津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■夏の歳時記を

2014-05-04 14:16:18 | 徒然

 GW等というものは今日の私には縁遠いものがある。人出の多いところが元々好きではないので、とてもではないが外出する気にはなれない。
ただひたすら留守居を決め込み、本や古文書を読み、ブログを書き、頂戴したメールやお手紙にご返事をし・・・・・・これで一日が過ぎてゆく。
もっとも最近はGWならずともこんな毎日を過ごしている。特に月始めは史談会の案内や準備も有り、忙しさも増してくる。

気温が上がってくると、血圧のせいもあって頭がくらくらして、なんとも不愉快である。そして明日は端午の節句で立夏である。
今日は26℃ほどだがあと10℃も上がるかと思うと、体力がもつのかしらんと不安さえ覚える。
それでも夏はやってくる。夏の歳時記をとりだして埃を払い、パラパラめくって見ると・・・・・うん、夏も捨てたもんじゃ~ない。 

                              

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■森本櫓

2014-05-04 07:27:05 | 史料

                                        

現在細川刑部邸がある場所の西側の大きな屋敷地は、加藤時代の森本儀大夫の屋敷跡である。西北の隅に櫓が見えるが三層の立派な櫓で「森本櫓」と呼ばれた。
ここからは島崎・花園地区の美しい眺望が望まれたであろうし、一方遠くからは一段と風格ある城の姿を感じる事が出来たであろう。
残念ながら明和七年の大火事で焼け落ちている。
「肥後国誌」によるとこの櫓は森本儀大夫が自身で建設に当たったものであることが判る。
高低差が17メートルほどある真下(井芹川)には潮時石というものがありその説明に次のようにある。

   古京町乾ノ隅櫓下ニアリ 潮ノ干満ヲ知ル 先代當城築ノ日ハ此所森本儀太夫屋敷ナリ 府中西北ノ要害第一ナル所故ニ櫓三階ニ築カシム
   此時此櫓共ニ森本一手ニテ築之早ク成就スト雖モ天守ノ上棟ヲ待テ同日ニ此櫓棟上ス 又二ノ丸傳奏館當時有吉清助屋敷ナリ本丸西大手前ニテ客館也
    東ニ向テ大破風アリ 之テ月見ノ破風ト號ス 御當家ニ至リ尾藤金左衛門ニ賜リ采地三千石ニ宛ル 大手先也ト云 其後尾藤平四郎代敗宅 其後宮村金吾ニ賜リ家屋ヲ作リ明和五年ヨリ有吉清助居
   棟上モ同日ナリシト云

熊本城の第一期工事としては、天守閣・傳奏館そして森本儀太夫が自力で建てた乾ノ隅櫓(森本櫓)が完成したと推定出来る。 

付けたし:
ここにという字が登場している。このようにIMEパッドで入力すれば活字として表示される。
しかし漢和辞典にも、くずし字用例辞典にも出て来ないので意味が判らずにいた。ぐぐっていると日中辞典の中でようやく発見、以下の如くである。

                            
                            kàn 
                                 1, 崖

                                 2, 崖の下の場所

これにて一件落着、「崖=石垣」という事である。 多謝/\

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする