日差しはとても晩秋とは思えないくらい暖かで
今日の午後はほんのり~とお昼寝日和でもあった。
午前中にスーパーへと食料品の買出しに出かけたのだが
いつも行くスーパーの駐車場に、なにやら消防自動車が何台も停まっている。
何かあったのかなぁ~くらいな気持ちでいたが
スーパーの入り口付近には若いお母さんの姿もチラホラ。
よくみると消防自動車の近くには、可愛らしい幼稚園児の団体さんで
そうか…今は秋季火災予防運動週間だったのか…。
そういえば、今朝洗濯物を干している時に
消防婦人部の車が火事に気をつけるように…とか何とか言ってたっけ。
お互い火事には気をつけましょ~ね!
こんなイベントもあるのかと、店内で買い物をしていたら
賑やかな演奏が聞こえ始めたので、近づいてみると
先ほどスーパーの駐車場にいた園児たち。
なんとも可愛らしい演奏に思わず見入ってしまった。
こういう時に限ってデジカメは置いてきちゃって…慌てて携帯で撮った。
普通スーパーの中でデジカメは使わないもんね^^;
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我が家の孫太郎も、あと何年かしたらこんなになるんだろうな~♪
しかも園児たちの後ろには
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来年からの会津縁の人物直江兼続の大河ドラマの天地人の看板。
上杉景勝に仕えた上杉家の家老直江兼続と会津は深い関わりがある。
また直江兼続の甲冑のある「愛」は愛染明王を表したもので
愛染明王は、愛欲は人の本能、愛の文字から恋愛や夫婦愛に通じ、
怒りと武器を持つ姿は、戒めを示したものとされている。
会津縁の人物直江兼続とは
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来年の会津もかなり賑わいを見せるのではないかと…。
という事で、今朝のトンボをUP!
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体を覆った霜が乾くのをジッと待っているような…。
まぁ 会津でも神指城の話とか、いろいろとあったみたいですけど…なかなかの人物だったようです。
…ってか、歴史はどうも苦手分野でして…^^;
時代劇もあまり見てない私でした。
直江兼続
直江兼続(なおえかねつぐ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけて活躍した武将。上杉氏の家老。
永禄3年(1560年)に樋口兼豊の長男として生まれ、永禄7年(1564年)に上杉謙信の養子となった上杉景勝に従って春日山城に入る。
豊臣政権時代の天正11年(1583年)には山城守を称し、兼続は内政・外交の取次のほとんどを担うようになる。
天正18年(1590年)の小田原征伐では景勝に従って関東諸城を攻略し、文禄元年(1592年)から始まった朝鮮出兵においても、景勝と共に参陣して見事成功した。さらにこの頃から、上杉領となった庄内地方においても大宝寺城の改修や、一揆の制圧などを取り仕切った。
慶長3年(1598年)、秀吉から出羽米沢(山形県米沢市)に6万石(寄騎を含めると30万石)の所領を与えられる。この年の9月18日に秀吉は死去する。
慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いでは、石田三成(西軍)と懇意にあった兼続は、徳川家康(東軍)と対立する。兼続は東軍に与した最上義光の領域である山形に総大将として3万人の精鋭を率いて攻略した。その頃、本戦で西軍が敗れたことが伝わると撤退を開始した。
慶長6年(1601年)7月、景勝とともに上洛して家康に謝罪し許しを得る。
その後、徳川家に忠誠を誓い、慶長13年1月4日(1608年2月19日)に重光に改名する。そして米沢城下に堤防を築いて町を整備し、殖産興業・鉱山の開発を推進するなど、米沢藩の藩政の基礎を築いた。
私が記憶にあるのは「さかなちゃん」かな?
「鳩子の海」もかすかに…。
そうそう、おしん!!
あれ? これは大河ドラマじゃなかったかな??
