津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■二つの花の事

2014-05-26 10:00:11 | 史料

 寛永七年三月十七日付、忠利に宛てた三齋の書状に花に関する二つの記事がある。(綿考輯録・第三巻 忠興公・下 p151)

   一、紫蘭のことく白キらん所望の由候間、此者之便宜ニほりて遣候へと河内所江申遣候、定而可参候、我等所ニ在之候は地震屋ニ植置候間、女之
      細工ニハ能ほり候事中々成間敷と、下々の持候をほらせ進候と申付候、それ悪敷候は、我等げ次第ほらせ、地震屋之を可進候事 

                                                                

   一、唐よりるかうと申花被取寄由候而、種を五十給候、もよう絵ニ被書候て、能合点参候、事之外見事なる花にて候、我等上屋敷ニ二十、下屋敷ニ
      三十、去十三日四日ニうへさせ候、時分能、下地も能こしらへ申候間、つき可申と満足候(以下略)
      (なおこの書状の説明として、るかうハ蜈蚣草と申よし、葉むかての足に似たるゆへかと九月廿三日之御書之内ニあり、とある)

                                                               

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■御花入・車僧

2014-05-26 06:55:06 | 史料

 随分以前 1/36 車僧 を書いた。最近綿考輯録・第三巻(忠興公・下)p391 に、「御家名物之大概」にこの「車僧(くるまぞう)」が記されていた。

    一、車僧
      此花入ハ小田原陳之時利休ニ御切せ、御名を車僧と利休付申候、わけハ 
      浮世をハめくらぬものを車僧のりもうるへきわかあらハこそ       (浮世をは巡(廻)らぬものを車僧 乗りも得るへき輪が有らはこそ)
      元和六年、忠興君より人も存たる花入ニ而一廉之御数寄道具之由、忠利
      君江被進候御書あり、其後何方江参候哉不知

レファレンス協同データベースに、「車僧は華道と関係のある言葉のようだが、どんな意味か。」に対する回答が見えるが、引用の和歌の部分に違いがみられるのが不思議である。

          

 

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