津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■桜の森の満開の木の下で

2019-11-29 13:58:22 | 徒然

 小沢一郎氏が安倍総理の「桜を観る会」を「桜の森の満開の下で」と揶揄されているのを聞いて、ふっと笑ってしまった。
     小沢一郎氏、「桜」に隠れた疑惑議員に「雲隠れマニュアル」の存在を指摘
はたしてこの揶揄を安倍さんはじめ、指摘された人たちはお分かりになるだろうかと思った。(失礼・・)

これは坂口安吾の有名な小説である。 青空文庫「桜の森の満開の木の下で」
私の大好きな小説で、10年ほど前にコメントしていた。「桜」

このブログにも書いているが、その内容はまことにおどろおどろしい。

「桜を観る会」に出席した人たちは大いに浮かれて喜んだことであろうが、桜が散った後のむなしさみたいなものを感じておられることだろう。
是非ともこの小説をお読みいただきたいものだ。

                                          平成の名残や 御苑の桜かな   津々

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■お土居の中の人たち

2019-11-29 08:39:16 | 書籍・読書

 先のNHKの番組「ネーミングバラエティー 日本人のおなまえっ! 」で、本当の京都の範囲について取り上げ質問していたが、京都市民である二人のタレントも知らなかったようで、間の悪い顔をしていた。
随分以前の「ブラタモリ」で言っていたように思うが、「御土居の中」が正解であり、いたって狭い範囲である。
お土居の中に住む「京都人」はそのことは誇りでもあり、他の地域の人にたいして言外に「そんなもん、京都やあらしまへん」という意識を持っているように感じられる。

 昨日「国際日本文化研究センター」の次期(来年四月就任)所長に、建築史家の井上章一氏が選ばれたことが報じられていた。
建築史・意匠論が専門だが、日本文化について、あるいは美人論、関西文化論など「現代風俗研究会」の中心人物としてしられる。
多彩な氏の多くの著の中に、「京都ぎらい」というインパクトある題名の著作がある。
2018年の「新書大賞」を受賞した本で、20万部以上を売り上げて随分評判となった。
建築関係の本をまとめた、まだ開いていない最後のダンボールの中に「つくられた桂離宮神話」(同氏著)などと共にあったが、完読しておらず改めて読んでみようと思い取り出してほこりを払った。
 

「新書大賞2016」(中央公論新社主催)に選ばれた「京都ぎらい」

内容説明

あなたが旅情を覚える古都のたたずまいに、じっと目を凝らせば…。気づいていながら誰もあえて書こうとしなかった数々の事実によって、京都人のおそろしい一面が鮮やかに浮かんでくるにちがいない。洛外に生まれ育った著者だから表現しうる京都の街によどむ底知れぬ沼気(しょうき)。洛中千年の「花」「毒」を見定める新・京都論である。

目次

1 洛外を生きる(京都市か、京都府か;さまざまな肥やし ほか)
2 お坊さんと舞子さん(芸者か、芸子か;呉服と映画の時代は、すぎさって ほか)
3 仏教のある側面(北山の大伽藍;写真とイラスト ほか)
4 歴史のなかから、見えること(皇居という名の行在所;京都で維新を考える ほか)
5 平安京の副都心(嵯峨、亀山、小倉山;南朝の夢の跡 ほか)

著者等紹介

井上章一[イノウエショウイチ]
1955年、京都府生まれ。京都大学工学部建築学科卒、同大学院修士課程修了。京都大学人文科学研究所助手ののち現在、国際日本文化研究センター教授。来年4月より同所長(任期4年)に就任。

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■その他お土居関係書籍

御土居堀ものがたり              豊臣秀吉と京都―聚楽第・御土居と伏見城

御土居堀ものがたり [単行本]         豊臣秀吉と京都―聚楽第・御土居と伏見城 [単行本]

京都新聞出版センター                      文理閣
2005-10                            2001-12
                                中村 武生
 
 
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■細川小倉藩(89)寛永元年・万日帳(九月三・四・五日)

