ここ二三日、右目がごろごろする感じがあった。今朝布団の中でなんとなく違和感をおぼえ目をこすると、少々痛みがある。
起きて鏡を見ると、すっかり充血している。なにが原因だろうかと不安がよぎった。
色々考えているうちに原因らしきものが頭に浮かんだ。シャワーをしたときシャンプーの液が目に入ったのだろう。
その時はすぐ洗い落としたつもりでいたが、少々目にしみていた。あまり気にすることなく過ごしてきたが、少々ひどい兎の眼である。
週末は史談会の例会がある。それまでに直るかしらと男前(?)を気にしている。
寛永三年三月廿五日、於小倉御本丸御花見之御当座(綿考輯録・忠利公--上、p127)
遠山桜 忠利君
とを山の霞につゝむ桜花長閑にもふけ春の朝風
惜花 孝之主
散花を惜心もおしなへて豊なる世の程そしらるゝ
忠利公の年が一つしか違わぬ叔父・孝之(休斎)との蜜月の時代の模様が伺える。
孝之は幽齋公の四男、兄・忠興公とは22歳の年の差がある。豊前香春城(25,000石)を預かったが一国一城令により退身、京都へ出て幽居忠利から三百人扶持をもらっている。色々な資料から幽齋が自分の隠居領を相続(香春城?)させようとしているようだが、実行されたようには見えない。
忠利は「我等おぢに休斎と申者御座候、不聞事候而中をたかい申候」と公言をはばからない。
熊本入国後も勝手な振る舞いが多く、忠利の頭を悩ませている。熊本に入る事さえ嫌い忠興の居る八代で過ごしたようだ。
禄を忠利から受ける事さえ嫌い、忠利は忠興に相談を持ちかけたりしている。
忠興の息・立允から扶持をもらうのはどうかとさえ申し出ている。仲たがいはどうやら本物である。身の置き所のない休斎のうっぷんが伺える。
綿考輯録にまとめられている事柄を次回ご紹介する。