あ、私も「新撰組」は見てませんでした^^;
Santos Brandon <bhurp@birthexperience.com>
「いのち」というのがありました。
(ゴルゴ松本じゃないよ)
これは見てました
独眼竜政宗が面白かった
会津のpochikoさんには悪いけど、「新撰組」はあんまり見ませんでした。
旦那さまは夜勤で出勤してしまった…問ういう事で、目をランランと光らせた孫太郎と、ついさっきまで遊んでいった娘。
ようやくパソコンの前に向かえます^^;
黒磯はお孫さんの七五三のお祝いでしたか。
いや~ Mayumiさんと旦那さんの目尻の下がった顔が目に浮かぶようです。
なんだか、正装したイッチョマエになったような顔のお孫さん。
じじばば冥利に尽きますね^^
今は昔のように堅苦しく考えていないと思いますよ。
大きなお腹だったんですもん、無理しないで今年にして正解だと思います。
Mayumiさん、どうして孫ってこう可愛いんでしょうね。
同じ様な子供を見るにつけ、うちの孫太郎もこんなになるんだろうなぁ~とか思っちゃいます。
そうそう、Mayumiさん お察しの通りのとこですよ^^
あそこは割りとよく行くんです。
衣料品まで置いてあるので、ちょっと便利なんですよね。
品揃えも良いですし、今日はばぁちゃんのパジャマと下着を買ってきました^^
トンボの姿も少なくなりましたね。
こんなふうに止まってる姿もなかなか見つけられなくなりましたよ。
違ったかなあ…
いままで関心がなかったことでも、目が行っちゃうもんですよ。
かわいいですね、おそろいの法被着て。
あそこはお店の中の通路が広いからこういうことも出来るんでしょうね。
早生まれのお孫ちゃん、幼稚園はすぐですよ!!
小春日和のトンボの姿、柔らかい日差しで精一杯の光を浴びてとってもきれいですね。
夕方黒磯から帰ってきました。満7歳でお祝いの七五三行ってきました。こっちでは数えでやるのにね。
ま、去年やろうと思ったけどおなか大きくて大変だったから今年にしたんだとか言ってました。そんな気楽な考えで今年にずらしたみたいです。
昔だったらそんかこと考え付かないですよね。何でかんで今年やらなきゃって言う具合に。
そういう時代なんでしょうかねェ。
いくら自分の家で気をつけても類焼されちゃったら防ぎようもないですから。
しかも二度もですかー いい迷惑です(~_~;)
久美子。さん 大変でしたね。
うちもばぁちゃんが元気な頃、よく鍋やヤカンを焦がして…スワッ火事か@@;って思った事なんどもありました。
女子高生の宇宙人は何処も同じ。
何を考えてるもんだか~~ってとこあるもの。
孫も同じなんじゃないかな?
ちっちゃいうちだけだと思うよ、可愛い可愛いって言ってられるのは。
男の子も女の子も同じだよ~~
なんて、将来の久美子。ばぁちゃんに失望させるような事言っちゃいけないですよね(笑)
白菜なんかは霜に当った方が美味しくなるんですけどね^^;
朝の時間のトンボは雑草にしっかりと掴まり、体についた霜が解けるのをジッと待っているようです。
その生命力の美しさかなぁ~~
このところ空気も乾燥してて、火事になりやすいですよね。
泥棒は家ごと持って行きませんが、家事は尽く持ってかれちゃいます。
ホント気をつけなくっちゃ。
年末パトロールも寒いから大変ですね。
風邪など引かれませんように。
でも、海へ行こうと思ったら県内の浜通りへ行くより新潟の方が近いかもしれません。
何度か新潟へ行きましたよ~~(^-^)
こちらこそヨロシクです。
はい、今年の一月に孫第一号が生まれました。
今はハイハイやようやくつかまり立ちが出来るようになりました。
なんででしょうね、手放しで可愛いです^^
どうも歴史物は苦手だったんですけど、会津縁の直江兼続ともなれば、来年の天地人…見てみようかと思っています。
へへ…カッパエビセンは好きなんですけどね^^;
ヒメ様との散歩の時によく見かけるんですよ。
最近は寒く霜の降りる時も多いですからね。
暖かくなるのをジッと動かずに耐えてるんでしょうね。
はい、しっかり孫バカの仲間入りです^^;
園児の鼓笛隊って見てると、よくぞ先生も教えあげたというか、あんなに小さいのに良く覚えたって言うか…ちょっと胸が熱くなるときがあります。
wakasamaさんも、いつか園児の姿を我が孫に置き換えて見る事があると思いますよ^^
朝日を浴びながら、翅についた霜の冷たさに耐えているのでしょうね。
昆虫も冷たさとか痛さを感じるんでしょうね。
アピタの2Fに似てますけど、門田ヨークでした(^-^)
アピタの2Fの軽食コーナーは小さい子供がいると便利ですよね。
よく1Fの食堂に行ったりします^^
でも そろそろ天気も崩れそうですね。
孫って、歌の文句じゃないけど、なんであんなに可愛いのかと~~♪ です。
むふふ~~ tyakomamaさんと一緒に孫の追っかけ。
楽しそうですね~
tyakomamaさんのとこは神指でしたよね。
うちは間宮です、意外と近いですよ~~♪
歴史物一気読み…しかも分厚い本をですか。
どうも歴史には疎く、本ともしばらく離れてしまってます。
格差社会は武士の間のもあるのでしょうね。
石高の少ない下級武士の生活は苦しいものがあったと聞いています。
直江兼続も会津に深いかかわりのある人物。
調べてみると、なかなかの人物のようで…いつも見ていない大河ドラマ。
来年はちょっと覗いてみようかと思っています。
身近なところの写真が多いんですよ^^
会津と言えば白虎隊ですが、今度は新しい主人公が生まれそうですね。
大河ドラマ、普段見てなかったんですけど
今度は見ようかな~と思っています。
そうそう、今まで園児とか見ても、とくにどうという事もなかったんですけど
自分に孫が出来てからは、同じくらいの子供を見ると自分の孫と比較しちゃったりしますね。
通りゃんせ…懐かしいですね。
こういう歌はなくしなくないと思います。
くれぐれも、火の用心。
我が家は二度も、火事の類焼で引っ越しています。
この家に越してすぐ・・二軒先が焼けて・・そこの今は、駐車場になっています。
つくづくと・・火に縁があるのかも・・
実際、火は怖いですからね・・火事だけは、二度ともらいたくないです
可愛らしい園児達ですねぇ~まさしく一生懸命
pochikoさんのお孫さんもすぐですよ!
