一休みしようとTVを付けたら、熊本朝日放送でタイミングよく(16:10頃)「川尻の歴史」が放映されていた。
いろいろ画面を見ながら紹介する中でクイズが出された。
Ⅰ 明治期に船着き場に造られたレンガ造りの建物の用途は?
Ⅱ 川尻の船着き場から御船手に8番線(電線)が張られたがその使い道は?
Ⅲ 某氏がお持ちの寺子屋の手本に書かれた、入塾の覚悟とは? 「 」が「 」の覚悟
Ⅳ 20万俵の内5万俵を城下に運んだが(15万俵は大坂へ)その主たる運搬方法は?
Ⅰ これは公衆トイレである。初めてここを訪れた時素晴らしいデザインの小さな建物を見て、なおかつこれがトイレだとしって仰天したことを覚えている。
メインサイト http://www.shinshindoh.com/yasumi-kawashiri.html 掲載
Ⅱ これは推測で答えたら正解。流れの速い川を流されずに電線をつたって船を横断させた。
Ⅲ これはまったく判らなかったが、「武士が戦場に臨む覚悟」なのだそうな・・・・・
Ⅳ これは馬(2俵)又は水運(約40俵)で運んだそうだが、川尻から広い処では20メートルほども水路を両岸から綱を引いて白川に至ったという。
これにはいささか疑義を申し立てたい。
かって ■白川--川尻間の水路開削中止 ■白川--川尻間の水路開削中止 (續) で書いた通りなのだが、「川尻町史」から引用したとしている。
早速調べなければならない。
察するところ薄場橋の下流で大きく右折する流路の左岸から上の郷あたりを、旧道に添って川尻に至る水路がかっての水運路であったのではない
かと考えているのだが如何・・・