先日「馬追い込み丁」のことを書いたが、地図に堅山南風先生の生家を書き込むのを忘れていた。
立町通り赤鳥居の反対側にあたる所に標木が建てられている。
此処にご紹介した「想い出のままに」という著は、まさしく南風先生の昭和57年の御著である。
東京小石川の細川侯爵家に寄宿されておられたことがあるが、わたしの祖父が家政所に勤めていたための御縁で、我家には数葉の先生のデッサンが残されていた。昭和19年祖父母・父の三人が亡くなり、私は母と姉と三人父祖の地熊本に帰ってきた。以来私は熊本地五郎である。
貧乏暮らしの中でこのデッサンは、伯父の手にわたってしまった。
そんなことがあって、南風先生の御名は大変親しみを感じるし、画集やこういった御著にも親しんでいる。
この著のトップに「望郷五景」として五つの小文が乗せられている。そしてそれぞれに俳句が添えられている。
■ しびんた 紫ビンタの紫かなし川からし
■ 蛍 ひたすらに蛍呼児の吾なりし
■ 成道寺 玻璃皿の白玉清し初袷
■ 根子岳 物の化のあるちょう山の月おぼろ
■ 蛙の子 行水に幸いあれや蛙の子
終生熊本を愛してやまなかった先生の目線は、生家のごく身近なところに向けられていて優しい。
「しびんた」は坪井田ばたの泥川だとされる。たぼ網でしびんたを掬って遊んだ少年時代の思い出である。
「蛍」は八景水谷(はけのみや)まで出かけた蛍狩りの様子である。
「蛙の子」はまさしく立町通りの生家での話、どこからともなくオタマジャクシが、先生のお宅の敷居(玄関?)際に近所の草むらからやってきたという。
先生の生家はかっては参勤交代の美々しい行列がこのあたりで隊列を調えた由緒の地である。