津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

綿考輯録に見る関ヶ原(4)

2013-03-06 22:44:19 | 歴史

一、十四日午之刻はかりに赤坂ニ御着、岡山を本陳と被成、御先手の大将衆ハ未明より五町三町程青野ヶ原の方江人数押出陳を居られ候
      一ニ、大垣の方ニ張出しと有、又一ニ、家康公ハ福島氏の本の陳屋へ御入、忠興君の本の陳屋ハ金森法印の陳屋となると有、又岡山ハ赤坂
       の駅の南に当り、三町四方の陽山なれは、兼てより何れも談合にて爰に御本陳を定、柵を構へ四方ニ張陳すと、明徳親民記にあり
  敵方には内府御着陳の沙汰とり/\にて、その虚実を窺ひ知るへき為ニ未の刻さかりに人数を出し、株瀬川にて中村・有馬・堀尾等の衆、敵と取合あ
  り
      関ヶ原軍記大成ニ、異本ニ此古戦を赤坂口・池尻口、笠木堤・福田縄手・笠縫堤抔まち/\に書付ありと云々、考ニ、地名夫々寄所有と見へた
      り、呂久川・佐渡か川なとあるも、株瀬川の筋にて渉り所の村名ニよりて云也、又株瀬を久世川ともあり、くひ川とあるハあやまりか、呂久の渡り
      ハさわたより半里ほと川上也、呂久村ハ合渡より赤坂江之道筋、さわたり村ハ尾越・須の股より大垣への道筋也、木曽路と中山道との違なり

一、同日の晩景におよひ、忠興君を初諸将召ニ応し、御本陳ニおゐてこう攻戦の利害御相談被成候ニ、大将達一同に、内府御着陳之上ハ面々人数を出
  し大垣の城を攻落すへしと有、家康公仰られ候ハ、各御評議尤ニ候へ共、秀家を初諸将大勢にて楯籠との事なれハ、速ニ其功なかるへし、何とそ場
  中におひき出し一戦に討取可申、しかれハ敵を引掛るため陳所を移しかえらるへきかと被仰、各領掌有て御退出被成候、惣軍へ被触渡候而ハ、夜ハ
  すてに亥の刻なり
      御年譜、御本陳ニ諸将御揃之時、明日合戦相極候、其心得有へしと被仰出、各奉得其意暫御咄之内、中村式部少輔衆御前へ被召出、明日御
      合戦可被成間、大垣の押へ御頼可被成旨、一氏の弟彦左衛門 一ニ彦右衛門 一栄ニ被仰渡候処、家老藪内匠正照(後・細川家臣)幕の外ニ居候
      か幕打あけて、彦左衛門待可申候、太閤の御代先手仕式部少輔と世間ニ被知候も、皆共かせき申故ニて御座候、一氏果候へ共家来之面々罷
      在候うへハ、先手可被仰付候、といかにも目高に急度申上候、此時白糸の鎧を着し候か今日の軍に手負けると見へ、血の付たるか目に立てよ
      かりしと也、扨色々御挨拶御座候ヘハ、主なしにて候間いか様にも不苦と申す、忠興君心元なく思召井伊直政へ被仰候ハ、主なし無紛候、兎角
      御相付被成可然と御挨拶有之候と云々、考ニ、十五日之手配ニハ、中村手大垣の押へ勢の内ニ入たる記も有、又南宮山の敵を押の内ニ入たる
      も諸記まち/\なり、いつれ井伊直政と一手ニてハ無之と見へ申候、尚可考、且又右御備定之事、十四日之夕、明日弥御合戦可被成とて夫々
      被仰渡候と記したるもあり、又敵大柿(ママ)を出候以後、御先手所々の押へなと御使番を以被仰渡とも有之、是非分明ならす、惣て十五日之事、
      十四日之宵まてハ決定、合戦可有とも知れ不申候、其故は敵十二三万 一ニ十万三千余 の人数にて大略ハ大柿の城ニ在、栗原山・南宮山ニ
      陳をかまへ要害をしめて扣へ居候に、軽々敷関ヶ原江御人数出さるへき様これなく、すでに敵を偽引出すため、陳所をうつしかへらるへしと被
      仰渡けると有之、敵場中へ出張候ハゝ御合戦可被成とて、御備の手賦夫々に被仰渡、大将各退出候処、陳替有之迄もなく、敵はや大柿を出関
      ヶ原の方へ押出し候間、御使番を以被仰渡たるなるへし、同書ニ、右御本陳より御帰りが長範松へ何も御上り南宮山の様体御覧候処に、山より
      壱人走下り申ニ付、何者ぞ捕へて参候へとて、各御内衆一両人完(宛)被出候、忠興君よりは吉住半四郎、大槻才次被遣候処ニ、吉川より黒田
      氏へ使に参り候と申ニ付、長政の陳所へ召連参申候、使者口上ニハ毛利身体前々の通被仰調被下候ハゝ、明日手切の合戦仕御目ニ可懸と
      なり、依之長政赤坂へ御出にて、右之儀被仰上候ヘハ、被申越ことくに候ハゝ、毛利身望のことく可被仰付との御意にて、其通り返事有之候と
      云々、考に、吉川内通之事家康公赤坂へ御着前より段々往返も有之たると記し候も多く候、左候ハゝ、此使ハ合戦有之候ハゝ、弥裏切可仕と
      の事を被申越たるか、偖又(サテマタ)長範松江上り南宮山の様子御覧被成とあれは、いまた日暮さる前なるへし、午の刻はかり岡山に内府公御
      着、其様子敵方にも知れ、猶虚実を計へきため、大垣より人数を出し株瀬川にて合戦有、其後諸将御本陳にて御評議、其御帰りに南宮山の様
      子御目計被成候、彼是九月の短日いかゝ可有之や、但是より前に敵南宮山ニ陳取候節、加藤氏と被仰談、物見に御出被成候とあるを混して
      此所へ出し有之か、諸書可見合也 


