熊本史談会の若い友人N君が、私の祖父にかかわる史料をメールで送ってくれた。ただただ感謝である。
昭和19年私の父・祖父・祖母が相次いで亡くなり、母は姉と私を連れて熊本へ帰郷した。姉9歳・私は2歳の時である。
以来熊本地吾郎として育って、齢を重ねてきた。私が突然歴史に目覚めたのは60歳を過ぎてからの事だが、我家の事はいささかないがしろにしていた。
年をへて気が付くと、父や祖父母のことを知る人たちが幽明を異にしていた。
いろんな書物を読み、WEBを駆使して若干の資料を得た物の、判らぬことが多すぎてお手上げの状態であった。
今般のN君がもたらしてくれた資料は、昭和12年発行の会津正夫氏編の『錦渓舊友会』という著書からのものである。
祖父は「錦渓」なる雑誌の編集に携わっていたらしく、これは上記会の会誌ではなかろうかと思われる。
今年の古書籍販売会目録から
私が小石川の細川家の職員住宅で生まれたという経緯は、祖父が細川家家政所に勤めていたからだが、いつ頃から勤め始めたかが判らないでいた。
今般の資料により大正4年に奉職したことが判明した。昭和19年に亡くなるまで職にある事30年、人生の約半分を勤めたことが判った。
その思想信条から、平壌に設立された「朝鮮語学校」の校長を努めたりして、某研究者の言を借りると「国粋主義者」なのだそうだが、その後はただひたすら、旧主細川家の為に尽くしたという事になる。
自らがあと数年で80歳になろうとする頃今、こういう風にして、じょじょに明らかになる我家の歴史である。