津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■細川小倉藩(78)寛永元年・日帳

2019-11-19 16:45:52 | 細川小倉藩

                         (寛永元年八月)十九日

         |                          
         |     十九日   両人詰 晴天 
         | (小笠原長元)
         |一、民ア殿へ 御書参候を、御奉行衆へ被持越候、頂戴被仕候、様子ハ何とも不存候事、
         |                          (正直)(慰英)(田中氏久)(全右衛門)(伝右衛門)
小倉城廻貸売田  |一、御城廻り作貸田毛上売・春売田ノ儀、御奉行衆三人、河喜多・仁保・猪兵衛・福田・河崎惣談ニ
         |  而相済候、子細ハ書物御奉行衆ニ有、写此方ニも御座候事 
         |一、泰勝院殿ヘノ御茶、河喜多被出候事
物書召出     |一、御物書伊藤権右衛門と申者、山田次右衛門申候而被 召出候、明日より相詰候へと被申渡候事
         |      
大橋板出     |一、御家老衆〇両使、大橋板出シ之儀、御出船之節ハ役人大坂ニ有之故、御留守居衆・町人として香春
         |  ゟ出可申旨、 御諚ニ而可有之候、只今御普請衆大坂ゟ罷下候条、御留守居衆・町人共出候儀い
国役銀      |  かゝニ候、御留守居衆之内ニ而も御国役被仕候衆少々御座候、其外ハ御国役之銀子ハ出之、役人ハ
         |  出間敷と御座候条、書分可給之由候、則書立ニてんをかけ候て、右之使弥次右衛門・助右衛門ニ
         |  被渡候ヘハ、重而之使、弥右之通ニ候へハ、役人も大坂ゟ罷下、今七百人はかり大坂ニ罷居候、
         |  町人・御留守居衆ゟ被出候事ハ御無用ニ候、番方ゟ迄出可申候間、左様被心得候へとの儀ニ候、
         |  御奉行衆ともかくも御意次第ニ候、今度指上せ申候御飛脚ニ、右之通言上可仕之由被申候事
         |一、同御郡奉行衆も役不被仕衆前々てんかゝり候、何々との御夫、是ハ正月ニ十日、二月卅日、六月・
国役年ニ百日   |  七月、合百日、御国役被仕候へと 御諚ニ候、其後又御借米取立之儀を御郡奉行衆ニ被 仰付候、
         |  ハや御取立之時分ニ候間、御役被仕候儀ハ罷成間敷之由、返事被申候ヘハ、又夫 御諚之通ニ候
         |  間、御尤ニ候、乍去、一年ニ百日被仕候分ハ、いつニ而も役を御取候て可然之由、御申候事
         |



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■好奇心をくすぐる本

2019-11-19 08:31:23 | 書籍・読書

                                                        秋に夜長の読書には、こんな「好奇心をくすぐる本」がいいですね。

                            

                     信長と弥助 - 本能寺を生き延びた黒人侍 ロックリー,トーマス【著】/不二 淑子【訳】

内容(「BOOK」データベースより)

一五八二年、本能寺。織田信長の側近のなかに、特異な容貌でひときわ眼を惹く男がいた。その男こそ、日本史上初とされる黒人侍、弥助だった。信長の切腹後、弥助は危険をかえりみず、嫡男の信忠のもとへと走る。彼を駆り立てたのは、自分を信頼し、侍へと取り立てた信長への忠義心だった―。国内のみならず海外でも注目を集める異色の黒人侍、弥助。その知られざる生い立ちから来日にいたる経緯、信長との出会いと寵愛、本能寺後の足取りまで、詳細に踏み込んだ歴史ノンフィクション。

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■豊前叢書「鵜の真似」拾い読み(3)

2019-11-19 06:47:53 | 徒然

「鵜の真似」拾い読み(3)

       ・ 田一坪苗一把植る事にて百坪に百把植る是を百目と云ふ 千坪に千把植ゆる是を一貫目と云ふ
     此積りにて大躰十貫は百石 百貫は千石に当る共上中下に依之定めず古法なり

   ・ 肥後の堀平太左衛門は小身より莫大の立身して御家老になり賢人とも云れし人の由 
     肥後侯御借金段々重りて御銀主え御返付も無之由にて 迷惑の余り本願寺より使僧にて 
          右金子は元本願寺の金子にて御返付下さらず候にて迷惑千万に付 何卒御返し下されとの趣なり 
          堀氏返答申けるは 御尤至極左様とは存ぜず 是迄納めず之段本意に背き候間近々返金仕る可き候 
          且越中守領中随分余宗にて相済み 一向宗入用無理に候間 領中の一向宗悉く御本山え御返し申候間 
          是又御請取下べしと相返ければ 本願寺以の外案に相違して平身頭にて右金子の事は鳴入になり 
          結局一両もとれぬ大損に成り候由 思ひ切たる取計と近国にても取沙汰しけるとなり

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