津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■松寿庵先生 第101講

2014-05-30 11:12:37 | 史料
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■七つ立ちと御目見

2014-05-30 08:28:20 | 歴史

 「お江戸日本橋七つ立ち・・・」という童謡があるが、町民は木戸が開くのは明け六つで、日本橋の木戸は一刻前の七つ時に開いたのだそうだ。
大名衆の帰国(交代)は木戸が開く時間を待って七つ時に出発をしたという。参勤の方はどうかと言うと、これも七つ時に出発をしている。そして行列を見送る人達は決められた場所へ出向いて行列を待つことに成る。

寛永十年九月十二日、忠利公は肥後入国後初の参勤に立たれるが、この時の記録が残されている。

      明日御発駕ニ付御目見之触
   重而申触候、明日 殿様被成御立候を、御侍衆御見立被申候次第
 一、人持衆并御牢人衆ハ熊本より一里半ほと被参、立田山を越、さきのひろミへ御出候而、可有 御目見候事
 一、御弓御鉄炮頭・添頭衆・御物奉行衆ハ、人持衆并御ろう人衆のつき、田津田山之切通シよりさきのひろミへ
   御出候而、可有 御目見候事
 一、御番頭衆ハめん/\の与之御馬廻衆を被召連、御弓御鉄炮頭・添頭衆・御物奉行衆之次、立田山之切通
   より熊本之方之ひろミへ御出候而、可有 御目見候事
 一、御中小姓衆・御留守居衆・御郡奉行衆ハ御馬廻之次、熊本之方之ひろミへ御出候而、可有 御目見候事
 一、殿様明日東しらミに被成御立候間、いつれもの衆ハ七ッ時より被罷出、右書付之所々に可被居候、不及申
   候得共、作毛之中へ下々はいり不申様めん/\被申付、形儀能様ニ可有御沙汰候事
 一、此儀最前申触候ハ、相連候て如是相極候間、其御心得可有候事
        一番 人持衆・御入所之見計奉行              志水伯耆
                                            沢村大学
        二番 御弓御鉄炮頭・添頭衆・御物奉行衆、被居候所見計奉行
                                            佐分利兵大夫
                                            寺本八左衛門
                                            松野七左衛門
        三番 御馬廻衆、被居候所見計奉行            谷 内蔵丞
                                            嶋 又右衛門
                                            松野右京
                                            志賀左門
                                            筑紫左近
        四番 御中小姓衆・御留守居衆・御郡奉行衆、被居候所見計奉行
                                            宇野七右衛門
                                            蒲田次左衛門
                                            沖津作大夫
              以上
            九月十一日                三人

 このように御目見が定められた人たちは、藩主の居館・花畑邸から一里半以上離れた場所へ出向いて行列を待ち、お見送りすることに成る。
 行列の前を駈けて行くわけにはいくまいから、七つ以前にはそれぞれは家を出たのであろう。七つというとこの時期は午前3時くらいだろうか。
 殿様をはじめ御供の衆、そしてお見送りの人達も御苦労さまです・・・・・

                        江戸時代の時刻換算(不定時法)

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