ちょうど一年前 ■縁組 佐分利家×松岡家 を書いている。
そして佐分利越人なる人物についても、ミステリアスな人・佐分利越人(越知越人) を書いていた。
吉田美和子氏の著「うらやまし猫の恋 越人と芭蕉」で、著者は主人公俳人芭蕉の弟子・越人を熊本の佐分利氏だとする説を完全否定している。
これは誤伝によるものであるというのである。
そもそも吉田氏が指摘する誤伝はどこから出発したのだろうか。熊本在住の文学関係者でこれを調べた人もいないように思われる。
吉田氏は、幕末文政年間に出された曰人著「蕉門生全伝」が「肥後熊本の出身、細川越中守の近習佐分利流槍術家佐分利勘左衛門であるとする誤伝」だと断定されている。
ところが時代を遡る事項がみえて事は厄介である。それは在熊の俳人・久武綺石(文化二年歿)の墓石に刻まれた次のような文章である。
「俳諧者滑稽之流也、而其始也戯謔而也、及芭蕉翁同其體栽、而燮風旨、然後言近而指遠者有焉、謂之正風、吾藩佐分利越人、嘗出居濃洲、學於蕉門、及其後歸也、職事鞅掌、不暇傳人、正風自綺石子云」
これは肥後先哲偉蹟に「佐分利越人」なる項から引用したが、この項とて一重に「俳人越人」を取り上げていると思われるが、実否が混交していずれが真実か計りがたい。
吉田氏による「越人・芭蕉 略年譜」によると、越人の没年は享保二十年頃としているが、佐分利家の先祖附によると没年は元禄十五年三月十四日であり、明らかな違いがある。
まことにミステリアスで出典を洗い直す必要がある。好色な人・越人とされた「佐分利七兵衛氏恒」の名誉のためにもである。