          

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脇目もふらず

2013-03-06 18:24:47 | 徒然

 今日は昼食抜きで、脇目も振らずCADに向かい生業の方の作業をする。都合9時間PCに向かいっきりで、目は疲れるは、肩はこるはでご老体は音を挙げている。私をたよっていただく方がある限りは、現役でいたいと思っている。
ここ数日、この企画を何とか成功させようと布団の中でもいろいろ考えていると、寝付けなくなり睡眠時間が5時間ほどで眠くてしようがない。

ここからは、脇目をふりつつこのブログのためのタイピングをしようと思っているのだが、今日中にUP出来るかしら・・・・

じいさんよくやるよ・・・と我ながら驚いている 

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綿考輯録に見る関ヶ原(3)

2013-03-06 08:28:19 | 歴史

一、十日、魚住十助 去月尾州清須より被遣候也、十助ハ播州三木之別所小三郎一族、子細有之候而御家人になる 田辺より罷帰り、弥以御堅固之由申上候
      一書、九月八日忠興君より忠利君ニ被遣候御書之内ニ、丹後弥堅固ニ而仕寄をさせ仕候ハて、十町計も引すさり陳取候由ニ候、気遣あるへか
      らす候と云々、此御書を以考候ヘハ、十助ハ七月八日比罷帰候かと云々、しかれ共去ル二日森三右衛門丹後より帰候而、田辺守攻の様子申上候
      ニよつての御文言ニても可有之、然は十日と有も誤なるましきにや
一、同時木下右衛門大夫殿御使として山田源助 幽齋君より御加賀様御付被遣候侍也、一説ニ早(吉ィ)井市右衛門と申共、又ハ青野(柳ィ)と後ニ申候共云 播州姫路より参着仕候得
  ハ、能時分ニ参候と忠興君被仰外ニ御使者を被添、井伊直政・本多忠勝へ源助を被遣、其返事を聞召候而御機嫌能御座候、此砌家康公より木下氏
  江御書被遣候を、源助帰りに姿を変、大垣の関所をも無異儀通り候処ニ、草履取後れて被捕糾明ニあひ有の儘に申候間、跡より追付源助を捕へ引は
  り切ニせしと也、右之通ゆへ御書は到着不仕候へ共、被仰出の上ハ無別条 九月廿六日生野へ御着陳候而、福智山の城御攻候也
一、赤坂御在陳之内戸田武蔵守重長方江忠興君より安田九左衛門を以利害を説、味方に属せらるへき由被仰越候処、忝ハ候へ共、忰内記ニ治部少輔
  目を掛候故御味方仕難し、との返答有り 武蔵守九月十五日討死也 、朽木河内守元綱にも九左衛門被遣候得共、承引なかりしと也
      関ヶ原軍記大成ニ、越中守忠興井伊・本田ニ相談有て、秀家の方江使者を遣し、今度各御相談有て大事を企らるゝ事、偏に幼君の御為なれ
