兼見卿記は東大史料編纂所から既刊二冊が発刊されているが、いよいよ第三冊の発刊が真近いようだ。
金子拓・遠藤珠紀両氏の論考『兼見卿記』自元亀元年至四年記紙背文書で(2011:3)は、第三巻の刊行に向けての動きがあることを記されていた。
第二冊が刊行されたのが1976年だというから38年経過している訳で、待望の発刊という事に成る。さていつに成るのか待ち遠しい。
大日本近世史料・細川家史料二十四の「4858 九月十五日平野長勝宛書状」(p138)は、細川家家臣・奥村安大夫の召し抱えが権平の肝煎りであったことを伺わせている。奥村家の先祖附を確認する必要が在るが、間違いないものと思われる。一文の中のごく短い該当部分
次、奥村安大夫事如仰召抱申候、貴様も御存知之由、得其意存候
平権平様
御報
平野権平長勝は、平野長泰の嫡子である。父・長泰は賤ヶ岳七本槍の一人で有名だが、その父平野大炊介長治は清原業賢男とされるから、細川幽齋と従兄弟の関係に当る。平野長泰の長兄・次兄・末弟が細川家家臣となった。枝葉五家が明治に至った。
平野家と奥村家の関係は現況不明、今後の調査対象としたい。
1、安大夫・安親
(1)御側物頭衆 千石 (真源院様御代御侍名附)
(2)千石 (真源院様御代御侍免撫帳)
(3)沢村宇右衛門組 千石 (寛文四年六月・御侍帳)
屋敷:新熊本市史・地図編Ⅰ-28(山崎之絵図)p60 御花畑前 下屋敷・足屋敷共