津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

お安く読む・岩波新書「秀吉の朝鮮侵略と民衆」

2013-03-20 22:52:37 | 書籍・読書

 

    秀吉の朝鮮侵略と民衆 (岩波新書)

 
          岩波書店



内容紹介

日本では「文禄・慶長の役」と呼ばれてきた二度にわたる豊臣秀吉の朝鮮侵略は、後世の朝鮮観に大きな影響を与えた事件であった。秀吉はなぜ朝鮮に出兵したのか。その構想と李舜臣による亀甲船の戦いなど戦争の実態をたどりながら、朝鮮水軍の船漕ぎや朝鮮人となった日本人など日朝両国民衆の姿を描きだす。図版多数。
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綿考輯録に見る関ヶ原(15)

2013-03-20 15:45:00 | 歴史

 関原軍記大成、筑前中納言反忠之内
    辰之刻より軍はしまりてやう/\巳午に及ひけれとも、勝敗いまたわかれさりしか、やゝもすれは関東勢戦地をしさる、かゝりけれとも、筑前中納言裏
    斬せらるへしとも見へさりしか、内府の御家人久保嶋孫兵衛御旗本へ馳参り、秀秋いまた裏斬すへき旗色と見へす、いかゝはからひ申さんや、とい
    ひて内府の御下知をこひたりしか、今朝桃配へ御馬を立られし時、南宮山の敵覚束なしと仰られけるに、本多中務承り、彼もし手を合すへき謀あら
    は山頭より引おろすへきを、今朝に至りて陳所をかへす、是ハ先手する吉川侍従か内通偽なきゆへなるへし、其上吉田侍従・浅野左京大夫以下の
    圧を召置れたるうへハ、今更御気つかひなき御事なり、御先手の合戦大事なれは急き御馬をすゝめらるへしと諫るによつて、関ヶ原江陳を移されけ
    るか、久保島か注進を聞召て、秀秋裏斬せさるにおゐてハ、秀元・広家も違変あるへきかとかれこれ御不審なきにしもあらす、此君いまた御若冠の
    比より、身方危き時ハ御指をかませ給へる御くせ有しか、此時も頻に御指をぁ身給ひ、せかれめにはかられて口惜/\と仰らる、しはらく有て家康
    公、しからは汝秀秋か陳ニむかひさそひ鉄炮をうたせて武色を見よと宣ひて、一年小林源左衛門か捧たりし驢馬をあたへらる、久保島彼馬に乗て
    先手へ馳帰り、内府公の銃頭布施孫兵衛、羽柴正則の鉄炮頭堀田勘左衛門両人の鉄炮十挺ツゝ松尾山へ向つてつるへたり、此時奥平藤兵衛貞
    治秀秋に近つき、関原合戦最中なり御兼約のことく裏斬せらるはしといひけれは、秀秋許諾せらる、また黒田長政の家人大久保猿之助ハかねてよ
    り秀秋の陳ニ至りしか、平岡石見か側へ近つき草摺をむすととつていひけるは、戦ひ既始つて勝負もいまたまち/\なるに裏斬の下知なきハ不審
    なり、若甲斐守に偽を申さるゝにおゐてハ弓矢八幡刺違へ申さん、とて脇差の柄に手をかくる、平岡更に驚かす、先手をすゝるしほあひハ我等ニま
    かせ置かるへしとて、爰かしこの戦ひを目はなしもせす守り居たり 中略、かくて秀秋ハ一軍の軍士五百余騎雑兵すへて八千を、五千ハ左右の先手
    ときわめ、三千ハ旗本組となして松尾山をくたりに雷発せらる、両先手の主将平岡石見・稲葉佐渡諸隊長を下知して陳列を調へ、先手六百挺の鉄
    炮を雨のことく打かけて鯨波をつくり、大谷吉隆か先手に有ける木下山城守・大谷大学・戸田武蔵守・平塚因幡守、前なる敵を追捨て、秀秋の先手
    へ向つて備を立る、吉隆ハ旗本の兵士四十余人雑兵僅ニ六百人を一手ニなし、金の吹貫の認旗、紺地に白餅つけたる旗をうちたて右のかたへ推
    出し、鎗ふすまを作つて待かけたり、吉隆ハ其日肌にハ練衣のふたつ小袖、上にハ白布ニ村蝶を墨ニ而書たる鎧直衣を着て、朱の佩楯に朱の頬
    楯して甲冑をはよろはす、あさきの絹の袋に顔さしいれて頬楯の下にて緒を結ひ、四方取はなしたる乗物に乗て近習の兵士ニかゝせたり、敵兵既
    にちかつきけれは、先手と旗本の鉄炮四百挺を放つてかゝりあひ勇を奮ひて相戦ふ、吉隆駕を乗廻し、今日秀秋を首ニせすハ骨髄に通りて口惜か
    らん、汝等敵を追崩し旗本を目ニかけて切入へし、と大音揚て兵士を励す、平塚因幡為広ハ六十余人をしたかへ、十文字の鎗を取て馬上より敵を
    突ふせ/\、あたりを払つて馳めくる、戸田武蔵守重政父子五百余人を前後ニたて、武州も自身鎗を取て働しか、馬上より鎗を取おとし太刀打にな
    つて相働く、戸田が中間落たる鎗を拾ひ取て主人の側へかけつけ、御鎗を参らせんといひけるに、武州暫時戦ひをやめて、汝ハ氏もなき下々なれ
    とも用に立へき者と思ひなからも、日ころ面くせわるきかにくさに、終に刀をさへさゝせさるハ、我等武道の誤りなり、今更面目なけれとも是を得さす
    るそと云て、抜身の太刀を投出し鎗ニ取替けるとなり、秀秋の陳将平岡石見・稲葉佐渡ハ勝敗いまたわかれさるを怒つて、小敵の堅は大敵の鎗な
    り、たとひそうなき強兵にもせよ、手にたらぬ程の小勢なれは息をもくれす追立て、大谷父子を討取るへし、と両人頻に下知すれとも、秀秋の先鋒
    三百騎死憤の兵に駆たてられ松尾山の麓へ抜き靡く、田中勘左衛門・布目新平等の死をいたす輩二十九人、創を被るもの五十人に及へり、内府
    の御目附奥平勝兵衛ハ高名して其首を御旗本へ送り、猶先手にあつて戦ひけるか、身方の兵士崩るゝ時比類なき働して撃死す、此時藤堂高虎
    以下の諸将も大谷か先手木下山城・大谷大学と相戦ひけれ共、利を失ひて引退く 下略 