      は、急き御方ニ可馳参由度々被仰聞と云へとも、元より石田三成等か邪謀分明なるに依て、一人も御招に随はす、一向内府の幕下ニ属し各戦
      功を励す故に、高巣・福東・岐阜の城攻、米野合渡の戦ニも、皆関東勢勝利を得て弥敵を脚下ニ踏む、かく勝ほこりたる大敵をいかて暫も支らる
      へき、羽柴利長卿は此強弱の勢を兼てより計り給へるにや、ひたすれに内府の御味方と成り、先日大聖寺の城を攻落して威を刻々ニ震ひ給へ
      り、然は御同職と云御縁者と云、利長卿と仰合され内府へ御忠節有へし、と懇に申入られけれハ、秀家返答ニ申されて曰、利長を初め其方達、
      ひたすらに内府の味方となり、幼君秀頼公に叛き奉る、是を人臣の道とせんや、黒白を知る輩ハ嘲り悪むへき事なるに、聊憚る気色もなく、剰我
      等ニ差つけて内府ニ忠節せよと云るハ、思ひかけも無き音信也、中ニつきて内府ニ属する面々一筋に武功を励む故か、所々の城攻合戦に勝利
      を得たるとの自慢なれ共、味方ニも軍功無にハあらす、我等大坂を出馬する序に伏見の城を攻落し、数ならぬ輩なれ共鳥井・内藤以下を誅して
      首途を祝ひ、又安芸宰相秀元勢州へ懸りて、下向の序に阿濃津の城を攻破る、又小野木縫殿助其の方の領内へ働くに依て、老父幽齋一城を
      拘へ、此外味方の勲功あれと皆小功成れハ云ニ不足、所詮両軍を打合せ手痛挑戦て後彼我の勝負を諭すへし、仮令勝ニもせよ、味方の虫に
      於てハ、恥なかるへし、身を立んために敵になる人、負てハ末代の嘲を受、勝てハ君を弑するに至らん、此所を了簡ある様に息与一郎(忠隆)・
      与五郎(興秋)
ハ痛める顔色有けれ共、忠興一向承引なく、舎弟玄蕃頭(興元)を呼て申されけるハ、一人も敵ニ内通せす、殊更吉田侍従・伊奈
      侍従・伊賀侍従・黒田甲州・田中兵部我等なとは太閤の御恵みにて身を成立たる者にも非す、然は家の滅亡を捨て、秀頼公の行末を一筋に計
      るへき道理もなし、其上今度の一乱ハ正敷侫(佞)臣の計なれは、一向に内府の味方して弥戦功をあらはすへし、与一郎・与五郎にも此旨教訓
      して給はるへしと有けれは、玄蕃頭返答申されけるは、野州小山に於て仰合されたる条々有れは、今更御異変有へき事ニも非す、其上先日奥
      方の自害注進のとき、幽齋老よりの御下知も有れは、旁御志を固くせらるへき事勿論なり、与一郎・与五郎某か心中ニ於てハ、少も御此処にか
      けらる間敷と有に依て、忠興殊之外祝着せられしとかや、尚古(右)案するに、丹後侍従と備前黄門の問答ハ、秀家の家老明石掃部頭年を経て
      後、大坂の城中ニて人に語りしを、末座に居て聞たる小岩角右衛門・同吉右衛門兄弟の物語なりと云々、考ニ虚実はかりかたし

