播磨屋さんから送られてきた今回のメールマガジンには「能勢氏」が紹介されている。
https://mail.google.com/mail/ca/u/0/#inbox/13d5085baa14c059
切竹矢筈十字紋が能勢氏の家紋とされる。能勢氏はもともと切支丹であったらしく、クルスを矢筈に変えたらしい。江戸期に入ってからの事とされる。細川家にも能勢氏がありこちらは「丹後以来」の家であり、家紋は「丸に目結い・違紋 ?」である。丸紋の中に、12個の目結いがクルス状に組み合わされて45度傾けられている。播磨屋さんの解説にあるように、能勢家はもともとは目結い紋であったらしいが、熊本の能勢家はこの古い形式を伝えている。
また幕臣においての能勢氏といえば、小十郎頼隆が細川家とは昵懇である。細川家家臣・青地久右衛門(寺田源右衛門)の召出にはこのこの小十郎が肝煎りしている。
能勢氏については気になっている本がある。池田政隆氏の武士の風景という本である。
Amazonでは現況入手が出来ないようだ。
内容紹介
親族の家に残っていた能勢家記録やその後に集めた資料、物語で日本史の意外な事実が分かり、一冊にまとめてみました。
本能寺の変で明智光秀に味方し、矢で織田信長の胸を射ぬいた話、大阪夏の陣では一族が東西に分かれて戦ったことなどが伝えられています。
本当の武士の姿と日本史が角度をかえた視点から見え、歴史(事実)は小説より奇なりとつくづく思います。
本能寺の変で明智光秀に味方し、矢で織田信長の胸を射ぬいた話、大阪夏の陣では一族が東西に分かれて戦ったことなどが伝えられています。
本当の武士の姿と日本史が角度をかえた視点から見え、歴史(事実)は小説より奇なりとつくづく思います。
著者からのコメント
江戸時代に日本に来た西洋人は、日本では武士が貧乏であっても裕福な商人よりも尊敬されているのを見て驚いたといいます。
多くのものを私達は置き忘れて来てしまったのではないでしょうか。本書から真の武士の姿を見てもらいたいと思います。
多くのものを私達は置き忘れて来てしまったのではないでしょうか。本書から真の武士の姿を見てもらいたいと思います。