 関原軍記大成、大谷吉隆自害之内
    かゝりけれは大谷か先手へ向ひたる藤堂佐渡守・同宮内少輔・織田有楽・同河内守・津田長門守等の関東勢、初度の戦ひに利を失ひ戦地をしさり
    けれとも、秀秋の裏斬と手合すへしとて大谷か左のかたへ馳近く、脇坂中務少輔安治父子はかねて藤堂高虎を頼み関東へ内通有けるか、高虎の
    陳に旗を振るとひとしく、藤川を渡って大谷か右の方へ兵をすゝむ、是ニよつて一所ニ備たる小川土佐守父子・朽木河内守・赤座久兵衛・脇坂と一
    手になつて馳かゝる、是を見て秀秋の先手も旗をかへし、又鯨波を揚て打てかゝりけるに、大谷か一陳の兵士又ハ戸田武州・平塚因州三方に敵を
    請て勇を挫かす、秀秋の先手を又一町はかり追立けれとも、左右より稠敷揉立られて列伍やう/\しとろになる 下略

 関原軍記大成、三成狼狽之内
    去ほとに羽柴越中守・黒田甲斐守・加藤左馬助・田中兵部大輔・生駒讃岐守・竹中丹後守ハ、石田三成か先手と戦ひて勝敗いまたわかれさるうち
    に、大谷吉隆か陳を攻破りたる、織田有楽父子・藤堂佐渡守等も馳来て我劣らしと勝負をあらそふ、石田か手の者今日をかきりと思ひけるにや、退
    けとも引返しひらけとも又かけ合せて、追つまくつ七八度まて戦ひしか、蒲生大膳・同大炊・北川十郎を始として混冑の兵士百三十人枕をならへ撃
    死す 中略 かゝりけれは石田か陳へ向ひたる諸将、終に敵を切崩し柵木を打破りて旗本へ突かゝりしに、石田も今ハかなわしとや思ひけん、大一
    大万大吉の旗をしほらせ胆吹山の方へ引退き、それより草野の谷へかゝり、大谷山を経て鳥上山にいたる 下略
    私云、此御一戦の首注文等ハ即時の記共見江不申候へとも、旧記のまゝ左に出し置申候、尤下の小書ハ後年のものと見へ候間此度加へたるもの
    有、二重ニ見へ候ハはふきたるも有之候、且御備御武具の様子等見合ニも成へき分ハ一所ニ記し申候 

