津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■伝奏館(加藤家代)

2014-05-03 17:18:20 | 歴史

 肥後国誌の熊本城築城に係る記事の中に、まことに小さな文字で書かれている文字を拡大鏡で眺めていたら、「伝奏館」という文字が見えた。(上巻p三十六)
      城ノ西門外今ノ有吉清助屋敷ハ傳奏館トシ東ニ向テ屋上ニ破風アリ 是ヲ月見ノ破風ト称ス 天守ノ棟ト同日棟上スルト云フ

『加藤清正傳』附録の加藤氏代熊本城之圖を見ても見当たらないが、細川時代の有吉清助の屋敷は奉行丸の西、現在の二ノ丸駐車場の南東角あたりに成る。
傳奏館とはいささか大仰な感じがするが、賓客の為の館といったところか、天守と同時期に棟上げをしたというのがこの建物の特殊性を伺わせる。
ここでは「慶長十二年普請成就ス」とあるが、清正はこの時期から豊臣家のもしもの事を考えていたのかもしれない。
などと妄想させる記述である。 

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■里程(江戸・・1)

2014-05-03 08:54:54 | 地図散歩

 「雑事紛冗解」に19頁にわたり、江戸と熊本の諸所の里程が記されている。単純にAからB迄何里とか何間とか書かれたものと、目的地まで何処を通って行けばどれだけとか二通りがある。後者を眺めると藩主のお出かけに際しての通路であろうことが伺え大変興味深い。
江戸におけるものはお出かけ先が伺えるなど、古地図を眺めながらこれを読むのもまた楽しそうである。

例えば「竜ノ口御屋敷裏御門ヨリ紀州様糀町御屋敷表御門迄」という項目見ると、三つのルートがある。
(1)竹橋通・(2)永田馬場通・(3)天神下崖通だが距離はそれぞれあまり変わらないようだ。その距離の算出は何と歩測である。これを距離に換算している。そして面白いのは「別人」という書き込みがあり、二人から四人の人が別々に歩測していることである。そしてその誤差が15~20%あることだがこれは大きい人・小さい人で仕様がないことだろう。ところが歩幅の長さで換算がされていないようで距離にも誤差がでている。5,000歩を少々越すくらいの距離である。3.5キロ位の距離か・・・。それにしても歩数を数えながら歩くというのも難儀なことであろう。

江戸の古地図を眺めているが、どうもこの距離に合点がいかぬ・・・・・現代の地図でみるとうーんそんな処かなー 

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