津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■細川小倉藩(80)寛永元年・日帳

2019-11-20 18:53:12 | 細川小倉藩

   (寛永元年八月)廿一・廿二・廿三日

         |                          
         |     廿一日   両詰 晴天 
         |
         |一、国友半右衛門与之御鉄炮衆末信又右衛門、昨日病死之由、申上候事
中津ヨリ人戻シ  |一、中津御奉行衆ゟ書状参候、規矩郡石原町甚兵衛と御百性之娘人戻ニ、中津御領ニ参候へ共、理立
         |  候て、又甚兵衛所へ御返候間、請人取人被指越候へとの儀ニ候、則上田忠左衛門ニ可申渡之由候
         |  て、呼ニ被遣候事
         |一、御奉行衆も今日ハ江戸へ状共被認候ニ付、万かまひ不被申候事
         |

         |                          
         |     廿二日   両人詰 天気曇 
         |  (沼田延元)                                            (鏡)
         |一、勘解由殿・志加左衛門ゟ、大坂迄御舟ニ人を壱人御のせ候て可被下之由申来、則善右衛門ニ被申
         |  渡候事
         |一、御船頭重田吉左衛門・宮毛清介大坂ゟ罷下候、樋口淡路所ゟ、御奉行衆やかて可罷下候へ共、女
         |  房相果候■故、延引仕候由申越候事、
船拵奉行之算用  |一、入江勘三郎・元田長兵衛登城、主手前ニ居申候手伝、今度江戸へ被遣候へ共、名代を立遣申、其
         |  身ハ御さん用可仕由申ニ付、其分ニ申渡候事
         |                   (寒田、築城郡)
寒田牧山ノ馬   |一、沢村大学殿ゟ江戸ヘノ言上御上ケ候、又沢田山ノ御馬無事ニ御座候由、百性参申候、今月十七日
山犬打      |  夜、山犬出申を、百性てつほううちかけ申候へ共、藪深御座候て、見うしなひ申候、玉くすり被
         |               (由脱)
         |  遣候て、うち候やうニ被仰付候御申候
         |一、鏡善右衛門登城、樋口あわち女はう大坂ニ而相果申候由、被申候事
大阪詰鉄炮足軽帰 |一、大坂ニ残御鉄炮衆住江武右衛門与・井門亀介与四十八人、御あら仕子四人罷下申候事
着ス       |
         |一、熊谷平左衛門替ニ、杉山藤兵衛明日参候由候て、登城被申候、田川知行へ参候て、それゟ直ニ中
         |  津へ可参之由之事
速見郡奉行豊後府 |一、符内之様子書付候て、宇野七右衛門被上候を、江戸は進上申之由、御奉行衆被申候事
内ノ様子ヲ報ズ  |
         | (松平忠直)                                  (丸カ)
松平忠直家臣人数 |一、宰相様衆跡ニ被残衆花井藤兵衛父子・垣野間父子・遠藤勘介・九岡源五・大宮左門・近松理右衛
         |  門以上八人、男女ニかけて弐十人ほと無之由申候、宇野七右衛門被申候事
         |一、御供替衆京吉田ニ逗留候日数出入、五日ニ究候事
出家帰洛船中賄ノ |一、御出家衆御上候時、船中奉行ニ被遣候津田左兵衛・内藤喜兵衛罷下候、兵左衛門・七郎左衛門ハ
奉行       |  京ゟ直ニ御茶つほヲ持せ、江戸へ参候由候事
唐人       |一、市尾作内・間太郎助、今夕出船候事、其外ニ御鉄炮衆二人、唐人弐人相添、参候
女出判      |一、宰川忠介女他国へ出候、御印取ニ江戸被上候事
         |

         |                          
         |     廿三日   両人詰 晴天也 
         |
         |一、市尾作内・間太郎助江戸へ今朝出舟、言上を調、昨日七つ時ニ相渡シ申候事
         |                    (仁)
         |一、出川惣左衛門二三日以前に相果被申候、吉保・川喜多物語也、但、太郎左衛門□□□□□□
         |  〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃
         |  (松井興長)
松井興長風呂ノ振 |一、式ア殿へ、九つ過ゟ御振舞ニ参候、松之丸ニ毎日相詰候衆之分不残御よひ、風呂へ御入候て、晩
舞        |  ニ御振舞之事、
                          |  
 
