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津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■蘭学事始めから「腑分け」

2019-11-14 09:11:04 | 書籍・読書

 「江戸随想録」(日本古典文学全集35)という本が出てきたので、久しぶりに頁をめくっている。
有名どころでは「折たく柴の記」や「蘭学事始」「うずら衣」などがあるが、都合14編が収められている。  
「折たく柴の記」については、松岡正剛が「千夜千冊」の中で、何か面白いことを書いていたな~と思ったが思い出せない。
ググってみたら「昭和平成の読者が司馬遼太郎を通して“この国のかたち”に立ち会ったようなものである。」とあった。
皮肉っぽいがなるほどな~と思わせる。
「うずら衣」は尾張藩士で俳人の横井也有のもので、洒脱で面白い。俳句を通して知った人物である。
「蘭学事始」は真剣に読んだ記憶がない。パラパラページをめくると「腑分け」の項に目が行った。
「ガラシャ像は青邨」でご紹介した「前田青邨遺作展」の図録の中に、「腑分」と題する絵があったのを偶然見ていた。
罪を得て仕置きされたのであろう若い女の白い裸体を取り巻き、二重三重に見物する医者たちが取り囲んでいる。
若い執刀者により、まさに始まらんとする緊張した空気感が、全体を淡い抑えた色彩であらわされている。

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  青邨の絵とは違い、その日の死刑者の遺体は、50歳ほどの老婆であったとされる。 執刀したのは誰なのだろうか。
「蘭学事始」がその正解を教えてくれる。
明和8年(1771年)3月4日「骨ケ原(小塚原)」の刑場で行われた「腑分け」には、著者の杉田玄白や、中川淳庵、前野良沢などが立ち会っているが、これらの人たちが自ら執刀している訳ではない。単なる見学者であったことが判る。
特に腑分け上手だといわれる民の「虎松」に頼んでおいたが、急病になったため、祖父で90歳の老人が執刀している。
この老人が腑分けを行い、それぞれの部位を指し示して、名称を教えたり切り分けたりしたという。
医者たちは無言でただただ説明を聞くだけで、質問さえするものもなかったと玄白は記す。
彼等がそれまで持ちえた知識との違いに唖然とし、改めて良沢が所蔵する洋学書「ターヘルアナトミア」の正確な内容におどろき、それから玄白らの苦労に満ちた翻訳作業がはじめられた。