 

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雑花錦語集の内容(15~20)

2013-03-20 13:38:36 | 論考

    雑花錦語集(巻十五)

1 与服仲英鴻儒文
2 奉復宇和島候書
3 贈熊本候序
4 釣説
5 問目
6 孝子孫次郎
7 与仲精先生
8 游冨嶽記
9 或記
10 花隠小話ノ内之文
11 栄辱論
12 義サ阿庶梨愛蓮記
13 妖不勝徳論
14 寄呉中故人書
15 釣説
16 与加中精書
17 私擬策問一道
18 騎非古論
19 登臨不動岩賦
20 五松記
21 老子度関説
22 暦鳳夢記
23 合志郡福本八幡宮梁牌
24 相撲略伝
     雑花錦語集(巻十六)
1 寒山拾得の讃の事
2 蓮台寺西福寺贈答狂歌の事
3 小栗成純海棠の歌の事
4 桑名玉芝狂歌の事
5 江戸桔梗屋女房の事
6 志方之章借銀狂歌の事
7 市川団十郎光陰如矢の歌の事
8 森本一瑞八代にて発句歌の事
9 寺川武茂長州紀行の事
10 樋口元賀狂歌集の事
11 秀吉公吉野花御見物の事
12 尾州福治庄右衛門娘座敷八景歌の事
13 仙台領地名所和歌の事
14 長崎高木妻亀女歌の事
15 太田道潅江戸城築ての歌の事
16 武州三養天神の門外の鷹の歌の事
17 間宮左衛門武蔵野歌の事
18 森本一瑞冨士の絵歌の事
19 仲光正嘉一夜百首の事
20 仲光正嘉同五十首題の事
21 題不知不知読人歌十三首の事
     雑花錦語集(巻十七)
1 忠興公御書二通 大阪落城之節也虚無僧掟の事
2 観世大夫勧進能之節の事
3 倭木三十シュの事
4 松平土佐守様御家来打果の事
5 京都騒動の事
6 高野山の事
7 朝鮮人行列の事并来聘一巻の事
8 薩摩城下出火の事
9 由井正雪の事
10 忠越甚大夫事
11 芭蕉渋笠の銘の事
12 士道教戒之中抜書の事
13 雑話四ケ條の事
14 日和考の事
15 紙てうの文の事
16 王城守護三十番神の事
17 和漢三才図絵の肥後国名目の事
18 京都大火事の事 宝永5年
19 宗孝公御入国之節能の事
20 宗考公御入国之節水前寺ニ而相樸の事
21 熊野社修覆勧進帳の事
22 利根川洪水一巻の事
23 丹後国騒動の事
24 京極丹波守事
    雑花錦語集(巻十八)
1 天神百首御詠の事
2 元禄十五年御着別百首の事
3 鷹丸大納言光栄御名歌の事
4 有栖川熾仁親王御名歌の事
5 冷泉為村卿歌硯述懐歌の事
6 似雲法師歌の事
7 武田大膳大夫元信詠草の事 (冬日向詠冠薬師各号和歌)
8 山崎宗鑑辞世の事
9 春曙尋花題歌の事 丑2月20日 (春日詠二首和歌)
10 夏日寄竹祝歌の事
11 同日探題三十六首歌の事
12 冷泉宗家十首歌の事
13 三斎公鑓持大仏の御歌の事
14 国寄セの歌の事
15 和泉国服部六左衛門妻歌の事
16 森本一瑞芦北にて歌の事
17 西行法師三宝嶽の事18 白嶋の歌の事
    雑花錦語集(巻十九)
1 研覃居詩
2 重賢公詩
3 水足屏山詩
4 水足安房詩
5 玉山詩
6 水足安方詩
7 玉山詩
8 水足屏山詩
9 紅星子詩
10 菊城懐古
11 狂詩
12 重賢公詩
13 秋山玉山詩
14 阿蘇山詩
15 井口鳳梧詩
16 林信篤詩
17 森本一瑞詩
18 古屋愛日詩
19 宣紀公詩
20 境野リョウ雲詩
21 片岡朱陵詩
22 宇土侯詩
23 水足博泉詩
24 秋山玉山詩
25 片岡朱陵詩
26 秋山玉山詩
    雑花錦語集(巻二十)
1 小倉へ唐船着之書付追船人数并図長門筑前衆名付共 (享保二年)
2 (享保三年)唐船同所着三ヶ国より之追船御人数付
3 同時呼子浦伝兵衛口上書の事 (享保3年)
4 焼酎之懈
5 朝鮮人来朝進物 (延享5年)
6 朝鮮人江被下物書付
7 同時鞍下絵并細工人
8 同時塀風筆者付
9 宝暦6年 九十以上御吟味之面々
10 霧島山火之事
11 白楽天計事
12 藤崎宮八崎之事
13 藤崎宮火王仁王等細工人并鐘事
14 金沢之八木
15 日光山御社参之事
16 諸大名十七才より内跡目之衆
17 万石以下ニ而乗興
18 万石以下ニ而下屋敷拝領
19 従公義御使ニ而被遣品々
20 従公義病気御尋并御悔ミ上使奉書御香典之次第
21 国持之面々の事
22 准国主の事
23 一国領准国主ニ非ル面々の事
24 御一字頂戴之面々
25 御番頭之次題
26 同組頭之次第
27 同組之次第
28 加つら女之事
29 遷都之事
30 三階菱紋付ル面々

