津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■西遊雑記巻之五(肥後) ・3

2014-05-24 08:35:38 | 史料

        

 

人吉は佐敷より山道八里と道中記其外の板本にも
しるしあれども三十六町道につもりては凡十五里も有べ
し 道はさしてあしからす佐敷より一の瀬へ三里半甚遠
し五里とも有べしつげ村といふ所より相良侯の知行所にて番所
有りて往来切手を改メ旅人壱人にても村役人より一人
ツゝ番人を付て村送りにする事也 尤宿等は其地/\
の村役として留る事にて宿代は勿論米代も取らす
御領主より諸用は下さるる事と云是は有難き
事ながら旅人の御領内を委しく見る事ならぬ
やうにせしものなり さて求摩一郡は古しへ求摩國
といひし一国にて深山くる/\と屏風を引まわせし
やふに地理分明の所にて其うちの広き事甚タ
大ひなり相良侯二万余石の御知行にて凡十万余石の
地といふ人吉は山の腰を幾曲となくめくり/\て坂に
登りて見渡すに原野ひらけし所見へかゝる山奥にも
風土よき所も有るものかなと不思議に思ひしほと
なり諸品の中に海魚不自由のミにて外の品ハ何ニ
一つとして不足なく城はあらすして薩州鹿児島
のごとく館城にて古風の家作りて市中もあしからす
豊後日向大隅の在/\よりはよし予山本村といふ
所の庄やの家に行しに少し風雅心ありて上方筋の
物語を聞かまほし一夜は爰にとゝまれと有りて
晝頃より止宿しいろ/\の物語のうちニ村々めぐり
やふもきゝ侍りしになか/\十余ヶ日も守行せねば盡す
となり此庄屋の支配せる一村方四里有りといひき
いかに山中なればとて一村にて四里とは廣大なる事
也 五ヶの庄の事をききしに奈須山と云うより山道
十三里といへとも幾里有る事にや道もなき険阻の山を
数峯も越へ行く事にて此辺の者にても行し者は甚タ
稀也 むかしはいろ/\の奇物も所持し武器類も
有りし所なから佐敷より小かしこき商人年々往来
して交易なとしてよき物は取盡して今は何もなし
と云 家数凡百余軒五家の長有りて三家は緒方氏
二家はヲゴウ氏にて平家の子孫と称す 赤間か関にて平家没落の節通盛の氏族
の此地に遁れ隠れしといふ 至ての僻地にて粟稗も山中の人の食事に
不足する土地故に長たる五家も哀れなる暮かたにて
熊の膽、猪・鹿の皮なとを携へて人吉へ折々は出て諸品に
交易してかへると云之 予もあるじの物語を聞て行も
おそろしく止りし事也今は肥前嶋の支配所と
なりて一年に一度は五家のうちより一人ツゝ嶋原へ御礼
と称して出仕せる也熊本侯相良侯へも右のことし

   五ヶの庄の地方六里余人吉より行に少人数にてはなか/\行
   事ならす巖石のうへより綱にとりつきて上る所の有りまた
   熊狼に行逢ふ事も有りしといふ五ヶの庄より山奥にも
   一村有りて他へ出る事なし此地は日向路へ山道有りて肥後之
   阿蘇郡の者といふて交易のために稀に出ると五ヶ庄の
   ものゝ語りしと或人も語りしなり

是まで来りし事にてせめては奈須山まてハ
行へしと人吉に止宿せんと山本より来りしに日中とて
宿の願ひ不叶して二里歩行して森根といふに止宿す是ゟ
奈須山村へ僅に一里といへども棧道の危ふきミちにて荷
なとおひては心もとなし行て見物せるものもなく
淋しき山中にて茶のおびただしく有るのみなれは行
事なかれとあるしのひらとめに止し故に不行米良山
の事を聞しに人吉より山道十三里にて五ヶの庄よりも
通し此地と日向大隅につゝきし深山の中にて廣大
なる事はかりなし求摩郡の者にても御領主の御
ゆるしなくては行事ならす奈須山のものにても
用叓なき所故に不行米良うしの館も人吉に有りて
米良山に居ます事はなし 土人の云所は米良の地
壱万五千石はかりも有りて肥前嶋原侯の御預り所
といふ定而米良御うじの食地は其うちなるへし
爰にしるす處土人の物語を載ものにて虚実予詳
にせす人しらぬ山中に一万五千石余とは少し信しかたし
田所にても数多有る事にやくれ/\も不審に思ひ
し事なり強て信すへき物語にあらす谷川幾瀬も
流落て人吉にてハよほとの川となり舟路八代の
城下まて十七里十六里十八里とも云たゝ一時にて下る急流にて飛泉を
おとす所十ヶ所有りて膽ひやす云先達而聞しハ
九州第一要害の地と風聞せる所なから引込ニて
居るにはひょうたんうちへ入るやふの所にてあしからす
といへとも外を略せんとするには分内狭く出るに
道遠く面白からぬ所なり

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■西遊雑記巻之五(肥後) ・2

2014-05-24 08:35:15 | 人物

                             

                                             世に有る板本の図に
                                             甚だしき齟齬有る故
                                             爰に図し置く者也
                                             地方と天草嶋の間
                                             潮の干潟に歩行
                                             渡りにもなるへきやふ
                                             に見ゆ 地方より年々
                                             築洲を開きて
                                             新田とする事すく
                                             なからす

 

                                             天草ト称スル嶋
                                             数島肥後ノ海
                                             上ヲ図ノ如ク
                                             一面メクル地方
                                             ヨリ三里五里
                                             七里アリ
                                              

 

 

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