■選挙方
一、以前は御役人しらへと唱候て向々申立之書付ニ付紙又はしらへ之書付等 御勝手方御用人江相達決候と相見候処 宝暦二年七月大御奉行役被仰付 選挙方寄合ニ出席いたし申談
候上申渡 又ハ沙汰ニ相成候事
一、宝暦五年 御奉行両人選挙方受込被仰付 御役人しらへと唱申候儀被差止 御賞美等之儀一切此職ニてしらへ可申旨達ニ相成候事
一、宝暦六年八月選挙式定ル左之通
一、御近習御次外様独礼以下
右選挙方御奉行会議 大御奉行限差図之後 御勝手方上聞迄巡覧 且総巡覧ニて決候後も有之 御切米拾石三人扶持以上 段格ハ歩小姓列以上ハ奉達尊聴候事
一、神君御敵對髄一の石田も、伏見に駆込候時は、深御助遊され、其砌京都三條橋詰の時は、福島氏の
我儘を其儘置せられ、御譜代の名臣も皆神君の思召を不審有之候、何事も始中終の含を不存、始一
ッか中一ッかを見、ヶ様/\の聞えぬ所業有之などゝ申候儀、監官或は餘人よりにても申立、大臣
の手を引せ候様御座候ては、其以難澁の事に御座候、尤是等の所にて、大臣の手を束ね不申様にと
は、上よりの御取扱にて、事業を仕、大臣自らの心得は、四方八方に心目を付、人の取沙汰も承り、
その取沙汰道理に當候へば是を改め、猥りの唱に候へば動不申、惣て何事も時分了簡違は無之哉と、
事に臨て恐れ、謀を好て成さんものなりと申意を不失、自省仕候儀専要と奉存候、平太左衛門も爰
には卑怯など申程に、心を用候と見及申候
一、平太左衛門儀、御一門衆三家に對して候ても、大御奉行の時分より自由の稜は稠しく相改申候様子
に候處、勝手向の立行の世話等は、悉く仕遣申候、右の稜までにても無之、平常御家中の輩并に町家
と申候ても、一統拝借は成不申時分にても、其人其譯次第には櫨方等には、御本方に拘はらず取計
遣候儀有之、今も其面影櫨方に仕方残居申候、近年此意味を取違、御近侍の人などには、別段などゝ
申候筋より、さして譯も無之に、辭を付け、或は伊藤又右衛門などゝ申候者、出格の取扱等有之、
其體の事とは異申候、尤當時は右又右衛門如きの事は止申候
一、近年は理屈強に相成、米銭など掌候御役、御心付等の類、御役料を取居候上には、無役の輩と片打
にて結構過候と申説起り、尤の儀に承り、其意味に取扱申候、然處平太左衛門時分も其理屈有之候
へども、さして取合不申候、大小の御役共、御役徳と申物も有之候、是少々の理屈には違候へども、
其職々へ精を出させ、御貯多相成候時は、御公務等をも御快く御勤上候、大義に目を付、小義を捨
申候と見え申候、且御心付金等の費、假令五十両にしても、夫にて千両も御銀ふへ候様に仕候意味有
之候、公邊の御役方の衆ばどは、無役の御衆と違ひ、賄賂と申程の御役徳有之哉に相見候、御國の
理屈も能き程に取扱ひ、平太左衛門時分の事、味ひ申べき儀と奉存候
一、前稜は小物成方櫨方に、大黒天勧請仕候置、或は御天守には地蔵祭り有之、年々一度づゝ赤飯酒等捧
げ、其餘手傳に至迄、元気付頂戴致候へども、是も近年は理屈にて恐々と致候様に成申候、ヶ様の
事も程能く、平太左衛門時分の通の意味可然と奉存候
一、平太左衛門は如何と、世の人より見候者にも、よしみを成申候、一事を擧申候、大坂にて摩耶山神
宮寺の住僧に親しくし、其砌大坂の機務彼是訊訪仕、丁寧の書帖、其内に厚き贈物等有之候、其書
帖を今の神宮寺吹聴仕、貞孚にも數通見せ申候、僧徒に右等の儀依頼仕候は如何に有之候へども、
ヶ様の人の疑惑仕候儀、眞に御勝手向を擔ひ居る所有之候、ヶ様の所、近年貞孚も味出来申候、聖
賢の語抔引立、所業圭角にサッパリと見ゆる事は、御勝手舞䑓にて、楽屋の仕事届不申候ては、實地
とは申されず、平太左衛門楽屋向の顕候一端とも奉存候、夫とも其書状は人に見せ候迚、陰暗きと
申様成文面は少も無之候
