あんな話こんな話

会津生まれの会津育ち…三匹の猫と柴ワンコや家族に囲まれ、家庭菜園に勤しみ都会には住めそうにないローカルな私の日常。

8月9日まで、あと何日だろ?

2006-05-08 22:35:04 | 浜田省吾
何が何日かって? もちろん我らが浜省!
去年のコンサート以来、沈黙を守って来た浜省。
今年ソロデビュー30周年を記念して、2枚同時発売のベスト盤が出る。
その日が8月9日と言う話。

しかも、9月15日から、地方都市をまわる7ヶ月ツアーのデカイおまけ付!

ふっふっふ。。。今年も楽しみだ!
真面目に主婦して夫におねだりしようと思っている(笑)

そもそも、私と浜省との出会いは
何十年になるのだろうか?
っても、ソロデビュー30周年なので、40年50年と言うわけではない。
20年くらいになるだろうか…。
その時まで、浜田省吾のはの字も知らなかった私だ。

お勤めしていた事務所でラジオから流れていた『J・BOY』に強く惹かれた。
確かに曲も良かったが、何と言ってもあの声に魅せられた一人だ。
浜田省吾にハマってしまったとはこの事なのかもしれない。

御年53歳にして、あの声量と動き…。

10年位前『愛という名のもとに』と言うドラマで
主題歌の『悲しみは雪のように』はご存知の方もいると思う。
もちろんドラマの中で流れている曲はほとんどが浜省の曲だった。

メディアには顔を出さずにコンサート一筋で30年。
今年も何かしらやってくれると思っていた。

今秋、また新しい旅立ちが始まる。



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手紙 Ⅲ

2006-01-06 23:49:09 | 浜田省吾
今日も穏やかな一日を過ごす事ができた…。


雑木林の持つ寂しげな優しさが好きだ。


良い事があった後は悪い事が待っているように
悪い事の後には良い事だって必ずにやって来るものなのだ。
少し遅れて届いた年賀状と共に届いた元気な声が物語っていた…。

仙台に住む私の友人からの声の便りが届いた。
以前 長い入院生活の後に、再度の手術を余儀なくされた彼女なのだが
12月の半ば過ぎに退院できて、現在自宅療養中との事で
後の心配は体力が回復すれば良いだけの事のようだ。  

すぐにも連絡をしたかったのだが
相次ぐ入院と手術で、すっかり体力が衰えてしまって
元気の無い声を聞かせるのが忍びなかったと
元気な声が出せるくらいになるまで、電話しなかった…と彼女。

それでも 12月29日の浜田省吾の誕生日には
Birthday cardを送ったと言う、相変わらずに省吾バカな彼女だった。

そんな彼女が、省吾の新曲『I am a father』にちなんだ映画
時任三郎さん主演の『TWO LOVE』
各地で上映されているのだが、仙台にも来るようで
それを観に行くために体力づくりをしていると言う。

コンサートじゃないから
長く立っていなければならないって事ないし大丈夫だよね…って
その声は、まるで初恋を語る乙女のように弾んでいた。

良かった! 本当に良かった…。

人間 何か希望とか楽しみだとか、そういうものを持っている限り
どんな環境においても強く生きていけるものだと思う。

無理解だった夫に尽くして、年老いた夫の父を介護しながら
自分も命さえ危ぶまれるような病気、そして手術。
世の中、悪い事ばっかりじゃないんだよね。
そして、以前より少しだけ打たれ強くなった彼女は
元気な明るい声で、次の再会を約束して電話を切った…。


そんな彼女に贈りたい曲は『光と影の季節』だと思った。

君に逢いたくて戻ってきたよ 
長い旅路の果てに見つけた絆 長い旅の途中で夢見た季節 
光と影 栄光と挫折 でもどんな時にも想うことはただ…


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手紙 Ⅱ

2005-11-04 20:37:39 | 浜田省吾
虫の知らせとでも言うのだろうか…急に彼女の声が聞きたくなった。
彼女とは、私が入会している浜田省吾のファンクラブを通して知り合ったペンパルさんだ。
以前の手紙で体調を崩し、9月のコンサートにも一緒に行くはずだったが
結局 参加する事が出来ずに居たのだが、すぐに退院出来ていた事に安心していた。
次のコンサートには再会の約束をしていたのだが

