津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■万五郎→太郎左衛門の事か?

2019-11-21 13:38:28 | オークション

 昨日までは見受けられなかったように思うが、今日はもう締め切りだとする平野万五郎宛の御書き出し(知行宛行状)である。
特段珍しいものではないが、随分高い。需用と供給の問題だから、脇からちゃちゃを入れるのも如何とは思うが、最近この手の物が随分高値で設定されているのが気にかかる。

           

 平野万五郎にあてたものであるが、「細川藩家臣略系譜」にその名は見えない。
但し「満五郎」という名が見え、これは平野太郎左衛門だと比定されている。この人物を祖とする家が6家あり、明治に至っている。
この御書き出しの人物は平野太郎左衛門の事であろう。嫡流が代々二百石拝領している。
残念ながら私はこの一族に関しての先祖附を所有していないので、何故この家が6家に使用を広げたのかを知る由もない。

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■捨て子の運命

2019-11-21 10:51:01 | 歴史

 明治元年川尻に於ける「捨て子」についての記録が残る。川尻下町の今村徳次郎なる者が届け出た。
丁頭・横目から七人の町別当の押印を経て奉行所に提出された「口上之覚」に詳しい。

          「口上之覚」
      当月廿ニ日暮六半頃、私方戸口先ニ小児之泣声仕申候間、
      早速罷出見繕申候処、六月過位之男子ニ而全捨子ニ相違
      無御座、其節之衣類者縞絣はき之袷、古肌着壱ツ、同袖 
      なし羽織壱ツ都合三枚、外ニ古手拭、同まいたり、是者
      しきものにして有之候、右之通拾ひ揚ケ申候、然処私方
      ニ乳持之者無御座候ニ付、近隣之乳持を相頼ミ養育仕居
      申候、此段口上之覚を以御達申上候、以上
                     川尻下町
        明治元年十一月         今村徳次郎

 悪名高い徳川綱吉の生類憐みの令があるが、一方では「赤ん坊は授かりもの」として、捨て子等はその地域で養育させることが義務付けられている。
10歳になるまではその町や村で養育しその間里親を希望するものがあれば、これに託されたという。
さて上記の件に於いては、幸いなことにすぐさま赤子を育てたいという人物が現れている。
これも丁頭・横目四人から七人の町別当の押印を経て郡役所に提出された。

          「奉願覚」
                        捨子
                         壱人
      右者私儀五ヶ年以前妻帯仕候処、今ニ代継茂無御座候ニ
      付、案労仕居申候処、男子壱人有捨候由承申候ニ付、何
      卒私江被為拝領被下候様奉願候、如願被 仰付被下候ハヽ
      相育代継ニ仕可申段難有奉存候、此段宜敷被 仰付可被
      下候、為其覚書を以奉願上候、以上
                        川尻岡町
         明治二年三月            千太郎

 申出を受け役所ではこの千太郎という人物の身元を調べている。
「千太郎儀勝手向も兎哉角押居候、夫婦共ニ慈愛厚、兼而心得方宜由」故に願いの通りにして良いのではないかと申し達ししている。
これをうけ、飽田郡代二名が連名にて、その月のうちに町方参政宛に上申、四月初旬には許可がなされた。

      去十一月廿ニ日夜、川尻下町今村徳次郎戸口際ニ捨子有
      之候処、同町千太郎と申者養育いたし度段書付被御達置
      候、依之金子三両三歩被添下候条、往々心を付養育いた
      し候様可有御達候、以上
         明治二年巳也          町方
           四月五日           参政中
         飽田
          御郡代衆中

 千太郎なる人物が養育を申し出てから、ほぼひと月で許可がなされている。
赤子を預かっていた人々にとっても、喜ぶべき結果がもたらされた。
幸いがもたらされたこの子は、生命力がなかったのか二月ほどして残念ながら死去している。

     「本文捨子、当月十八日病死いたし候段、川尻入江次
      郎太郎へ達之書付、六月廿九日差廻来候事、此先ニ
      記録アリ」

 以下届け出の覚である。

           申上覚
                       岡町
      一男子壱人             千太郎
                          養子
      右者捨子同人江被為拝領難有相育居候処、病気差起り療
      用相叶不申病死仕候、此段覚書を以御達申上候、以上
                       丁頭
        明治二年六月          米村金八(以下二名略)
                    別当七名宛
                  石原陽太郎殿
                入江次郎太郎殿
     「付札」
     「本紙之趣ニ付、承繕申候処、千太郎相育候捨児、元
      来乳養之生育無之処より病気差起、下痢相添候由ニ
      付、千太郎夫婦共々昼夜差添看病手厚いたし、懸医
      道家大春方、且松岡俊五方江療治相頼療用いたし居
      候内、当月十八日暮過頃病死いたし候由ニ而、於所
      柄茂何そ煩敷唱茂無之由ニ相聞申候、以上
        六月             森又三郎  」

 昨今、自らの子を虐待の上殺すという無慈悲な事件が頻繁に報道され眉をひそめさせている。
そんな中、江戸時代にこのような「捨て子」をコミュニティーに責任を以て養育させるという救済策が存在していたことを、詳しい事例を以て知りえて感動を覚える。
短い間ながら、精いっぱいの愛情の中で育てられたことが、せめての救いである。
「授かりもの」である将来ある子らの行く末に輝きあれと祈るばかりである。

