東京都国分寺市。中央線沿線のこの街は私にとってそれはそれは懐かしい思い出の地である。学生時代を過ごした街だ。
先日少し遅くはなってしまたが友人達と新年会というかまぁ、飲みにに行った。
そして飲みに行ったのが「養老の瀧国分寺北口店」である。学生時代はもうこれでもか!というほど毎週のように行った店だ。特に二階の座敷がどこか寂れた観光地の民宿の部屋のような雰囲気でゆっくりくつろげる。まぁ学生時代もそのゆったりさに甘え、開店直後から閉店までたいして注文もしないくせに居座っていたのだが…。
しかしその頃はみんな金が無く、ツマミというとイカゲソ・モロキュウ・フライドポテトあたりしか頼まず、たまに「鶏唐揚げ二つ~!」とか「刺身盛り合わせ!」などと叫ぶ不届きモノがいたりすると、上級生(主にワタシ)が「ムムッ!?」などとその言った人を睨めつけるという事態になるような飲み会だった。
さすがに今回は全員社会人なので幹事サンが最初からコースで注文していたので大きな混乱もなく宴会は順調に進んだ。
今思い出したけど、当時ツマミを多く注文したり多く食う男には冷たい視線が投げかけられていたけど酒を大量に飲む人には「おおっ!」という感嘆の声や「あ~あ…」などというその後の泥酔を予想した落胆の声は聞こえたが、決して非難されるようなことはなかったようだ。酒のが高いのになぁ…。
そして養老の瀧を語るときに忘れてはならないのが「養老ビール」である。
当時とパッケージが変わったような気がするが、やはり健在だった。その頃から「養老ビールは薄い」などと言いながら飲んでいる友人が何人もいたが、私はあまり気にしないというか、普通に美味しく飲んでいる。やっぱり大人数でワイワイやりながら飲むビールはとっても美味しい。
そして学生時代、そこのトイレのドアに「Good bye Tokyo by Eddie」という多分エディさんという方が東京を離れる時に書いたであろう落書きがあったのだが、数年前に行った時にももう消されていて少し切ない気持ちになっていたが、やはり再確認しても消えていた。
また少しだけ寂しい気になったが、今住んでいるところからも割りと近いところに「第二の故郷」ともいうべき街が存在するということはそれはそれでいいことだなぁと思った。
先日少し遅くはなってしまたが友人達と新年会というかまぁ、飲みにに行った。
そして飲みに行ったのが「養老の瀧国分寺北口店」である。学生時代はもうこれでもか!というほど毎週のように行った店だ。特に二階の座敷がどこか寂れた観光地の民宿の部屋のような雰囲気でゆっくりくつろげる。まぁ学生時代もそのゆったりさに甘え、開店直後から閉店までたいして注文もしないくせに居座っていたのだが…。
しかしその頃はみんな金が無く、ツマミというとイカゲソ・モロキュウ・フライドポテトあたりしか頼まず、たまに「鶏唐揚げ二つ~!」とか「刺身盛り合わせ!」などと叫ぶ不届きモノがいたりすると、上級生(主にワタシ)が「ムムッ!?」などとその言った人を睨めつけるという事態になるような飲み会だった。
さすがに今回は全員社会人なので幹事サンが最初からコースで注文していたので大きな混乱もなく宴会は順調に進んだ。
今思い出したけど、当時ツマミを多く注文したり多く食う男には冷たい視線が投げかけられていたけど酒を大量に飲む人には「おおっ!」という感嘆の声や「あ~あ…」などというその後の泥酔を予想した落胆の声は聞こえたが、決して非難されるようなことはなかったようだ。酒のが高いのになぁ…。
そして養老の瀧を語るときに忘れてはならないのが「養老ビール」である。
当時とパッケージが変わったような気がするが、やはり健在だった。その頃から「養老ビールは薄い」などと言いながら飲んでいる友人が何人もいたが、私はあまり気にしないというか、普通に美味しく飲んでいる。やっぱり大人数でワイワイやりながら飲むビールはとっても美味しい。
そして学生時代、そこのトイレのドアに「Good bye Tokyo by Eddie」という多分エディさんという方が東京を離れる時に書いたであろう落書きがあったのだが、数年前に行った時にももう消されていて少し切ない気持ちになっていたが、やはり再確認しても消えていた。
また少しだけ寂しい気になったが、今住んでいるところからも割りと近いところに「第二の故郷」ともいうべき街が存在するということはそれはそれでいいことだなぁと思った。