今朝は無性に声が聞きたかった…。

電話をしたら、何時もの元気な声に安堵したのだが、話しはシビアなものだった。
昨日 手紙を出したの…その後の、ひと息の沈黙の意味は知る由もなく。
「手紙と重複しちゃうけど話すね…。」と、ちょっと嫌な予感が過った。
「今度ね また 入院する事になったの…手術する事になってしまって…。」

確か 以前は手術をしなくて放射線の治療に変更になり
結果も良いものと、彼女も胸を撫で下ろしていたはずだったのに。

「詳しい事は手紙に書いたので読んで…。」と。

また 何かラジオ放送のテープを送ろうか? そう聞いたのだけれども、彼女は言った。
「正直 以前の入院の時にもCDやテープも、たくさん持って行ったけど、半分も聴けなかったの。」
「本当に体調が悪い時って聴けないの…聴きたいんだけど、体が辛いの。」って。

確かに、そういうものかもしれないと思った。

私に限らず、省吾の曲に励まされたり癒されたり、または元気をもらったりとか
よく使う言葉なのだが、本当に辛い時には聴く余裕がないのかもしれない…。
私がファンクラブに入会する前の、10年間の月日が
省吾の曲から離れていたように、そこまで気が回らないのではないかと思った。

この10年の間には、夫がくも膜下出血で倒れ、ば~ちゃんの脳梗塞とじ~ちゃんの認知と
子供の入試や日々雑多な事に追われるような毎日だった。
省吾の曲に励まされ癒され元気をもらったのは
少しばかり余裕の出てきた、ここ3年ほどの事だったと今更ながら気づいた。

分かっている…それでも、私は彼女に贈りたいと思う。

いろんな事柄に押し流されるような生きる事について
人は歩きつづけて途中で休んでみたり、あるいは回り道であったり
道無き道を歩かなければならない事もある。
良い事ばっかりの人生ではないかもしれないけど
それでも、自分なりに一生懸命に生きてきた、歩いて来たと胸を張って言いたい。

そう…太陽は沈むけれど、必ず昇って来る。
先の見えないトンネルに入り込んで、悩み苦しんでいる友達もいる。
みんながもがき苦しんで、それでも 一生懸命に生きている。

そんな事を謳っている浜田省吾の「日はまた昇る」を贈りたい。

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コンサートレポート 2

2005-09-19 23:16:43 | 浜田省吾
一泊のホテルはネットで予約した部屋で
もちろん ビジネスホテルだからこじんまりとしていたが
キレイな部屋で、しかもベッドはセミダブル
ことさら寝相の良い私には夢のようなお部屋だった。



    

ホテルも仙台駅から、いくらも離れていなかったし
駅周辺を心置きなく見て回れる所で
七夕祭りを催された所や
冬になるとイルミネーションが素晴らしい所も見てきた。

本当に申し分のない2日間だったが
ただひとつ残念だったのは
以前 ブログで書いた「手紙」の友達の事だ。

結局 彼女は来る事が出来ず
会場には彼女の代理だと言う、彼女の友人が参加する事になった。
以前外泊をもらって、自宅へ帰ったさいに
退院出来なくても外泊許可をもらってでも参加すると約束が出来ていたのだが
入院生活で体力をなくしてしまい、とても参加できる状態ではないと
彼女からの伝言であった。

あんなに良い席だった、それにあんなに焦がれていたコンサートだったのだが
さぞかし 心残りだったと思うと
自分ばかりが楽しんでしまった事が申し訳ないような気がした。

私はグッズ売り場で、ツアーパンフレットを
自分の分と彼女の分と2冊求めて
次の日 ホテルをチェックアウトしてから
彼女の入院している病院へと足を運ぶ事にした。
お花のお見舞いよりも、このパンフレットの方が喜んでくれる! そう思った。

病院で会った彼女は思ったより元気で
パンフレットのお見舞いには、かなり感激してくれた。
退院出来るの…今週中によ。 嬉しそうに話してくれたのだが
ただ体力がなくなっていて
会場で気分でも悪くなってしまったら迷惑がかかる…そう思ったの。

本当に良かった!!

