阿蘇の宮阿蘇嶽一見せしと大津へ志し出立熊本
より大津まで五里此道は平地にして街道廣サ三
拾間ばかり左右に土手有り並木ミな/\大樹にて
もみ此外雑樹も多し 云ヒ傳ふ清正朝臣奉行
して此道をつくりけると云之其時より道も狭く
せす並木もきらすして其まゝのかた也日本第一と
いはんひろ/\せし街道也 太守御参勤交代此
ミち筋より豊後の鶴崎へ御往来有り所/\に見
苦敷小家も多し茶屋も稀にて淋しき道也 大津ハ
三百軒はかりの在町也大津より東二里半にかふの水
と云登り下り一里半の坂有峠より西のかたに肥後
肥前の海を見る 阿蘇郡に入りては一国のうちな
から風土大ひに替りて甚タあしき所にて百姓家に
戸をたてし家は稀にて竹のくミ戸を図のことく
して土間住にて見るも哀れの躰也
草ふきに竹のあみ戸にて雅にも見ゆれ
とも壁もなくかやをかきつけてうちのてひは
上方筋の乞食ごやのことし
肥後の国町場/\の入り口に 如斯の竹のあげ
戸有り何故と尋しに古へよりも町の有りしといふ
しるしと云之 盗むへきものもなき百姓の家居に而
盗賊なとゝいふはなし 村/\に太鼓有り是も上方
中国筋の製とは異なり
かくのことくくさひを以皮をとじし
ものにて素人ばりにせし太鼓なり
阿蘇一郡にて今二万八千石の地といへとも東西凡十里
余廣大なりといへとも山はかりにて原野も数多ニて
笹倉なとゝいふ原はむかしの武さしのの原と称せ
しはかゝる原ならんと思ふはかりの廣/\とせし
所也土人の物語には開田せは阿蘇郡にて十余万
石も出来すへき平地有る所なから人のなき故に
古田も年/\にあれ果るといひき 近年うち続き
凶年にて餓死せしもの数多有りしといふ いかにも
實事と見へ住捨し明家も爰かしこに有りし也
他国の評はんには當国の守は賢君にて経済役堀
平太左衛門といへる良臣のやふに聞侍りしに阿蘇郡
のもやう民家数人飢餓し死におよふまても救ひ
給はざりしにいかゞの事にや虚説もあらんかと
委しく尋聞しに熊本へ出て乞食せんとて老
たるもおさなきもうちつれ出しミち/\にても■路に
倒れふして死せしものも有りしに違ひなき実事也 予
茂爰におゐて疑惑しに仁政はなかりしものと
思ひき卑賤の身をしてかく記し置は高貴を
誹謗恐レ有りといへとも実事を聞て記せさるもまた
諭ふに似たれは僅にしるすならし 此辺は幾里行
ても華咲草木もなく土色は黒く水のなかれも濁
水にて清からす谷/\におゐて菖蒲の花を見し
はかりにて日本のうちにもかゝる下々風土も有る
ものかなと驚し所なりし
阿蘇山はさしての高山にはあらされとも古しへゟ
も燃る山にて其名世ニ知る事也すへて燃る山は
硫黄山にして臭気甚し数年燃ては大山にせ
よ尽へきに造物主のなす事にして尽る事
さらになし小かしこき人の癖として天地の事に
いろ/\の理をつけ理をうかちて大言をいふ事
有り何れを聞ても尤のやふにてミなし此方より
付し理にして世に云私なるへし 坊中の町より
休所のこやまて曲道六十余丁といふ休所に至り
て見るに煙を吹出せる洞数百間真黒に見へて
煙を吹出せる勢ひおそろしけに見ゆ 春秋はつよく
燃へ夏ハよはしと云闇夜は火のひかり有りて
晝は煙はかり也凡四五里の間へは煙を見る事也
土人の物語りに今年より四年以前地うごき
なりて煙に交りて灰を出す事おひたゝしく
地上五六寸もつもり山のうち雷のことくになり
ひびく故阿蘇郡の村/\逃去らんやいかゝせんやと
爰にも集りかしこへも群集して日/\いかゝせんと
人心もなかりしにさすかすミなれし家宅を捨て
他方も行がたく死なは一■と忙/\とくらせし
うちにいつとなく山もしつまりし故安堵の思ひ
有りしに牛馬は山近き村/\にてハミな/\死せし
事也 是は灰のふりかゝりし草を喰ひし故と云之
此辺の石は赤色にて他国の石とは異也図せる所の
草木なき山はふすほりしやうに見ゆる事なり
山形も嶮にして信州浅間山とは違へり麓に山伏
寺卅家頭は座主と称して熊本侯より百六十石
之御寄付地有り坊中といふ僅の町有り宿屋も
見へ侍りし也此山の開祖は元三大師にていろ/\
の宝物も有るよし常に参詣も有る所なり 燃る
洞を上宮と称して山の霊を祭りて願望せると
云 少し解せず
坊中へ下らすして休所より南の谷へ下れは湯谷
といふ所へ至る此地には温泉有りといへりそれ
よりやまつゝきに皿山と称せる有り此山の岩は
大小ともに凹にして丸きはなし 予此所へは行
す坊中の町にて皿石と称せる小なる石を三ッもら
ひて国のミやけにせし也 すべて肥後は大国ゆへ
に奇石の出る山多し こなたの麓より西のかたを
千里か原といふ 三里の荒原なり 土人の物語り
に怪談有り 爰に略之世に云住は都にてかゝる所にも
人里の有る事やと首(こうべ)をたれて古郷を想ふ情有りき
坊中より阿蘇の宮え二里
名高き舊地の阿蘇宮なから至極の僻地其うへ
平地の湿地にてミち/\はいふに不及社地のまはり
に草生へ茂りて見苦舗ク御社も上方筋の社にくらへ
見れは小社にて何を見て目をよろこはせんや
うなし鰯の頭も信心といへと社頭はいかにも結構
なるか山深く瀧雅石なと有りてしん/\粛々と
せざれは信心気生しかたきものにて此御社の地は
田家の中にてもの淋しさいはんかたなし 熊本侯
より地かたにて千石御寄付にて三百石大宮司の食
地とし残る七百石を二十一家の社人九人の巫女配分
して食地とす 高砂のうたいに顕せし友成の子孫
今以て大宮司にて社人の長たり 此家へ立寄り古しへ
の面白き事蹟もあらんやといろ/\と尋聞しに
所の辺鄙なれは人物も俗物にて取り書加ふへき
物語りはなかりし也