2019-11-29 07:01:21 | 細川小倉藩

          (寛永元年九月)三・四・五日

         |            (晴)                          
         |     三 両人詰 清天
         |               (魚住正重)     (浅山)
         |一、岡田茂兵衛登城仕、屋敷之儀、加介手前之儀、浅清右衛門ニ申候、此中談合も不済候、其上屋敷
         |  之儀ハ御舟而ノ内ニ而無之候間、各も被申由被申渡候事
         |一、坂井忠三郎を召寄せ、菊野長十郎舟御供替之衆被参候時、上せ候事成間敷哉と被尋候ヘハ、又此
         |  節少おこり申候而、成申間敷之由申候事
         |                   (長岡孝之)忠興弟・香春城主25、000石・幼名茶知丸、隠居後休斎
吉田ニテ走リシ小 |一、去年吉田にて走申候御小人角大夫儀、 中書様御内八兵衛と申候、下請之由候間、彼者手前せん
人ノ詮索     |                (浅山)
         |  さく被仕候へと、藤本勘五郎ニ清右衛門被申渡候、長良権八と談合候て、吟味被仕候へと、被申
         |  渡候事
         |              (野中)
狼ノ黒焼出来   |一、大かめノ黒焼出来仕候而、作庵持参仕候、則此度之便ニ、江戸へ進上可申之由候事
五きょう     |一、五きょう、天長老昨夕持参被申、此度之便ニ大安寺へ可進之由ニ候事
重陽ノ呉服    |一、式ア殿・民ア殿ゟも九日之呉服之儀ニ付、江戸へ状御上ケ候事
         |  (忠有)
ねうしの用材   |一、彦山座主ゟ返状参候、御舟ねうしノ木、何時も御取せ可被成之事由ニ候、則元田・入江ニ被申
         |  候事                         〃〃
         |                     (遠藤)  (山田)
なべかねへノ重陽 |一、御なべ殿・御かね殿へ進上被成候御小袖、吉右衛門・喜斎両人呼ニ通、五兵衛相渡被申候事、
ノ小袖      | 

         |                                      
         |     四日 両人詰 晴天
         |
         |一、江戸へ下候御鉄炮衆弐人、平二郎今日午刻ニ出舟、
びやうノ湯へ湯治 |一、服部新太郎煩申ニ付、御家老衆へ隙をもらい、ふん後びやうノゆへ入申候事、御奉行衆へ此由被
願        |          (田中氏久)
         |  仰候て可被下候由、田猪兵衛被申候事
         |一、木村十左衛門御暇申、在郷へ参、只今罷帰ノ由候て、登城仕候事、
         |
貸米目録作製ナラ |一、江戸への御飛脚舟、今日出船之筈ニ候へ共、小左衛門・甚丞手前目録出来不申候故、相延申候、
ズ        |  但、御給人衆ニ不足仕候ほとかし申候由、江戸ゟ被仰下候申わけ之儀也、
         |

         |                                      
         |     五 両人詰 清天
         |                                   (ママ)
家中貸付物ノ目録 |一、吉田二郎右衛門ゟ御家中衆へ貸付物之目録、中津御奉行衆ゟ式ア殿・民ア殿ゟへ参候ヲ、御奉行
         |  へ参候、則触状被廻候事
         |
貸米ノ処理    |一、神足半七手前来年御貸米之内、 残米弐十四石余御座候を、 半分ハ被引置、半分御かし被成候

         |                   (志水)
         |  へ、左候ハヽ、今度替りニ可参之由、牛介被申候、甚右衛門丞ニ其通ヲ御奉行衆河喜多・仁保な
         |                          〃〃〃
         |  と被申渡候ヘハ、甚丞申候ハ、おさへずニ御貸米之分ハ皆以御かし分ニ借状ニ御判被成候、引取
         |  申候分ハ、小左衛門・甚丞手前ニ有儀と申候、一段尤ニ候間、其分ニ可仕候由候而、御かし米皆
         |  以被相渡ニ済申候事
         |
         |  佐分利作左衛門        ひく嶋
         |一、高田角左衛門与御鉄炮衆〇小左衛門、昨日病死候事
         |  〃〃〃〃〃〃
         |
欅門外石垣ニ落書 |一、けやき御門ノ外ノ石垣ニ、名判なしノ書状はり付置候、文言ハ御供衆加扶持米を、主々被請取
供侍ノ加扶持米下 |               (虫損)
々ヘハ渡ラズ   |  候て下々ヘハ、少も不給候間、□之通被仰付可給之由候、左様無御座候ハヽ、江戸ニ而言上可仕  
         |  とかき申候ヲ、御奉行衆被見届候て被取置候事
刀装ノ金具ノ横目 |一、橋本惣左衛門を、御こしの物金具御横目ニ被申付候て、伊藤文五郎・成田與平次手前へ被渡候、
         |                           (沼田延行)
忠利ノ命     |一、式ア殿・民ア殿・頼母殿へ、八月廿三日・廿四日之御書、長岡十五朗殿使持下候を、御奉行衆頂
豊後横目新任ヘノ |  戴可被仕とて御越候、御一通ハ豊後国御横目衆替りニ御下候衆へ、御音信之儀被仰下候、御一通ハ
音信物      |  高麗人今日罷上候間、如先例御馳走可仕候よし、被仰下候、符内御横目衆御下向候ハヽ、注進可
朝鮮信使迎接   |  申旨、豊後被付置せ候衆、無由断可被申越之旨、次飛脚ニ而被申遣候事
         |                   (ママ)                   夜ル五時                 
給人貸米ノ目録  |一、御給人衆不足仕候様ニ御米借候由、江戸被仰下候、其目録調被上候御飛脚今日〇出船候
代替リニ中津ノ家 |一、御代替之分時、中津家代銀之滞分元利算用候て、山口半次ニ持せ、八つ時分ニ中津被遣候事、
ノ代銀      |      〃
         |


                            


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