来年のコンサートには必ず参加出来るように体力をつけておくからね。
そう言って、私のコンサートの様子を嬉しそうに聞いてくれた。

いろんな事情で参加できない人がいる。
秋田に住むお友達も、まだ子供に手がかかるし、とても一泊は…。
そう言って諦めた。
コンサートまでいろいろな事があった。
初めての一人旅(ちょっと大げさかな 笑)も出来た。
例え一回だけでも参加できた事を有り難いと
帰りの高速バスで、友人の事や協力してくれた家族に感謝した。


 
こうして 私の2005年「MY FIRST LOVE」のコンサートは終った。
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コンサートレポート

2005-09-18 21:56:06 | 浜田省吾
朝から良い天気だった。

高速バスに乗り一路仙台へと心はすでに、宮城グランディ21へ飛んでいた。
バスの中から外の景色を見れば、左手には磐梯山がクッキリと浮かんで
今日の楽しく過ごせるはずの、一日を暗示しているようであった。

耳元ではMP3プレイアー、今日 歌われるであろう曲が流れている。

バスは仙台駅へと着いた。
正直、仙台初体験の私にとって、初めて都会を見た“おのぼりさん”の心境で
とにかくキレイな駅で、その大きさにも度肝を抜かれた
たぶんに知らない人が見たら、あっぱ口(方言)開けた田舎者と思うのは無理からぬ事だ。


  全容を写せなかった事が心残りだ…。

会場は仙台市からはずれた所にあったが
かなり大きくて、キレイな建物で、広さといったら口では言い表せないほどだ。
その大きい会場には、すでにかなりの人が集まっていて
万を超える人だろうか? 駐車場も満杯状態であった。






入り口には、トレードマークのSHOGOのロゴの入ったトレーラーがあり
記念撮影する人が後を断たなかった。
もちろん 私もその中の一人であった事は否めない。
その奥には、グッズを販売している場所があって黒山の人だかりだ。
連絡を取るまでもなく、友達と合流できた。
何故かと言えば…妙にテンションの高い一団を見れば
必ずや、その場所には彼女らがいる事は先刻承知のpochikoさんなのである(笑)

見れば彼女らは、お揃いのTシャツ!

なんでだ…? グッズ売り場で購入したTシャツをすでに着用。
pochikoさんも早く着替えて!!という言葉に
慌ててトイレで着替えてしまった、ノリノリな私。
けっこう ミーハーな自分発見で焦ってしまった…。

内容は、ツアーも始まったばかなりな事だし
これからコンサートに参加する人のためには
期待感を損なう事があるので、ここは秘密にしておこう。

ただ 言える事は52歳と言う年齢を感じさせないという事だった。
相変わらずにスリムで、普段 鍛えてると言うだけあって
引き締まった体、動きも精力的にステージを狭しと
2階席や端っこのファンにもサービスをしていたほどだ。

私の席はステージから、双眼鏡を使わなくても表情が分かるくらいの所であり
しかも センターステージに移った時には
まるっきり目の前でさらにテンションが上がった。
ライトの光り加減では、サングラスの中の表情さえ分かるくらいの距離で
初めてのことで舞い上がってしまった…。

しかし 省吾とバックバンドの彼らは本当に楽しそうに演奏する。
音楽が…演奏が…心から好きなのだと思った。

光りと影 戦争と平和 涙と微笑み 
戦争で親を失った子供たちや傷ついた子供たち。
身内を失った年老いた老人の流す涙 抱擁と別れ 悲しみと喜び
一輪の名もなき花 人は皆 幸せに生きる権利がある。
戦争に残されたものは、人々の悲しみだけ…。
そんな簡単な事でさえ分からずに、世界のあちこちでは戦争がある。

生きる事 愛 幸せ すべての人が皆 平和であるように…。
そんな事を謳う浜田省吾のコンサートであった。

                           To be continued...
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コンサート

2005-09-17 00:39:28 | 浜田省吾
いよいよ 待ちに待った浜田省吾のコンサートが今日の事になった。

ば~ちゃんは、何ヶ月も前からショートステイを組んでおいた。
2~3日前辺りから、明日行く友達からの電話やメールが入り
何を着ていこうか、席は何列目だったとか
当日を前に話は俄然盛り上がった。

明日は早めに家を出て、一路仙台へと高速バスの切符を確認する。
チケットは…うんうん!! 大丈夫だ!
しっかりと、プレゼントでもらった、首からさげるチケットケースに入っている。
何を着ていこうか…やっぱり ジーパンだろう。
後はTシャツか

