あんな話こんな話

会津生まれの会津育ち…三匹の猫と柴ワンコや家族に囲まれ、家庭菜園に勤しみ都会には住めそうにないローカルな私の日常。

懐かしい思い出の道

2021-12-17 01:06:18 | 介護
今年に入って5回目の入院生活を余儀なくされている夫
肺炎の方も良くなっているので、そろそろ退院かと
先日主治医に会って状態を聞いて来た。


ついでに病室の夫とも面会できたけど
なんだか、また痩せたような気がする。


本当に入院を繰り返すたびに、歩けなくなったり
ミキサー食になったりして…それでも一か月余り会わなかったけど
私の顔は忘れなかったみたい。


いっつも坊主頭だったのが、すっかり髪の毛も伸びて
ゴマ塩だったのが白髪になってしまい
10歳くらい老けたような気がする。


院内に床屋さんあったような気がしたので
看護師さんに床屋さんお願いできるのかどうか聞いてみたけど
どうでしょうかねえ…今コロナだから
なお聞いておきますって言っていたので
次、洗濯物を取りに行った時、床屋さんどうでした?
って聞いたのだけど、良いともダメとも言わずに
もしも良かったら私たちで整髪してもいいですか?って。


きっとダメだったんだ。


でもその気持ちが嬉しくってお願いして来た。
トラ狩りになっちゃうかもしれませんけどね~~
とか言っていたけど、本当にありがたかった。
夫は昔っから坊主頭だったから、中途半端に伸びた髪の毛は
きっとウザイなって思っていたんじゃないかって…そう思った。


夫はもうすぐ転院になる。


退院は出来るのだけど、今回の入院でやっかいな事に
痰が上がって来ていて、一日2~3回の痰の吸引が必要になる。
在宅になって痰の吸引出来るのか?と問われれば
正直んとこ私には無理なような気がする。


主治医に言わせれば、な~~にチョイチョイって簡単だからと言うのだけど
一応医療行為だし、昔は医師とか看護師とかしか出来なかったようだが
今は講習を受ければ不特定多数の人が出来るらしい。
だからもちろん家族にだって出来るって事なのだけど
日中一人でいる事が多く、その時に何かあったら対処できないのでは!
上手くいかなかったとか鼻の奥とか食道とか傷つけちゃったりとか
話を聞いて、すっかり臆病になってしまった私。


もともと私自身も高齢ではあるし、あちこちに関節炎を持っている。
夕食の支度をしたり、夕方にはちびっ子たちのお迎えだとか
先々積雪があれば除雪作業、夏場は畑にと…。
今でも手一杯に過ごしている、そこに痰取りって。


今まで施設入所を進められていたけど
なかなか思い切ってってまでには至ってなくて
その背中を押したのは痰を取らなくてはいけないって事だった。


たぶん夫にとって自宅で日中一人でいる事が多く
私にグズグズ文句を言われたり
枕元のジオを聞いても、退屈なだけだで、わ
特にイベントとかあるはずもなく…それでも帰りたいんだろうなって思うけど。


昔、亡くなったじいちゃんが亡きばあちゃん介護をしている時
老健…老人保健施設に入居していた事があったけど
食事なんかもホールみたいなとこでみんなと食べて
若い職員さんに手を引かれてトイレにいったり
そんな時にじいちゃんはとても嬉しそうだった。


ケアマネージャーさんに今がその時だと思うんですよって
何軒かの老健に申込をしたが、後ろめたい気持ちは払拭できないまま。
出来れば家で介護してあげたかったけど…それでも私は楽な道に逃げたような気がした。


先日、送ったひとつの老健から面接の連絡があった。


そこは昔亡きじいちゃんが2年ほどお世話になっていたとこだった。
もう20年くらいになるだろうか。
夫と交代で洗濯物の交換によく通ったものだった。
そしてばあちゃんがショートステイとかでいない時は
二人で行ってみたり、するとこれからオヤツだから
おめだぢもごっつおになってげ。って
入口の自販機のとこで苺ミルクの牛乳を飲んだ
忘れもしないあの懐かしい施設だった。


あの道覚えているかな。


面接を前に一回行ってみる事にしたのだけど
町中から施設に向かう入る道路が見つけられず
あっちこっと堂々巡りして、そうだよなあれから20年余り
町中の様子だって変わってしまってるのは当たり前だよね。


その日は諦めて、昔その町在住だった長女の旦那さんに
行く道を聞いて、次の日再度挑戦を試みる。
全然知らない道だったけど目的の施設には着く事が出来た。
 
 
遠くに見える老健施設


20年ぶりに診る施設には面影があったけど
その隣にはデカいマンションのような特別養護老人ホームが建っており
月日の流れを感じさせられた。


リベンジした日は前日とは打って変わって
晴れ晴れとした小春日和で、遠くから施設を眺めて
しばらく思いにふけった。
 
今は栽培している所も少なくなって
この組合も廃墟となってしまったみたい。

そして来た道を戻らず施設の脇をまっすぐに降りて行った。
見覚えのある会津薬用人参組合の建物
そうだ、この道を通って来てたんだ。
その前を通り過ぎて角にある郵便局…これは記憶にはなかった。
そこから若松市へ行く道路にぶつかる信号機は
角に近くに小学校がある標識があって
この道を通って行ってたんだった。


施設でお祭りか何かのイベントで、頭にかんざし
派手な着物を着たじいちゃんの写真が脳裏に浮かんだ。
もしも、ここに決まったらここで楽しく過ごせるだろか。
面接があってからの入居順番も決まるのだろうから
いつの事になるか分からないけど…懐かしい思い出だけたくさん思い出せた。


自宅で看るのも介護なら
こういう施設で暮らせるようにするのも介護なんだと思う。
どっちがいいのか分からないけど、少しでも楽しく過ごせられる
そんな老後であって欲しいなと痛切に思った。

施設の近くから見た磐梯山
 
 
 
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