九五七ー(2)
一蠶桑之儀、相應之所々は何方/\ニて御座候哉、書上 蠶=かいこ
可申旨被仰付、奉得其意候
宇土両手永野山空地等は地味悪敷、折角仕立候ても 両手永=松山・郡浦
聊桑相應不仕候、尤御百姓屋敷内、畑畔・岸・井手
塘又は宇土町屋敷内等ニ、少々桑仕立申畾地所持仕 畾=らい・るい 田畑を区切る土盛り。田の間の土地。
候者は仕立置、縦は一ヶ村ニ竈數百軒御座候處、貮 竈数=かまどすう 所帯数
三拾軒又は拾軒五軒宛、其外は一ヶ村ニ一両人宛、
宇土町ニ拾軒程養蠶仕、多クは一向養蠶不仕候、右
之通ニ付、宇土郡之儀養蠶相應と申儀極て難申上奉
存候、委細は去々年書上置申候通ニ御座候間、宇土
郡養蠶之儀下方心掛次第ニ被仰付置被下候ハヽ、自
然と徳用之儀を存付蠶桑ニ進ミ、遂年をは繁昌仕ニ
ても可有御座哉と奉存候
一宇土・葦北御牧山之儀、近年中津角七殿ニ被仰付、段
々取計御座候、角七殿ニ成不申以前之様子と當時之様
子、委敷書上可申旨被仰付、奉得其意候
此儀、宇土郡網津村ニて高百ハ拾石、長濱村ニて百
五拾一石、都合三百三拾壹石役高を引、前々より右
両村ニて御牧山請持居申候、近年中津角七殿請込ニ
相成、犬打六人増方ニ成、壹人ニ貮拾五人宛引夫を
遣、五人分都合百五拾人、毎歳宇土両手永ニて引方
ニ相成申候、角七殿請込ニ成、此分以前ニ増申候
其外相替申儀無御座候
一葦北御郡筒地方何程/\被渡置、御郡中御用何人ニて
何々如何様ニ勤候哉、夫々書上可申旨被仰付、奉得其
意候
但、此儀宇土郡ニ見合無御座候
一水尾木建替之儀、葉竹ニても其邊之獵師共請ニ被仰付 水尾木=みおつくし
請込候獵師は、船之運上ニても御免被仰付様成御仕法
は如何可有御座哉、勿論、水木尾筋目印麁略無御座様
相極、書上可申様被仰付、奉得其意候
但、此儀宇土郡ニ水尾木建申所無御座候
一御在宅人衆内作之高主ニ相成村人數ニ加り候者は、差
障り無御座筋を相達可申旨、一季抱之者ニも少々之内
作は被為致候、其類は人置所え抱差出御座候處、村方
ニて高主ニ立候ては不都合ニ御座候、高主ニ立候者如
何様之者ニて御座候哉書上加申旨被仰付、奉得其意候
此儀、御在宅人幷御扶持人衆・寺社方・御郡醫師・
一領一疋・地士・御郡代衆御直觸之面々・陪臣支配
家来之面々高主之儀、縦は最初市助と定り、いつ迄
も市助と申躰なしの名高主ニ居申候て、一季抱等之
者内作仕、人置所へ抱差出御座候、此者御年貢、諸
公役・諸出来銀等村並之諸拂仕候、但、不如意之御
家人等纔之高主も右之通ニ立、内證は自身又は子弟
之内被承、勿論不埒之節筋も無御座候ニ付、宇土郡
之儀村人數ニ加へ五人組ニ入申儀は相成申間敷と奉
存候、尤今分ニて何そ故障之儀無御座候
一御百姓之内、御給人衆幷他御侍衆家来ニ成候儀、先年
被仰付候趣御座候、以来忽セニ成候儀無御座候、何某
/\家来ニ何村/\之者、ヶ様々々之筋ニて相成候と
の儀、一々書上加申旨被仰付、奉得其意候
此儀、宇土郡両手永ニは、右之御衆家来ニ相成候者
無御座候
一古船御焼印之儀、零落者は修復難成、解除も難奉願と
申者、如何成遠慮ニて御座候哉、書上加申旨被仰付、
奉得其意候
此儀、宇土郡両手永ニ右躰之儀無御座候
一鐵御道具請取候節焼刃祝と申入用も御座候由、如何様
/\之筋ニて御座候哉書上加申旨被仰付、奉得其意候
此儀、宇土郡御普請石方小頭幷抱夫共、手前委ク承
合申候處、焼刃祝之入目と申候ては當時無御座由申
出候
右之稜々、私共存寄之趣書上加申旨被仰付、奉得其意、
御尋之御ヶ條を本行ニ立、私共存寄之趣細書を以申上
候通ニ御座候間、宜敷被成御達可被下候、為其覺書を
以申上候、以上
明和九年五月十三日 松山 理三次
郡浦又左衛門
筑紫一郎左衛門殿
明和七寅六月廿五日より廿七日迄寄合
但廿五日・本庄善光院 廿六日廿七日・大津竹迫宿
永井宇七兵衛 大賀嘉兵衛 田迎兵右衛門 横手金
兵衛 池田立蔵 銭塘仙助 正院次郎三 小田茂助
河原長左衛門 大津佐七 布田太助 鯰市右衛門
矢部忠兵衛 松山宇七 杉嶋茂次右衛門 河江宅右
衛門 野津瀬兵衛
閏六月四日於野津會所一手寄合
郡浦又左衛門 種山彌平次 高田富右衛門 松山宇
七 野津瀬兵衛
閏六月十一日本庄 十二日池田 十三日田迎 十四日
横手 十五日本庄 十六日池田 十七日本庄 日數寄
合人數之内左之通
永井宇兵衛 大賀嘉兵衛 田迎兵右衛門 横手金
十三日不参 十三日より十七日迄不参 十一日より十三日迄不参
兵衛 池田立蔵 銭塘仙助 正院次郎三
十五日より十七日迄不参
南關次郎左衛門 小田茂助 山鹿素兵衛 深川
十六日十七日不参
次右衛門 竹迫宇左衛門 内牧半助 久住文五郎
十一日十二日不参 十一日十四日十七日不参
高森喜三太 木倉平蔵 鯰市右衛門 河江宅右
十七日不参 十六日不参
衛門 松山宇七 種山彌平次 田浦助兵衛 津奈木
養右衛門