Tシャツは、この前の時に買ったSHOGOのログ入りのか
それとも別なシャツか
あれを出したりこれを出したり…。

会場に行ったら、まずグッズをGETしなくちゃ♪
同じ県内の友達や、以前 コンサートで一緒だった友達と会うのも
コンサート以上に楽しい事なのだ。

とにかく、一人っきりでのお泊り初体験な私。
いつも家族とか友達とかと一緒なので
ちょっと ドキドキワクワク状態…。

コンサートが終ったら、友達と盛り上がってしまうんだろうなぁ

次の日は仙台駅前辺りでお買い物などして
何と言っても、同じ東北ではあるのだが宮城県、これも初体験!
夕方頃までに帰る予定。

とりあえず、今日明日は思いっきり不良主婦をして来ようと思う。

朝 早くにお出かけです!

少し早いですが… 行って来ま~~~す♪
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広島平和記念日,広島原爆忌

2005-08-06 10:20:26 | 浜田省吾


戦後60年。広島・長崎に原子爆弾が落とされ日本は敗戦した。
私たちは戦後生まれで、原爆の話はテレビなどの特別番組や報道番組
または本などでしか知らない。

8月6日
やはり 今日のような暑い日で
朝の8時15分、今日も暑くなるのだろうと…朝食を終え
戦争中ではあったが、何事もない一日を迎えるはずだったのに…。

今日は広島平和記念日,広島原爆忌です。

1945(昭和20)年8月6日午前8時15分、米軍のB29爆撃機「エノラ・ゲイ」が
広島市上空で世界初の原子爆弾「リトルボーイ」を投下した。
熱戦と衝撃波によって市街は壊滅し、約14万人の死者を出した。
その後、原爆症等で亡くなった人を含めると、犠牲者は25万人以上に登る。

この日、広島市では原爆慰霊祭で世界平和を祈念するアピールが宣言され
燈籠流しが行われる。  【今日は何の日“毎日が記念日”より抜粋】

戦後60年経った今でも原爆症で亡くなる人はいると言う。

浜田省吾氏の父親もまた、怒涛の渦に巻き込まれて来たひとりなのだ。
2004年の広島世界平和ミッションで浜田省吾氏のコメントは語る。
父親の「原爆投下の朝の体験記」。
これを読んだ私は物凄いショックだった。
わかりきっている事なのだが、二度と戦争を起こしてはならない。
そういう事だった…。

私たちが平和で暮らせている
現在の幸せは不幸にも犠牲となった人たちの上に立っているのだろう。
そう思うと、戦後は遠くになりにけり!と言うけれど
まだまだ 引きずっているのではないかと思う。

いつの日か
この世のすべてが
等しく 平和で あるように…。
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チケットが届いた!!

2005-08-05 13:11:34 | 浜田省吾

ようやく待ちに待ったチケットが届いた。
まだ 一ヶ月半もあるのに、今からワクワクドキドキ状態。
何度も何度も見直して、座席も検索してみたり
何をやっても落ち着かない…。

同じ県内に住む友達から電話があったり
チケットの座席何番だったとか、みんなも落ち着かない様子で。

そろそろ 本腰を入れてアルバムの曲を覚えなくちゃ♪


ちょっと似顔絵づいて、又もや似顔絵イラストメーカーで作ってみた。

きっと オープニングは「光と影の季節」を歌いながらの登場なのだろう。
その時には一緒に歌いたい…。
携帯の着メロにも「光と影の季節」と「I am a father 」を
省吾ファミリーの福田氏の作っている着メロサイトからダウンロード済みだ。

当分 このチケットを穴の開くほど眺めているに違いない。

それにしても、友人がイベンダーさんからgetできたチケットは
最高の座席が取れたと連絡が入った。
かなり 羨ましい気がするけど、同じ会場に居られるだけで幸せだと思う。

友達の中では、泣く泣く参加できない人もいて
その友達のことを考えると素直に喜べない気がする。

だって…想いはみんな同じなのだから…。
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今朝 撮りたての朝日

