津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■古文書の中の難解語

2014-05-19 20:55:45 | 徒然

 綿考輯録のある文章に「北ヶ入る」とある。(忠興公・上 p26下段5行目)

敗北という言葉があるが、当然のことながら「戦いに負けること。戦いに負けて逃げること。敗走。」なのだが、この場合の北は方角を意味するものではない。
北はこの一文字をもって「 背を向けて逃げる。」という意味がある。

即ち「北ヶ入る」とは「逃げ入る」と読むことになる。 

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同じく (忠興公・上 p24上段5行目)に「良久して」とあるが、「良」という字義に「 非常に,大変」とあり、良久とは中日辞典によると「ずいぶんと久しい,長きに渡る」という意味に成る。
「良久して忠興公仰せけるは」という文章なのだが、「しばらくして」とでも読むのだろうか・・・・ 


 

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■このサイトの往く末

2014-05-19 11:24:12 | 徒然

 もう随分前の話だが、ある所から「侍帳」を出版しないかと言う話があった。即座にお断りしたのは当然である。

最近、その「侍帳」四五冊でも製本してみようかと考え、本の体裁にデータをワードに移してみようと思いたった。「あ」行のみを試してみたらなんと40数ページになった。
すべてやると1,400~1,500頁になるのではないか、唖然となってしまった。それにデータを移すのが何とも面倒くさい。元々8~9年前ホームペジビルダーで作成したもので、この生データをワードに変換すのも簡単にいかないし、サイトからコピペするとソフトのせいで文字のバックに背景色が付いてしまうし・・・・。サクラエディタに移し厄介な操作をしてワードに移すことに成るが、72爺にとっては難儀な作業であり根気が続かない。これはもう没だと諦めた。

しかしこの「侍帳」だけは記事の出典をすべて明らかにして、2020年まで頑張ってなんとか完成させたいと思っているのだが、最近の体調からいささか不安もある。
日に日に想いはつのるのだが、想いに反して身体が動かない。
年を取るという事はこういうことなのかと実感する毎日だが、体調をととのえてあとひと踏ん張りと参りたい。 

「肥後細川藩拾遺」については、後継者を心づもりしている人が居る。或る日突然サイトが消えてしまうのも淋しいなーと思うが故である。

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■入江平内宛て忠利書状

2014-05-19 09:55:31 | オークション

ヤフオクに「細川忠利 古文書 本物保証」という、即決価格が200,000円と指定された品物が出品されている。
随分高いなーと思っていたら案の定落札はなく、再度の出品となっている。
品物は忠利が入江平内に宛てた書状である。入江平内はガラシャ夫人の最期を伝える「霜女覚書」を書した霜が嫁いだ人物である。
  
                入江平内事  入江平内事(二)  入江平内事(三) でご紹介した。

値段が値段だけに何か特別なことが書かれているかと興味があり読みにかかったが、なにせ癖のある忠利公の書状に悪戦苦闘している。
両御所様とあるが、家康・秀忠時代なのか、秀忠・家光時代のものなのかも判らないし・・・・・
古文書解読の資料にさせていただいているが、オークションに出品されるこのような書状の登場は大変面白し有り難いものである。
どなたか落札前に解読されましたらご教授下さい。 


 

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