      江戸の捨て子たち―その肖像 (歴史文化ライブラリー) 江戸の捨て子たち―その肖像 (歴史文化ライブラリー)


 

 

 
        

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■細川小倉藩(81)寛永元年・日帳

2019-11-21 06:58:48 | 細川小倉藩

         |                          
         |     廿四日   両人詰 晴天 
         |
百姓次郎介損ノ代 |一、林與兵衛、昨日も今日も登城にて、 そんノ代米、赤村之二郎介借用し候へ共、一切上納不罷成
米        |  候、就夫、去年分之御算用不罷成候間、御吟味被成、御算用通候様ニ、被仰付可被下之由候事、
牢死人ノ処置   |一、不破忠左衛門内與七事、昨夕六つ時分ニ籠にて病死仕候由、御籠之御番五郎左衛門申来候、則式
         |  ア殿・民ア殿へも申候へと被申渡候ヘハ、御両人、御奉行衆ゟ切手ヲ御調候而給候へ、左候て、
         |  籠ゟ取出、すて候へと、可被仰付之由御申候事
         |
         | 羅漢寺、下毛郡羅漢村)
羅漢修繕奉行   |一、らかん御つくろい普請之御奉行ニ、堀江勘兵衛被申付候ヘハ、半兵衛老母火急ニ相煩之由候て、
         |  知行所へ参候ヘハ、呼ニ参、昨夕罷帰候事、半兵衛も大坂ニ罷有儀ニ候間、御指替候て被下候へ
         |                    〃
         |                       (林)      (河田)
         |  との儀ニ付、山路太兵衛ニ被差替候事、煩之儀、弥五左衛門・八右衛門慥ニ被聞届候事
         |                  〃
         |   津           式ア殿                            同状
借銀帳借米帳中津 |一、中御奉行衆ゟ、民ア殿へ御借銀之帳二さつ、御借米帳壱さつ、合三さつ〇参候ヲ、持せ御上候、
ヨリ来ル     |    届       (元高)                                         (豊岡)
         |  被見候ヘハ、志水次兵衛斗ノ判ニ而、中津御奉行衆判形無之候ニ付、返シ被申付候、則、豊甚丞
         |  へも見せ被申候ヘハ、其分被申付候
         |一、国友半右衛門与之御鉄炮ノ者渡辺久兵衛、昨日病死候事
         |
         | 河喜多・仁保座敷へ御奉行衆も被集候て、惣談之分
惣奉行知行方奉行 |一、御城廻り売買地之儀、河五郎右一存之通書付、被出候、御奉行所・猪兵衛・新兵衛惣談にて、御
等惣談      |           (河喜多正直)
         |                   (篠カ)
小倉城廻リ貸田年 |  貸田毛上売之分ハ被指帋、 春売ノ分ヲ葭埼上り畠御免同前ニ御年貢米取立可申由ニ而、右ノ書
貢米       |  物、御奉行衆・猪兵衛・新兵衛印判有之
         | 同所にて、
貸銀米ニテ運上ノ |一、御貸銀ヲ米ニ而運上之双場、銀百めニ付五石六斗宛相究候事、
相場       |
         |同)
         | □所にて
留守居ヘノ貸米  |一、御留守居衆御貸米、廿五石宛ニ相究候事
         | 同所                                                     (松本)(栗野)
塩代官任命ニ吟味 |一、千葉伝右衛門儀、今之分ニ塩代官被仰付可然哉、不入儀ニ候か、様子具ニ吟味候へと、彦市・伝
         |  介ニ被申渡候事
         | 同所
運上銀滞納    |一、真下助右衛門運上銀三十め余滞り候而、去年御算用つかへ申候由、林與兵衛申ニ付、各御吟味、
         |  惣銀之事候間、御家老衆へ宇野理兵衛を以可申由、せかれ手前ゟ可出儀と談合候事
         |(同)
         | □所にて
百姓二郎介損ノ代 |一、帆柱儀左衛門借付之そんノ代米、田川あかノ二郎助借用候て、未上納不仕候、御郡奉行衆去年之
米        |         (用脱) 
         |  請ニ入候故、御算不罷成候、当年之請ニ入候て、去年分之御算用を可被通之由、御算用聞衆へ差
         |  帋被付候事
         | 同所
三淵好重借米取立 |一、伊か殿米滞分、死人・うせ人も御座候、是も御算用ニつかへ申候、是又年々ニ被取立候へと様ニ
         | (三淵好重)長岡伊賀守・好重は元和三年に没している。伊賀ではなく右馬介重政のまちがいではないのか?
         |  と、御算用衆へ差帋被付候事
鷹山       |一、河合権丞御鷹山へ参候、毎歳御山こしらへ候儀ハ、御百性ニ被仰付候条、御郡奉行衆へ御差帋可
         |  被下之よし申候、御郡夫遣申間敷旨、御諚ニ候へ共、是ハ別ニ可申付様無之候条、 御百性ニ申
         |  付、日用賃可被遣之由ニ相究、指かミ被で候事
         |一、大村久兵衛ニ人足壱人相添候而、御郡へ被出候事
         |  

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