 

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綿考輯録に見る関ヶ原(14)

2013-03-20 08:21:25 | 論考

 関東(ママ)軍記大成、細川・黒田力戦之内ニ
     かくて細川忠興・加藤嘉明・田中吉政・生駒・戸川以下ハ、小関野の敵と戦はんために兵士をすゝめらる、黒田長政ハ竹中丹後守ニ道路を案内させ
     て、岩手山の麓を相川より栗毛・小栗毛にいたり、小栗毛の川原ニ備を立られしに、石田か家老嶋左近青塚に備をたて頻に鉄炮をはなつ、長政の
     銃頭堀平右衛門・菅六之助・野口左助・増田与助・白石正兵衛 後号監物 等きひしく鉄炮を打かけたり、中にも白石正兵衛白しなへのさし物さして先
     登にすゝみて、終に敵を追立しに、内府公白石か武者振を遥に御覧して、黒田甲斐守か家来白石正兵衛と申者なりと申けれは、比類なき働なりと宣
     ひしか、其後も彼か戦功を殊更に感し仰下されけるとかや、石田三成ハ家来萩野鹿之助を先手はつかはし、鬨に打勝へき時いたれり、いそき合戦
     はしむへし、と下知するによつて先手の隊長兵をすゝむ、田中兵部大輔・生駒讃岐守・戸川肥後守・岡田将監等かけあはせて戦ひけるか、関東勢終
     に戦地をしさる、此時石田か軍士萩野鹿之助一番鑓を突たりとかや、三成先手の千里ありと見て、南宮・栗原の身方内府の旗本へ突かゝるにおゐて
     ハ、必定勝利なるへしとおもひ、天満山ニ相図の狼煙をあけさせ、其身ハ陳所の丸山を下り、鬨をあけて柵際にせまる、石田か先手の輩田中兵部を
     二三町はかり追たてけるか、加藤左馬助・羽柴越中守・黒田甲斐守三家の軍士三万より突かゝりけるか、加藤嘉明の家人原甚兵衛一番鎗を合せ、
     剰東新大夫か首をとる、羽柴忠興の軍士有吉与太郎鎗下の首をとる、忠興の嫡子羽柴与一郎忠隆・二男長岡与五郎興秋・舎弟細川玄蕃頭興元
     牧左馬允四人ともに鎗を合はせ首をとる、忠興も敵中へ馬を乗入自身太刀打せらる、其家人米田与七郎香(加)々山少左衛門牧長三郎鯛瀬善
     助矢野采女杉原三平首をとる下略 

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