「江戸随想録」(日本古典文学全集35)という本が出てきたので、久しぶりに頁をめくっている。
有名どころでは「折たく柴の記」や「蘭学事始」「うずら衣」などがあるが、都合14編が収められている。
「折たく柴の記」については、松岡正剛が「千夜千冊」の中で、何か面白いことを書いていたな~と思ったが思い出せない。
ググってみたら「昭和平成の読者が司馬遼太郎を通して“この国のかたち”に立ち会ったようなものである。」とあった。
皮肉っぽいがなるほどな~と思わせる。
「うずら衣」は尾張藩士で俳人の横井也有のもので、洒脱で面白い。俳句を通して知った人物である。
「蘭学事始」は真剣に読んだ記憶がない。パラパラページをめくると「腑分け」の項に目が行った。
「ガラシャ像は青邨」でご紹介した「前田青邨遺作展」の図録の中に、「腑分」と題する絵があったのを偶然見ていた。
罪を得て仕置きされたのであろう若い女の白い裸体を取り巻き、二重三重に見物する医者たちが取り囲んでいる。
若い執刀者により、まさに始まらんとする緊張した空気感が、全体を淡い抑えた色彩であらわされている。
青邨の絵とは違い、その日の死刑者の遺体は、50歳ほどの老婆であったとされる。 執刀したのは誰なのだろうか。
「蘭学事始」がその正解を教えてくれる。
明和8年(1771年)3月4日「骨ケ原(小塚原)」の刑場で行われた「腑分け」には、著者の杉田玄白や、中川淳庵、前野良沢などが立ち会っているが、これらの人たちが自ら執刀している訳ではない。単なる見学者であったことが判る。
特に腑分け上手だといわれる民の「虎松」に頼んでおいたが、急病になったため、祖父で90歳の老人が執刀している。
この老人が腑分けを行い、それぞれの部位を指し示して、名称を教えたり切り分けたりしたという。
医者たちは無言でただただ説明を聞くだけで、質問さえするものもなかったと玄白は記す。
彼等がそれまで持ちえた知識との違いに唖然とし、改めて良沢が所蔵する洋学書「ターヘルアナトミア」の正確な内容におどろき、それから玄白らの苦労に満ちた翻訳作業がはじめられた。
解体新書