津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■糅てる

2014-05-08 14:19:27 | 徒然

 雑事紛冗解(p25)を読んでいたら、今では死語とも思える言葉が出て来た。熊本でもよく聞いた言葉だが、当時は肥後人は知らぬ「京言葉」らしく驚いてしまった。

   カテゝクワエテト云事 
       京都ニテ通用ニ申候、カテゝか様ニ申な(ママ・と欠カ)ケ様ニも申候、両様共ニ通用ニ申候、一事之上重り申候事を申候言葉ニて御座候

「糅てて加えて」なのだが、「糅てる=加える」の意だから強調する言葉として使われたようだ。「糅」とは、かて飯というようにご飯の量を増やすために何かを加えることを言うのだそうで、かやく(加薬)ごはん等もそうだし、戦時中御飯にサトイモなどをいれたのもその類である。

例えばバナナのたたき売りなどで、最初の一房で売れぬと「カテゝクワエテ」と声をあげながら、今一房を追加するといった塩梅である。
京都から伝搬した言葉は遠い地方に定着し、本家の京都では使われなくなった言葉がたくさん見受けられるが、この言葉もその類であろうが、さすがに今日では熊本でも日常的に聞くことは無くなった。面白い発見であった。 

 

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■森本櫓・続 + 古京町

2014-05-08 09:09:37 | 史料

先に書いた■森本櫓の続である。

    右古京町乾ノ櫓屋敷御當家ニ到リ澤村氏ニ賜フ 澤村氏始ハ山崎川耳ニテ今ノ御作事所ニ居テ厩川ノ方ニ磡ヲ高ク築テ長屋ヲ造リ其後古京町今ノ長岡伊豆殿ノ屋敷其後此屋敷ニ移ルト云
    テ代々居之明和七寅年六月廿八日坪井京町失火ノ節飛火屋根ニ燃付キ夫ヨリ此櫓モ焼失ス 澤村大九郎ハ京町口小笠原備前元屋敷ヲ賜リ作事跡半ハテ柏原九八郎ニ
     賜リ翌卯年作事此屋敷下ニ祓川ノ入江有要害トス澤村氏ノ時ニ到リテ埋之外小竹ヲ植フ 

■古京町
    往日此所少カノ市店有リテ京町ト云 京町ノ地名其所以ヲ知ラス 其外ハ竹林ニテ宮内村ニ隣レリ當城築ノ日市店ハ移シテ今ノ京町トス故ニ此處ヲ古京町ト云
    古京町今ノ平野新兵衛屋敷ハ城築ノ日此邊ノ作事營也 又門前ノ屯ニ二ノ丸ヨリ一條ノ溝川土橋アリ寛文ノ頃此溝ヲ埋テ屯トシ水道ヲ屋敷際ニ通ス 此水涸テ今ハナシ 新堀御門内ノ今ノ志水三次兵衛門前ノ屯
     昔ハ江某屋敷ノ時居宅焼失ノ後門前ヲヒロケテ今ノ屯トス

■冨士ノ繪
    古京町長岡伊豆殿屋敷ノ書院ニアリ畫工ヲ知ラス 當城築ノ日ハ飯田寛兵衛屋敷ナリシ 御當家ニ到リ澤村大學助吉重之レニ居リ忠利君吉重ヲ遣シ玉名郡藟嶽
    ノ古城ニ残リシヲ■シム 此時古城廣間ノ壁ニ冨士ノ繪アリシヲ取皈テ書院ノ壁ニ張ト云 今ニ其繪書院ノ壁ニ残レリ
     

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■筒井筒・・・

2014-05-08 08:24:03 | 史料

                                       陶製茶碗

 秀吉が筒井順慶から貰い受けた茶碗、或る時小姓がこの茶碗を落として五つに割れてしまう。
この場所に居合わせた細川幽齋が「筒井筒五つにわれし井戸茶碗とがをばわれに負ひしけらしな」と詠んでこれをとりなし、秀吉の不興が解けたと伝えられる。

見事に繕いがなされ景色となり風情となっている。
筒井順慶から貰い受けたので「筒井筒」と名付けられたのであろうが、この言葉に関して「雑事紛冗解」(p34)に次のような解説がある。

   つゝゐづの井つゝにかけしまろかたけ すきにけらしな いも見さるまに
       つゝ井のゐづゝとハ、かさね詞也、石なとをもつまぬ井なり、まろハ、昔ハ我を称して、丸といへり、やかて名のりにも何丸なと、此字を用ひたり、
       妹は唯女をいふ也、宗祇、惣の心は業平と、此女といとけなき時、たけなとをゐけたにくらへて、いか程にならハなと契りけるなるへし、男女互
       に思ひかハしてありけれは、我ものゝやうに題して、妹見さるまにとよめり、これは例の作り物語りなるへし、如斯歌、古歌にあるを、中将との云
       成せり

                教科書に出てくる伊勢物語

この雑事紛冗解は「重賢公がみずから調べられたもの、または家臣に命じて調査させたもの、その他、関係者に依頼したもの」を編集したものとあるが、この項は、重賢公御自身に寄るのではないかと感じている。
 

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