一、平太左衛門方出入の内には、御國町家の者も一両輩有之、他國より御國居住仕候軍書讀と申様成者
なども出入者有之、當時の清水卯兵衛と申候も、晩年彼方熟懇の末にて有之候、是等の者出入に付
ては、人より謗も候へども、是皆御為合を勤め候の眞境に入申候仕事と考當申候、惣體出入の御侍中
と申候ても、一様の人物計にて無之、尊者も有之、理窟者も有之、江戸にて大通などゝ申候者も有之、
客の取持上手と申體の輩も有之、左候て其應接の惣括の處、平太左衛門模範に入、言はず語らずの
内抑揚の神機有之、御政令の外に、彼門内より御國の風を成し、是も政をすると申様なる儀流出申候
一、重賢公にも御不遇の時も有之、其様なる時分は、御用人などへ交際に、上手も有之たると、上羽蔀
隠居酒井鳥鼠申候、橋本源右衛門同志の誓約盟書も持居と承申候、然處是は平太左衛門其身の御
首尾を取繕ひ候策略にて、凡庸の大臣の御左右と親み候とは譯違ひ、機變に應じ、御國家の御為に、
暫く仕たる事も可有之、然しながら其ヶ條は承不申候、落合藤助などゝ申は、俗力飽迄強く、権柄
抜群に有之候、重賢公も其御用を能く瓣へ候長所を御取遊ばされ候由承申候へ共、外向には此仁に
付て、乍恐重賢公御徳義を奉疑惑候節有之、果候ては知るも知らぬも賀申候と定孚なども承り、右
體の者に付子孫仙助如き微禄も出来申候と奉存候、此仁には其時分同席と申候ても、すり合候へば其
毒に當らずと申は無きと唱申候、町孫平太壮年の時分は少し気力者にて御用人などゝ申候ても、輕
侮仕る様の儀も有之候へ共、御奉行江戸勤向申継候記録の中に、是は麻上下に有之候へ共、藤助平
服と申候故、平服致候と記有之一事にても其勢見え申候、且右の鳥鼠なども、瓣佞は俗力藤助に劣
らず、人の恐れたる者に有之候、ヶ様の類は風犬に摑合候同様故、暫は平太左衛門上手を扱ひたる
にて可有之候、尤鳥鼠は平太左衛門別荘に 大詢院様成せられ候時、作事庭造も引受致遣候、其比
は平太左衛門には機嫌を取候と風評仕候、重賢公に平太左衛門不遇と申たるは、山縣大貮と申者、
投文の砌の儀にて、御平常と御變化の御内宴等初候時の儀と承申候、是は暫御晦跡の御深慮にて有
之候由、平野新兵衛を御中老に推擧は叶せられず、御趣意鳥鼠へ仰られ候段、鳥鼠噺申候、是以御委
任の重臣を御用人へよしあしと御意何程に可有之哉、鳥鼠は縁者故、平太左衛門に告可申、然る時は
平太左衛門心得にも相成べくとの思召にて、御座あらせらるべき哉、此段は解し難く御座候、總體
土䑓御不遇と申儀有之間敷、其證據は始終連綿と申は、権威等少も有之者にては無之、朴實の者に御
座候、年齢は餘程違ひ候へども、貞孚などは親く交たる仁にて有之候、此誓約は定て、ともに忠志
を變申まじくと、前文藤助等権を振候時分盟たるにても御座あるべく候、其比御用ひ方の御様子、
且平太左衛門と申人體、中々御用人になど手を下げ親み、憐を求候などゝ申事は、思もあらぬ事に
候、其人となり美男にして大男、眼は平生は眠りたる様に有之、くわつと見開候時は、光り人を射る
と申様に有之、言語静にしてはつきりと有之、多言ならず、少言ならず、人の説、心に叶ふたる時
は餘念無之咲顔有之、心に叶不申時は可否卒爾に出不申候へども、先づじつとしたる顔色に有之、
一通に坐候ては容易く物申されざる様子に御座候へども、有筋の咄等に立入候ては、時刻の移る
を不覺、何の隔意も無之、直なる人と見へ申候、且坐作進退共に鹽のこぼるゝと申程に相見、殊勝
の老人にて有之候、古人に比候はゞ勿論嘸劣たる事も可有之、他慮迄も尋候はゞ、大に優たる人も
可有之候へども、御國にては貞孚六十一歳迄、多くの人に交り候へども、鶏群の中の雙鶴と奉存候
者、平太左衛門と藪茂次郎にて有之候
文化十二年七月 島田嘉津次
(この項・了)