三歳までの可愛い可愛い時期から・・ギャングエイジ、反抗期・・そしてすぐに女子高校星の宇宙人・・て、それは私の娘達でしたぁ
pochikoさんとこは男の子ちゃんでしたね。
やっぱり・・孫は特別なんでしょか
透き通った羽根がとっても美しい~~~。
こちらも防災週間が終わって町会行事はいよいよ年末のパトロールの話し合いに入ってます。
pochikoさんも、お孫さんアリですか。
孫って、ほんとに可愛いね!
トンボのじっと耐えている姿、いいですね。
ワクワクします。
原作者の火坂雅史は新人ながら大御所の司馬遼太郎、隆慶一郎に匹敵する歴史作家です。結構愛読しています。どれも読み出したら止まらないカッパエビセンのような(笑)読み物です。
じっと我慢のアキアカネ、上杉家 家老の直江を連想します。
いい姿・様子です。
将来のお孫さんを想像されましたね。
我が家の真ん前に幼稚園があるので、此所でも園児による鼓笛隊の勇姿を見ることがあります。可愛いですね、我が家の孫の勇姿(まだ存在していませんが)は何年先になるでしょう?
霜が消えるまでジッと耐えているアキアカネ♂、健気ですね、こういう画像には胸を打たれます。
コスモスにしがみついていたミヤマアカネ♂も同じでした。
ここの、焼きそば、けっこう
自分の子供を見るときとは、見方が変わるんですよ
藩の石高に比べて、武士が多すぎて、満足に俸給を与えられず、山形に移されても、倹約して、下級武士の農業に活路を見出すといった、リストラの元祖。
バブル崩壊期の経営の元祖として、分厚い本になってました。
一気読みするくらいの面白さでした。~上杉雁山です。財政破綻を食い止めた人として、本も2冊だったか、出ています。
そんな環境のなか、良くふんばったひとですね。
景勝はしってましたが、他の2人は知りませんでした。
このトンボ なかなか撮れないよ 凄いと思う
会津と言って直ぐに頭に浮かぶのが白虎隊と
松平公 もちろん維新の頃を思い出すけど
今度のドラマ楽しみだなぁ~
小さな子供を見ると、つい自分の子や孫の事を
思ってしまうね 明日は七五三お宮には子供が
大勢行く事でしょうね
ここは何処の細道じゃぁ 天神様の細道じゃぁ
ちょっと通してくだしゃんせ
この子の七つのお祝いにお札お納めに参ります
七五三の歌ですが、今はもう歌わないのでしょうね
昔は若松城は神指町と美里町の白鳳山の羽黒山と三ヶ所候補地だったんですって。
そこに直江兼続が絡んでるとかないとか。
どっちかと言えば山形の方か新潟の方で有名なのかと思ってました。
大河ドラマで会津の名前が出るからかな。
確かに、保科氏か松平さんがメジャーですね。
会津はどっちかっていうと、保科氏か松平さんが有名なんじゃないですか?
米沢は伊達政宗が生まれたといってもそんなにPRしてませんし、5月の上杉祭りしているぐらいですので、米沢はやっぱり、上杉の方が有名ですね。
米沢出身でないので、詳しい事はわかりませんが・・