津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■落ち葉走る

2019-11-30 14:06:30 | 徒然

                                                        落ち葉はけば 容赦を知らぬ落ち葉かな  津々

 今朝ほどはさすがに冬の気配で、熊本でも5・6度まで気温が下がったが、今の時刻は少し風があるが天気が良いのでベランダの戸を開けっぱなしにしている。
室内温度21度、靴下も履かずに過ごしている。
散歩にはダウンを羽織って出かけたが、30分も歩くと汗ばんできて途中で脱いでしまったがすっかりお荷物になってしまった。
あちこちで掃き集められた落ち葉が風に吹かれて元の木阿弥になっている。おまけに新しい落ち葉も降ってが容赦ない。
ケヤキ・カエデ・桜・いちょう等多彩である。そんな吹き溜まりに濃い紫の夕顔の花が蔓を延ばして咲いていると、何とも不思議な装いである。



 

 

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■二代目・太左衛門

2019-11-30 13:53:48 | 自分史

 我が家に関係する先祖附その他の史料をみても、何時細川家に召し出されたのかは記録が見つからないでいた。
処が十年ほど前「福岡県史・近世史料集 細川小倉藩」の元和九年(1623)閏八月六日の項に、次の様な記録があることを発見した。

         |   知行高弐百石
         | 一、磯部長八(五)郎、此地罷居候儀、此中不存候而、何も御小〃性衆御目見えニ被罷出候せんさくニ付、
         |   しれ申候事

これは我家の初代・磯部庄左衛門の実兄であり、我家の祖・庄左衛門はこの兄・長五郎と共に召し出されている。
細川家士としての最後は8代の又太郎であり、これは明治三年(1870)七月に役職を罷免されている。
以降数年は熊本藩士であったのだろうが、詳細は判らない。180年ばかり細川家に仕えたことになる。

二代目太左衛門が母方の名字にかえ、現在の姓を名乗ることになった。
この人物はなかなか頑張っている。召し出しから54年勤めあげているが、15度の参勤交代を経験し江戸に在る事30年であったと記している。
幕府巡検使の案内や、水戸藩士・佐々助三郎の熊本巡行の案内役なども務めた。
15度の参勤を勤め、よくぞ金が続いたものだと少々感心するが、元禄九年に到るといよいよいきづまり「連々不勝手ニ而拝借之願申上候」処、参勤を免除されている。
まさに綱利公の代を過ごした人物であるが、出世には恵まれず穿鑿役にとどまった。150石取ではこんなところだろうか?

先祖附ではいろんな人物との関りが記されているが、そのような方々のご子孫といま交わりがあり、不思議さを感じている。
そんな方々の先祖附なども拝見し、時代を追って校合すると、新しい発見が見えるのではなかろうか。
楽しみは留まることがない。

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■細川小倉藩(90)寛永元年・万日帳(九月六日)

2019-11-30 07:12:08 | 細川小倉藩

          (寛永元年九月)六日

         |                                      
         |     六 両人詰 清天
         |             (築城・上毛郡)
竹切リノ奉行   |一、岩崎太郎兵衛門登城ニ而、御郡ニ而竹切りノ奉行、御米之さいそく壱人つゝ付置候ヘハ、我等手
運上米催促人   |                                   (ママ)
物書       |  前人持不申候ゆへ、何共めいわく成儀ニ候、主無筆ニ而候へハ、物書壱人かゝ置候へ共、御用之
         |  ふれ状参候へば、其者方々被遣候事罷不成候、左様之所何とそ御たんこう候て可被下候由ニ候
         |  事 
         |              (ママ)
大坂川請     |一、大坂川請二兵衛登城、此中留逗仕候へ共、川請之儀ニ付、出入御座候へ共、左様之所埒明不被下
         |  候間、先此度ハ罷上候、其上母煩申ニ付如此候、上り申候由、御くじ衆へも申候ヘハ、其方次
         |                          (ママ)        (案)  
         |  第と御申候、もし跡ニて、二兵衛むさと仕、上り候やと召思候ハんと存、安内ノため二登城仕候
         |  由申候
         |
         |  (松井友好)(加々山可政)(志水)                              (組)
         |一、松宇右衛門・加主馬・牛介登城二而、出船之儀談合にて、十五日に相究候、与はつれ衆へも、右
         |  之通被申触候、
         |       (ゟ脱ヵ)
三斎江戸定供等ノ |一、中津御奉行衆式ア殿・民ア殿へ書状参候ヲ、御奉行衆へ被見せ候、 三斎様江戸被成 御座候、
知行ノ口明ヲ命ズ |  定御供衆一番之御供衆知行之口早々明候て、其後諸運上取立可申旨、 三斎様御諚之由二候、則
         |  其通二時をうつさす仕候へと、豊岡二被申渡候事
         |   (敦行)
長柄走者ノ取替分 |一、続兵右衛門登城二而、元和七年ニ御長ゑノ者江戸ニ而弐人走申候、町人請人弐立申候ヲ、取かへ
借銀ノ処理    |  ノ分町人ゟ前かとたて申候処ニ、江戸ニ而御借銀仕候ヲ、右之請人手前ゟ取立候時、借銀之儀も
         |                                被                                       米
         |  被書上候ハヽ、町奉行一度ニ取立可申を、其時ハ銀子之儀何共不仰、其後年々御切米御借候時
         |  も不被申候て、今又右之銀子之儀、請人手前ゟ取立候様ニハ成不申候、其上得 御諚候ヘハ、
         |  成程ハ請人ゟ取立遣、不成処ハ其与頭へ引付候へとの 御諚ニ候、前かとならさる所を随分取立
         |  申、相済申候ヲ、いま取たて候こと不成候、甚丞失念仕、于今迄延引仕事、右之様子御奉行衆へ、
         |  続平右衛門書物仕、被上候処ニ、先此度ハ御切米被相渡シ候やうニと、甚丞へ被申候、重而言上
         |  可申由ニ候事
         |
白銀製面桶    |一、しろかねや加右衛門登城、藤本勘五郎奉行にて、御めんつうの御道具、しろかねにて仕候、其算
算用遅延ノ利分  |  用を勘五郎おそく被仕上ケ候ニ付、のこり銀ニ利分付申候を、我等ニ出し候へと被申候ニ付、銀
         |  子出し候由かき物ニ而申上候、御奉行衆被申候ハ、其はずにてハ無之候、勘五郎ゟ出し申儀ニ候
         |  間、かねを取返候へと被申候事
         |
   

                                       

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