前々回のつづき。
賑わう夕暮れの狭山湖堰堤を後にした私は、以前から気になっていた多摩湖畔のある場所に行ってみることにした。その場所とは、冒頭の写真の場所からよく見え、以前の記事でも少し紹介した山門である。
その時に、赤青自転車でいこう。のつぴぃさんからいただいたコメントで以前あった慶性院というお寺の山門だということが分かった。
そして多摩湖橋から見るとその山門までは歩いて行けるようだったので行ってみたのである。
山門から多摩湖橋を見たところ
近くに行ってみると、慶性院の歴史が書かれた案内板があった。
慶性院は多摩湖(村山貯水池)ができる前は現在の多摩湖の西にあったのだが、多摩湖を作る際に寺自体は芋窪村(現在の東大和市芋窪)に移されたのだが山門である慶性門(けいしょうもん)だけが取り残されたとのこと。しばらくは放置され荒れ果てた状態だったが、狭山貯水池愛護会の方々によって現在の場所に移築されているそうである。
そしてその奥はちょっとした広場になっていて、いくつかの案内板などがひっそりと立っていた。
東大和市郷土博物館に行った時にも感じたことだが多摩湖や狭山湖は人造湖なので、その歴史を少しでも勉強してから散策するとまたちょっと違った見方で接することが出来るなぁ。
賑わう夕暮れの狭山湖堰堤を後にした私は、以前から気になっていた多摩湖畔のある場所に行ってみることにした。その場所とは、冒頭の写真の場所からよく見え、以前の記事でも少し紹介した山門である。
その時に、赤青自転車でいこう。のつぴぃさんからいただいたコメントで以前あった慶性院というお寺の山門だということが分かった。
そして多摩湖橋から見るとその山門までは歩いて行けるようだったので行ってみたのである。
山門から多摩湖橋を見たところ
近くに行ってみると、慶性院の歴史が書かれた案内板があった。
慶性院は多摩湖(村山貯水池)ができる前は現在の多摩湖の西にあったのだが、多摩湖を作る際に寺自体は芋窪村(現在の東大和市芋窪)に移されたのだが山門である慶性門(けいしょうもん)だけが取り残されたとのこと。しばらくは放置され荒れ果てた状態だったが、狭山貯水池愛護会の方々によって現在の場所に移築されているそうである。
そしてその奥はちょっとした広場になっていて、いくつかの案内板などがひっそりと立っていた。
東大和市郷土博物館に行った時にも感じたことだが多摩湖や狭山湖は人造湖なので、その歴史を少しでも勉強してから散策するとまたちょっと違った見方で接することが出来るなぁ。
おでんOFF、いいですねぇ。
たぬきのお墓ですが、今日も走ったハズなんだけど、自分の走りに酔ってしまい(笑)見過ごしてしまいました。
まさか(笑)! 同じトコを同じ日に…
例の門。
名付けて『美食倶楽部』
ハハハ(^^)v
立冬過ぎましたし、その広場(?)で 【おでんOFF!】なんていかが?
たぬきのお墓みつかったかにゃ?
私もついに、というかやっと、というか行ってみました。もう少しすると紅葉との景色がいいでしょうね。
考えてみたら、私も遠くから見ているだけで近くへ行ったことがありませんでした。次回にでも行ってみます。この門、紅葉に映えますよね。
ところでいつまでも「傷だらけのゲーリー」に甘んじることなく早く「復活したゲーリー」になって下さい。そして多摩川あたりを…。
人造湖といえば水位の上限が激しいので
いつも同じだと思ってると『おや?』って
思うことあるじゃなーい。
あの相模湖だってもとは相模ダムだしね。
なかなかとっつきづらいブログにコメントしてみました。以上。