2005-07-23 06:41:24 | 浜田省吾










早朝に遊びに出かける息子の為に早起きをした。
時刻は5時。
すでに陽はあがっていたが
ここ数日雨か曇り空だったのだが、今日は天気が良くなりそうだ。

まだ 少し曇り空だが、思いがけず時間が空いたので写真を撮ってみた。

ふと…心に浮かんだのは浜田省吾の“陽はまた昇る”の曲だった。
人生を生きてゆく中、たくさんの出来事があり
苦しい事とか辛い事の多い中、心癒される一曲だと思う。

ば~ちゃんの入院のたびに、思わず“どうして 私だけ…”
そんな疑問の中で、いつも力づけてくれていたのがこの一曲なのだ。
省吾ファンの中でも、人生の応援歌と謳っているいる人は多い。

そんな時に、この一曲は
自分だけでない… みんながいろんな人生を乗り切って頑張っている。
そう 思えてくるから不思議だ。

ちょっと 飄々とした気持ちになれる。

どうせ 自分の人生。 楽しんで行こうぜ!!
焦らなくても、これから先良い事だって待っているはずさ!!
自分なりに一生懸命に生きてゆく事が出来れば良い。

そんな気持ちにさせてくれる。

今日はきっと良い天気になるだろう…。
そう 思うと人生も捨てたものじゃないなぁと思う。

そう 最後には笑えるように…。
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手紙

2005-06-27 14:56:25 | 浜田省吾
今日は何を書こうかと思っていたところに、朝に届いた手紙にこの事を書こうと思った。
カテゴリーは、日々雑事でも良かったのだが、あえて浜田省吾にしたのは
彼女とは、浜田省吾ファンクラブを通して知り合い、約 二年もの月日を語り合った仲間だからだ。

彼女は仙台市に住む、私より3~4歳年上で
十年ほど前になろうか“愛という名のもとに”というドラマで浜田省吾を知り
2001年のコンサートの時に初めて参加、そしてファンクラブに入った。
いつも 手紙には浜田省吾への強い想いが記されていて
かなり昔からファンであった私よりも浜田省吾の人となりを知り尽くしているつわものなのだ。

今度の2005年 ON THE ROADのコンサートも彼女と待ち合わせをして行く事になっていた。
私達は、ただその日の来るのを指折り数えてまっていたのだが…。

今朝の手紙には、近況とカセットテープ・そして掲載された新聞の切り抜き。
他には辛い現実が記されていた。
大体の事は、2週間ほど前に電話で聞いていたのだが詳しい事は知らなかった。
あえて病名は伏せておこう。
でも 手術をしなければ危ぶまれるほどの病気であった。
たぶんに手術をしても何年も何年も再発の恐怖に苛まれるに違いない…そんな彼女なのだが
手紙には要支援に近い夫の父親と、最近 特に忙しくなってきた夫の心配が
そして 浜田省吾への熱い想い…。

徹底的に検査をされた結果を医師に告げられた時には
あぁ…やっぱり! そんな気持ちだったらしいが、ある程度の覚悟はあったのだと思う。
反対に彼女の夫の方がうろたえてしまっていたと…。

でもね ここ数年 夫婦生活がなんであったか疑問ばかりの生活だったけど
病名が分かってから、夫との距離が近くなったようなのよ…。
体が大事だと、いろんな物を買ってきてくれたり、夫の優しさが感じられるようになった…。
そんな事が嬉しそうに書いてあった手紙を読み進めて、思わず涙がこぼれ落ちた。

いつも手紙には、夫は私が何をしてようと無関心なのよ…って
夫は自分の趣味には一生懸命だけど
きっと 私が省吾さんのファンだなんて気づきもしてないと思うわ。
前のコンサートの時もね 帰りが遅くならないように
アンコールの途中で帰って来たの…最後まで観たかった、今度の時は最後まで観たい! 
きっと 9月までは退院するから一緒に行こうねって。

そんな夫に尽くす昔かたぎの彼女だった。

そんな彼女に私は最近出た、浜田省吾の特集記事の掲載された冊子を送った。
入院しているから、6月のシングルと7月に出るアルバムは聴く事ができないけど
私に送ってくれたラジオ出演のテープと同じものを何回も何回も聴いているって。
省吾さんの曲や声を聴いていると、私に頑張れ!負けるな!って言ってくれてるみたいって…。

そんな彼女に、遠く離れている私はなかなか会いに行く事も出来ないけど
6月のシングルと7月のアルバムを送ってあげよう!そんな事くらいしか思いつかない。
ただ 9月のコンサートには
あんなに会いたがっていた浜田省吾のコンサートに二人で行けることを願う事くらいしかなかった。
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