                                                                          解体新書

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■細川小倉藩(74)寛永元年・日帳

2019-11-14 08:36:17 | 細川小倉藩

                         (寛永元年八月)十五日

         |                          
         |     十五日   両人詰 曇 九つ時ゟ雨 
         |
         |一、浅山清右衛門・河喜多五郎右衛門、今朝御金山へ被参候事
         |        (林)
作事奉行等大橋ノ |一、河田八右衛門・弥五左衛門登城、大橋之板出候儀、町人出可申旨 御諚ニ候へ共、其節ハ大坂御
板ノ出方ヲ相談ス |  普請衆罷下申間敷故ニ、町人ニ出せ候へとの 御意候、御普請衆も罷下候間、町人ニ出候儀成間
         |        (是門)
         |  敷之由、米田與右衛門被申候由、八右衛門申候、左候ハヽ、御家中御役人ニ可申付候哉との儀ニ
         |  候事
         | (中)                            (横山重嘉)
河口舟留ノ奉行  |一、神與兵衛河口舟留ノ奉行ニ、小倉へ米入ノ様子、助進被申渡候事
         |一、大坂ゟ、山内六太夫・樹下清十郎・木原猪右衛門・堀長兵衛罷下候事
間男刃傷一件   |一、林與兵衛登城、田川郡樋口淡路百性清右衛門と申者おい作右衛門と申候、筑前ゟ走り参候を、名 
走者ヲ名子トス  |  子ニ仕置候、然ハ清右衛門事、人ノ女房ニ心をかけ申ノ由、清右衛門ニ■見仕候ヘハ、ねくびを
寝首ヲ斬ル    |                  (田川郡)
         |  きり申候由、名判もなきおとし文を、猪膝ニ置申候、清右衛門申候ハ、人ノ女房ニ心をかけ候事
         |           (前略、以下同)                                 (以下略)
         |  偽ニ候、作右衛門筑へ参、しうとをうちはたし嘉申之由申候間、ころし申候由申候、「作右衛門
         |  筑へ参、しうとをころし可申と申候」、子細ハ作右衛門筑ゟ参候時、親女房をもすて参候処ニ、
         |  女房をゑんニ付ケ候由承候、暇をも不遣候ニ、ゑんニ付ケ候事いかゝニ候間、参候て、しうとを
         |  はたし可申と申たる由候、とかく作右衛門をころし候ハヽ、御惣庄やか御郡奉行衆へ可申儀ニ候
仕方曲事     |  ニ、かやう仕候儀曲事ニ候、御家老衆へ談合可申之由ニ候事
         |
         |   (樋口) (安宅、田川郡)
女敵討一件    |一、又淡路百性あたか村之助兵衛と申者、となりの四郎右衛門と申百性を、なたにてきり申候、四郎
         |  右衛門ハ死不申候、此子細ハ、 助兵衛女房ニ四郎右衛門心をかけ申候ニ付、如此仕候由候へと
よきヲ焼キテ把ラ |               (斧)                             又
シム       |  も、偽ニ而候、助兵衛女房ニよきをやきてとらせ候へ共、手やけ不申候、其上子むこ・名子共書
         |  物ニも、少も助兵衛女房と四郎右衛門心ノ有候儀、内々ゆめ/\不存候由書出候、助兵衛筑前へ
訴人ヲ恨ム    |  走り可申と仕候ヲ、四郎右衛門注進申候ニ付、其いこんニ仕たると相聞へ申候、御家老衆へ談合
         |  可申之由ニ候事
         |       江戸へ                   (米田是門)  (矢野)
安国寺住持出府  |一、安国寺急度被参候様ニと、冣前被申渡候、然ハ與右衛門殿・利斎へ被遣候 御書、昨日御奉行衆
         |                    (友好)       (可政)
         |  頂戴候、九月ニ御詰替衆被参候時、松井宇右衛門・加々山主馬同道ニて可被参旨、 御諚ニ候
         |  間、其通ニ被仕候へと被申候ヘハ、安国寺登城にて、ねかわくハ一日も急度由ニ候へ共、莬角
         |   御諚次第ニ候て可然之由、御奉行衆被申候ヘハ、同心ニ而被罷帰候事
         |
         |                                 安国寺→明智光秀子・明巌梵徹だと伝えられる。
         
        |                       「縫い」の意か、一時期二本の尾羽を結ぶらしい
鷹ノ爪手入   |一、山路左介登城にて、大指のつめ・熊鷹之尾羽のひ申候間、御きらせ可被成之由候、則河合権丞所
         |  へ被申付候事
御船ニ竹ノ買入  |一、式ア殿ゟ御使、小豆嶋ノ宮家三右衛門と申者、御家中之御普請請石なとニ殊外情入申者二而候、然
         |  ハ、今度御普請之者下候を、彼三右衛門舟ニのせ下シ候、此舟ニ竹をかい候て罷上度之由候間、
         |  馳走旁々候間、御うらせ可然之由御申候、則伝介ニ被尋候ヘハ、御切置竹ハ帆柱儀左衛門手舟斗
         |  五、六百石ほと御座候間、かい候ハヽ御うらせ可被成之由候、重而もかい候ハヽ、やかて御きら
         |      〃
         |  せ被成候間、国東ニ■而もうり可申由候、右之通式ア殿へ返事被申候事
大阪ヨリノ万力  |一、大阪ゟ下り候万力之儀、上野勘平・香山與介なとへ御請取せ被成候ニと、式ア殿・頼母殿へ指
         |  帋にて、御奉行衆ゟ被申入候ヘハ、大坂御普請奉行衆頓而可罷下候間、此衆被渡候へと御申候、
         |           (仲間)
         |  万力ハ林久大夫・中广市大夫請取下候事
明寰調薬     |一、あをかい仕候休徳煩申ニ付、めいくわんニ申付、くすりあたゑさせられ候事
鷹落シニ鷹箱ノ用 |一、河井権之丞登城、御鷹をとしニ参候間、御鷹箱御申付候て可被下之由ニ候事
         |一、鏡善右衛門登城、御加子壱人かゝゑ申候由被申候事
(槻門)
欅門備要ノ突棒出 |一、けやき御門ノつくほう出来仕、佐分利五郎八奉行ニ而、門番へ被渡候事
来        |
         |                                   けやき御門槻門

           

 

 

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