場汁、デザートはミルク寒天でした。

 今回はこれです。 8月2日

 

 主食は冷やしそうめん(讃岐の乾麺)、副菜はなすの胡麻酢、主菜は天ぷらとかき揚げ、デザートはコーヒー寒天でした。 そうめんは一人100グラムの量でしたが、何とも多かったです。 天ぷらはエビ、キス、カボチャ、レンコン、寿司のりと三つ葉と桜エビのかき揚げです。

 今までの料理もそうでしたが、きょうも出し汁が大活躍で、冷やしそうめんやナスの胡麻酢、天つゆに使いました。 女性の先生が言うには、われわれ男のにわか料理人が奥さんに料理で太刀打ちするためには、太刀打ちできるとすれば、それはきちんとした計量に尽きるということと、出し汁に拘っていることですね。

                             

 前回からデザートが加わってきましたが、1回目のミルク寒天は甘くて美味かったですが、きょうのコーヒー寒天も美味かった、その美味さはコーヒーの苦さ、いわば大人の苦さとでも言いましょうか。 そうめんと天ぷらの食後にはぴったりのデザートでした。

 

 そうそう今月は我々2班が全体の買い出しもすることになりました。まあ近くに生協がありますので、大いに助かります。 買い出しとはいっても、文書で指示されたものを買うだけですが、どこに何があるか全く分からないので、その意味ではいい勉強となります。

                 

 もっと幅広く考えて、初めてのお使いではなく、常日頃から生協やスーパーに(奥さんと一緒に)出かけるようにして、物の値段や種類、置かれている場所等を知るように努めなければいけないと思います。(優等生的な話しです。鼻持ちならない?)

  いちじくの甘露煮、これも美味い!!

 本来は予習と復習が必要なのですが、予習は詳しいレシピを読むことだけで、料理の試行はしていません。復習もしようしようとは思いつつもしないまま月日は過ぎていきます。 とくに”夏の月”は難しいですね。(理由にはなりませんが。)

 


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