Dr.T先生から後藤又兵衛の子・又一郎のお墓に付いての問い合わせがあった。又一郎の妻は加賀山隼人正興良の娘・リユであり切支丹であったから、又一郎の菩提寺の過去帳には名前が残されていないという事だけが頭に残っていた。御寺の名前は記憶になかった。
これは加賀山家の一族でもあられる上妻博之先生の御著を見るのが一番だと思い、あちこちひっくり返す。
いわゆる切支丹や転切支丹の子孫を確認するために、詳しい系図が46家ほど残されているが、ここに後藤又一郎の六代孫にあたる新右衛門が「安養寺」に葬られたとある。かすかな明かりが見えてきた。
又片岡弥吉著の 「日本キリシタン殉教史」 の、「細川藩の殉教者」をみるとここでは確かに「安養寺過去帳に市十郎(又一郎)の名前があるのにりゆの名がない」と書かれている。
今度はその安養寺の所在を捜すがこれが見つからない。いろいろググっていたら、昨日の「坂崎家」につづいて、「武公伝」のサイトにヒットした。なんと偶然なことか。
武公伝より引用
実は上図左の養寿院にかつて武蔵の位牌が残されていたという。そしてこの養寿院は廃寺となり安養寺に吸収された。
その後この安養寺も廃されて、現在は「泰巌寺」となって今日に至っている。ここに過去帳が残されているのか、お墓はどうなったのか現況不明である。
即Dr.T先生にTEL報告、面目をほどこした次第である。
小笠原少斎-------+---備前・長基(6,000石) 室・忠興姪吉田二位女・たね
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+---宮内・長良(600石) 室藤孝女・千
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+---与三郎・玄也
∥---------源八郎他八人
加賀山隼人興長---+--------みや
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+---------りゆ
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後藤又兵衛-----------後藤又一郎