織田信長を討取った明智光秀が、藤孝・忠興父子に対して味方するように使者を送ったが、その使者とは忠興にとっては母方の叔父にあたる沼田権之助光友(直次)である。
剃髪して名乗りを替えた幽齋玄旨と・忠興は大いに怒り返書も認めず、光友に対しても「討捨らるへけれ共、此度は思ふ旨有て命を助くる也、重て不可来とて御家人に仰て追出」される。のち権之助は光秀の逆罪をうとみ、米田是政に付終に忠興公の家人となる。
その後「御領内不慮の変を被思召、熊野郡佐野城に長岡権之助直次を城代として被遣」されたが、この地の旧主佐野源五郎常次が郷民数多を以て城を襲い、為小勢の直次は戦死した。こののち佐野をはじめとする多くの者が細川軍に依り殲滅された。
光兼---+--光長
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+--女(荒川治部少輔晴宣室)---菅野輝宗
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+--女(飯河山城守信堅室)---飯河豊前宗祐---長岡肥後宗信
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| +--女(細川興元室)
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+---清延--+---延元---+--延之 +--延相---兼辰
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| +--延将---+=====兼辰---元昭---将休(熊五郎)
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+---女・若州前川城主山形刑部少輔源秀之室--圭長老
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| 細川藤孝(幽齋)---+--忠興
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+-----麝香 +--興元
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+---女・北畠左衛門佐教正室---女・米田求政室
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+---女・進士美作守国秀室-----進士作左衛門(田辺城籠城)
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+---直次(権之助)光友
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+---女・築山弥十郎貞俊室(義晴命により藤孝生母付き)