一、十三日、家康公岐阜ニ御着、十四日赤坂江 四里半程 御着陳可有の旨ニ付、忠興公を初め諸将御迎として呂久川の辺迄御出有、家康公早速御対面、
  此程の軍功を被述御感悦不斜、関ヶ原合戦誌記ニハ、十四日岐阜より本田の船渡し、莚田郡の道筋を御押也、先手の諸大将御迎として呂久・池尻
  迄皆出向ひ奉り、御目見申上と云々(牧)尉大夫覚書ニ、十四日の出ニ坂坂に御着の筈ニ付、諸将未明より青野ヶ原ニ押寄と云々、又一書ニ九月十
  三日卯時ニ岐阜御出馬、合渡の川上尻毛村より舟筏にて川を越給ひ、同日の午刻ニ岡山へ御着陳と有、後風土記ニは、家康公神戸町 岐阜より五里
  り赤坂へ御着と有、又一書、十一日尾州清須に家康公御着、此所迄諸将御迎ニ御出、戦功等御感有と云々、考ニ赤坂表ニて敵合近く候へ共、互ニくら
  ひを計りて戦無之数日御対陳也、しかるに大敵を前ニ置、いかに家康公御着陳なれはとて、清須まで遥々跡へ諸将立帰らるへき左馬ハ無之、強而考
  候ヘハ、井伊直政清須迄ニ被参候に、諸将の戦功直政の差図等殊之外御感心有之たるとの事を心得違たるか、無覚束
  

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吉川弘文館より「永青文庫叢書」ほか

2013-03-06 00:20:07 | 書籍・読書

永青文庫叢書 細川家文書 絵図・地図・指図編Ⅱ

永青文庫叢書 細川家文書 絵図・地図・指図編Ⅱ  新刊

目次

序文…蒲島郁夫/例言/図版編(江戸幕府の成立〈合戦絵図〉/領国〈国絵図/櫨場絵図/新地絵図/災害絵図/鷹場絵図/明治の県図/全国絵図〉/参勤交代〈街道絵図/江戸町絵図〉/鎖国〈島原の乱図/外国船来航図/長州戦争図/世界地図〉)/解説編(永青文庫所蔵の「絵図・地図・指図」―江戸幕府の成立と領国支配…北野隆/「絵図・地図・指図」資料群の構成と旧管理記号・蔵書印…藤本豊治)/跋文…甲元眞之/収録史料目録

内容説明

「江戸幕府の成立と領国支配」をテーマに、細川家伝来の膨大な資料から203点を精選。幕府成立までの合戦を描いた絵図、武家大名による統治のための国絵図のほか、参勤交代や鎖国制度に関わる街道絵図・外国船来航図・世界地図などをオールカラーで掲載。近世の肥後からみた日本の様相が示される。既刊Ⅰと併せ細川家への理解がいっそう深まる。


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細川家の歴史資料と書籍  これから出る本


細川家の歴史資料と書籍


目次

序説 熊本大学寄託永青文庫 細川家史資料の構成と歴史的位置…稲葉継陽/和泉上守護細川家ゆかりの文化財と肥後細川家の系譜認識…山田貴司/細川家伝来の織田信長発給文書―細川藤孝と明智光秀―…稲葉継陽/十九世紀の宿場町を拠点とする地域運営システム―熊本藩の藩庁文書、「覚帳」・「町在」をもとに―…松範子/永青文庫蔵熊本大学寄託和漢書の蔵書構成…森 正人/細川幽斎の蔵書形成について…岡 涼/細川重賢の蔵書と学問―漢文資料をめぐって―…山田尚子/あとがき…森 正人

内容説明

熊本大学に寄託されている、熊本藩細川家に伝来した4万3000点以上の永青文庫資料。特殊な「藩侯の史資料」と、膨大な「藩庁の史料」を、ともに伝存させたという特色を持つ史資料群を、細川家伝来の信長文書、和漢書の蔵書構成などのテーマを立てて、歴史学と文学の両分野から総合的に分析。近世の国制上の基本単位である、大名家の実像を探る。

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