津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■矢野誠一著「昭和も遠くなりにけり」

2019-11-15 17:34:13 | 書籍・読書

                                                                              昭和も遠くなりにけり

  昭和生まれの私が、平成を生き、令和の新しい時代を迎えて、つくづく昭和は遠くなったと思う。
17年生まれの私は19年に祖父母と父が亡くなり熊本へ帰ることを余儀なく仕、幼少期は終戦後の苦難の真っただ中に生きた。
貧乏であったがあまり苦しかったとも思わない。誰もがそういう境遇であったからだ。
28年の大水害で財産の粗方をなくし、母は大いに苦労したのだろう。
私が社会に出たころは、「所得倍増」が謳われ、まさにそれが実現していく面白い時代だった。
東京オリンピックや大阪万博が開催され、高度経済成長で世界の仲間入りをした。

 この本の著者・矢野誠一は「やなぎ句会」のメンバーの生き残りである。メンバーのほとんどはあの世に御座る。
それぞれの皆さんは私よりは5歳~10歳年上の方ばかりだが、まさに昭和の匂いをぷんぷんさせた人達である。
粋で洒脱でそれぞれの世界で一流の方々である。時代が下って平成の御代では、こういう粋人たちは出ないのではないか?
出版社の案内に「50年続く「東京やなぎ句会」の句友たちの動向を中心に、多くの藝人や俳優たちが歩んだ人生を生き生きと描く。」とある。
せめてこの本を読んで、その空気感を味わいたいと思うのである。

   目次
    1 東京やなぎ句会のこといろいろ(十二人の熱気あふれる才人たち;安息日の近況 ほか)

    2 日日雑感(閏年の手帳;御籤の効用 ほか)
    3 藝という世界(落語とメディア展;この落語が聴きたい ほか)
    4 劇場にて(伸の知恵、綺堂の知識;東の万太郎秀司の西 ほか)
    5 来し方の…(噫七十年;笑いの飢餓を一気に充足させた、庶民の娯楽 ほか)



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■細川小倉藩(75)寛永元年・日帳

2019-11-15 06:35:34 | 細川小倉藩

                         (寛永元年八月)十六日

         |                          
         |     十六日   朝曇 両人詰 夜七つ時分大雨 
         |
天主貯蔵ノ干飯ノ |一、御天主のほし飯仕御奉行ニ、岩田新蔵・杉や三郎両人へ被申渡候事
奉行       |一、小川彦左衛門・寺井十兵衛大坂ゟ夜前罷下候由候而、登城被仕候事
         |   (正成)
         |一、藪図書夜前罷下之由候て、使を被上ケ候事
         |            (ママ)             (筑紫重門室、細川幸隆女)
かねの賄     |一、筑紫八十郎ゟ使、知行参、夜前罷下候由候、然はおかね殿御賄七月中迄被仰付忝之由、御礼之
         |  事
         |一、沢村吉兵衛、昨日大坂ゟ罷下候由ニて登城、同弥左衛門同舟ニ下申候由ニ候事
小倉及ビ領内へ他 |一、他国ゟ小倉へ、其外御国中へ米不入儀、又御給人衆知行ゟ、米小倉へ廻り候様子、大与頭衆四人
国ヨリ米入レザル |  へ、昨日触状被廻候、中神與兵衛河口番衆ヲ呼候て、被申渡候事
ニツキ触     |
天主ノ干飯ノ用具 |一、杉弥三郎干飯奉行ニ付、莚之儀可被仰付之由候事、其外白米手伝桶かすなとノさしかミ調、被
         |  遣候事
         |              (豊岡)
江戸切米取算用ノ |一、江戸へ御切米取衆算用之儀、豊甚丞へ被申付候処ニ、算用者壱人、物書壱人被下候ハヽ、仕立
算用人物書    |          (新介)(惣兵衛)  
         |  可申との儀ニ付、深野・財津手前衆弐人被渡候へと被申付候ヘハ、彼衆手前も御算用つかへ申候
         |  間、いかゝと申候へ共、先被渡候へと被申付候事
豊岡甚丞算用多忙 |一、甚丞手前殊外つかへ申候間、江戸へ被参衆斗ノ知行御明候儀迄被仕候へと、被申渡候事
         |一、右ノ通ニ究候故、財津・深野手前ノ衆、甚丞ヘハ不入候
         |        手                               江戸へ参候儀
         |一、入江・元田伝ノ御鉄炮衆二人〇被指替候へと、差帋被遣事
         |  (沢村吉重)
         |一、沢大学ゟ、伊佐源七ニ御矢蔵御かし、庄村五郎右衛門御門番被仰付候儀、主知行口明為札、御奉
         |                    (正重)
         |  行衆へ書状参候事、則返事被申候、又魚住加助所之儀、江戸へ可被仰上可被下之由、伝左衛門被
         |                              〃
         |  申由御申候、是又原久助江戸へ参候時、言上仕たる通、返事被申候事
         |   (五脱)
大橋ノ板供出ニツ |一、林弥左衛門・河田八右衛門登城、大橋いたノ儀、米田與右衛門所へ今朝参、内談申候所ニ、御上洛
キ内談      |  前ニ町人頭へ御茶被下候時、当町すいび仕候由、 御諚被成候、何としたる事ニすいび仕候哉、
忠利小倉町衰微ノ |  いたミたる事候ハヽ、先年ノれいニはつれたる事成共申上候ハヽ、御かなへ可遣 御諚ニ候、又
対策ヲ問ウ    |  其後與右衛門ニもかたく被仰渡候、か様ニ 御諚御座候間、 如何可有や、然共、板數百枚在之
         |  ハ、五・六十枚ほとハ町人ニかけ、相残候分ハ、御家中ゟも出シ可申哉とたんかうニ候事、何も
         |  此儀ハ少之儀ニ而候ハヽ、町人ニ可申付候へ共、日用ニ仕候ヘハ、大分之儀ニ而候間、言上可仕
         |  由ニ候事
         |一、大安寺家御作ニむき申候由、被申上候ニ付、河田・林ニ被申渡候事
         |        (鹿毛)
中津ノ四白鹿毛ノ |一、中津御馬四白かけ御用ニ不立候間、たれニ成共可被下旨、被仰出候故、牧山へ放可申と候て、中
処分       |  村八右衛門ゟ河口九兵衛所へ、書状遣候返事只今参候、得御意候て、やかて左右可申之由候事
         |

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