正月2日からはまた寒さがやってくるという予報でしたが、まさにその通りでした。今午後1時半過ぎですが、ちょっと外に出てみたら空気の冷たいこと冷たいこと、もうもろ手を挙げて降参です。
(元旦に撮影した私の分流の仲間たちです。見てやってください。)
目下の最低気温はマイナス0.7度です。お昼の気温は3.7度できのうは7.8度でしたのでほぼ半分の気温寒いはずです。いつも河原の散歩に行く午前9時の気温は1.2度でした。
きょうから初売りのところが多いのですが、人で出はどうなのでしょうか、売り上げは順調でしょうか。初売りを待っていた人はこんな寒さなんて何でもないのでしょうがね。店が開く前から並んでいるそうですから。ご苦労様です。そういう人たちも今では正月の風物詩のひとつでしょうからね。
元旦の新聞は記事も広告も1年で一番多いですが、その割には読み応えのする記事は多くはないです。新聞で言えば、出版社のCMが楽しみというか面白いですか。広告は家電の販売会社のそれが面白いですね。新聞よりも大きい紙によくもまあきれいに印刷できるものだと感心するばかりです。写真と文字、チェックするだけでも大変でしょうにね。
でも感銘を受けたというか考えさせられたのは、大晦日のNHKのテレビで(NHKアカデミアで)話をしていたゴリラの研究者の山極寿一さん(元京都大学の学長もした人ですよね)のことば『(ニンゲンは)言葉があるから自然とまともに対面していない』というものです。
(以下は元旦の大崎八幡宮の様子です)
考えさせられますね。じゃあ、ニンゲンは自然と対面するにはどうしたらいいのか? 今更言葉をなくせはしないからそれは永久に無理なのか?言われたことは真っ当でも不可能なことではどうしようもないですし・・・・・。
笑われるでしょうが、私は毎朝の河原の散歩のとき、分流にいるカモやさぎたちとなんとかして心を通い合わせられないかまじめに考えています。歩いている自分の気配を消すことができればカモたちは逃げないでしょうし・・・・・。難しいです。不可能でしょうがね。
でも、でも、ニンゲンとカラスのような関係になれないかなとは思っています。カラスは頭がいいので、ニンゲンや車等との”間合い”を実に上手にとっています。他の人は無理としても、せめて私とはカラスとの関係のようになってくれないかと念じたり祈ったり、まじめに考えればお前まともかといわれそうですが。
大晦日はいい映画も見ました。ロバート・デ・ニーロの「マイ・インターン」、ソフィア・ローレンの「ひまわり」(半分は録画して)です。大晦日のとりは何と言っても”N響の第九”でしたね。井上道義という指揮者です。なんでも2024年に引退すると宣言しているとか。
両手はもちろんのこと、体全体を使っての指揮はそれだけで見応えがありました。こういう手の降り方、動かし方があるのか、それでもいいのかと考え納得したりしながら聞いていました。
第九は何と言っても第4楽章です。合唱団は男女合わせても20余名ですか。でもきちんと各パートの音が聞こえてきました。ついつい私もテノールのパートを思い出しながら歌いました。家族は各人の部屋に入って、第九は私一人、気兼ねがいりません。
でも悲しいかな、ところどころ歌詞が出てこないのです。私が第九にのめり込んだのは2010年から2014年の丸五か年です。本番は12月23日前後の仙フィルの特別演奏会ですが、そのまえに10月の初めの”せんくら”があります。
”せんくら”では第4楽章の部分しか演奏しません。それを入れると最低でも10回は大ホール等で歌っていることになります。いろいろありまして、本当によくやったと今でもそう思います。まったく初めての合唱そのものの経験ですから、60歳を超えての。
一番記憶に残っているのは、何と言っても2011年の演奏会かな。この年は東日本大震災があった年で、演奏会を開催するかどうかでいろんな考えが出ましたが、結局はやることになり、その前に指揮者の佐渡裕さんが主宰する「サントリー一万人の第九」に仙台からも参加することになりました。
(以下の写真は2日の朝です)
岩手・宮城・福島の三県から集まった合唱団に私も加わり、大画面での大阪と仙台を結んでの第九の演奏会となりました。本番の前に指揮者の佐渡裕さんが仙台にやってきて指揮してくれたのですね。
たまたま一番前に陣取り(なんのことはない、合唱団の仲間が確保しておいてくれたのですが)、目の前で指揮をしてもらっただけではなく、”行進曲”の場面では肩を組んで一緒に歌ったのです。忘れられません。新聞に掲載された写真をいただきました。
こういう回顧談は興味がありませんよね。とにかく年末の第九はいろんなことが錯綜して忘れられないということです。
今年も広瀬川ともどもよろしくお願いいたします。