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■細川小倉藩(79)寛永元年・日帳

2019-11-20 06:45:44 | 細川小倉藩

                         (寛永元年八月)廿日

         |                          
         |     廿日   両人詰 晴天 
         | (寒田、築城郡)(苅田、京都郡)                        (坂井)
寒田山苅田山ノ牧 |一、沢田山・かん田山牧ノ御馬、子うみ申候間、見せニ遣候へと、忠三郎被申付候事
ノ駒見分     |                               (沼田延元)細川藤孝室・麝香の兄・清延の嫡子
沼田延元没    |一、京之長老衆送上候岡田茂兵衛登城、御出家衆無事御上着之由候、長岡勘解由殿去十三日二遠行之
         |  由候事 
茶壷江戸へ運送  |一、右ノ御奉行ニ参候小林兵右衛門・沢田七郎左衛門儀が御茶つほ参せ、京ゟ江戸へ参たる由候事
         |一、式ア殿御登城、住江武右衛門跡ノ人数書立えを御持参にて、御奉行衆いかゝと御談合、其内御用御
         |       (米田是友)(矢野)
         |  座候とて、甚左衛門・助二郎を御のけ候間、■意之儀ハ不存候事        ■=己の下に十
         |        (佐藤)  (春木)    
         |    御金山ゟ安右衛門・與吉被罷出、談合之事
山頭下山出国ヲ求 |一、山頭味方茂左衛門・岩見少助両人共ニ、おいニ堀子とも付ケ、御金山ニ残置、其身ハ妻子を召
ム        |  連、何方へも参度と申候、惣別右両人はよき事ハすくなく候て、悪敷事多候事間、安右衛門・
他国銀山好況ノ風 |  與吉も被申候ニ付而、切手を遣、被■出候へと談合究候、他国銀山能由、此節風聞御座候、左
聞        |  候ハヽ、ぬけて可参候、左様之者ハ重而御国へ参候哉との儀ニ候、是又何と留候而も、他国山
帰国ノ容易ナルヲ |                                      
慮リ出国ヲ許ス  |  他国之山悪時ハ、何時も御国へ為可参候間、出したるか可然之由談合究候、其少介おい・茂左
         |           おい
         |  衛門〇も同前ニ召連参度候ハヽ、両人次第と可申渡由ニ候事
         |
呼野採銅所ノ米価 |一、呼野・採銅所御米直段三升五合宛ニ而、此節ハ小倉も六升も其上も仕候間、御金山ノ米之直も
ヲ下グ      |  少さけ候て可然之由にて、四升宛ニ成候
         |
         |  先日
         |一、山頭清右衛門・五郎右衛門被参候時、山頭共ニ何そ申上度儀とも候ハヽ、書付上ケ候へと被申
         |  〃〃
山師借米願    |  渡ニ付而、書物共符を付ケ、安右衛門持参候、一ノ坂ノ助右衛門・本山ノ喜右衛門両人連判ニ
借米ニテ間歩開鑿 |  而、御米三十石一度ニ御かし被成候ハヽ、間歩を仕度之由申候、両人ノ外ニも右同前ノ由候、
ヲ願ウ      |  左候て、右ノ御米を利なしニ、来年八月ニ被召上候様にと申上候へとも、先安右衛門・與吉被
         |  罷帰候て、間ふ所をも被尋、様子をも具ニ被聞届候て、重而ノ談合ニ可仕候て、不相済候事、
         |      宗兵衛
山頭人妻ト走ル  |一、採銅山頭忠左衛門と申者、人ノ女房召連、走り申之由候事
         |      〃〃〃〃
         |     以上
         |        (野田) (渡辺)
新銭鋳造奉行出立 |一、新銭鋳申奉行喜兵衛・清兵衛両人共ニ今日参候て、登城仕候ニ付、本銭、又銭屋書物共被渡、
本銭ヲ渡ス    |  口上之儀とも具ニ被申渡候事
         |      元わ
金山奉行春木與吉 |一、春木與吉〇先年江戸御供ニ可被召連と候て、惣並ニ造作料請候処ニ、銀山を仕立候へと 御諚に
ノ出府供造作料ノ |          (沢村吉重)
始末       |  て不召連候、其後沢大学殿を以申上候ハ、造作をうけ取候へ共、容易旁仕候、其上時分ニもまふ
         |  を一つ仕度と申上候ヘハ、其分ニ可仕ノ由被 仰出候、それニ付、與吉江戸へ参候時も、そうさ
         |                                  (甚丞)
         |  れう少もうけ取不申候、番方ゟノ算用ニ、右ノ銀子書出候間、いかゝと豊岡申候ニ付、右ノ様子
         |  與吉御奉行衆へ申候、冣前之儀大学殿存之儀ニ候間、彼方ゟ如此之御諚ニ候間、其分ニ被仕候へ
         |  と、差帋を取候而可然之由ニ候、與吉ゟ大学ニ申かね候間、 御奉行衆ゟ可申之由ニ談合相究候
         |  事
         |一、野田作庵大坂ゟ罷下候事
大橋板ハ番方ニテ |一、大橋之板、弥御番方斗ゟ可仕と、式ア殿・民ア殿泰勝院殿ニ而被仰候事
出ス       |
         |  (破)
明寰調薬拒否   |一、不波忠左衛門内與七薬之儀、ミんくハん所へ取被遣候ヘハ、ミんくわん申候ハ、我等手柄にハ成
         |  間敷之由申候ニ付、余之薬師ニ可被申付之由候事
         |           細川幽齋娘伊也女           
         |一、岡田茂左衛門舟ニ、田中又介殿御袋同道候て御下候事         参考 又介室は忠興・伊也の妹・千
入米法度之触廻達 |一、他国ゟ入米御法度之ふれ状持廻り候御小人罷帰候事
         |
 
 
 
細川家・田中(長束氏)家相関図
         
+---- 細川忠興
|    吉田兼治
|        ‖ -----+---兼英 兼治家督
+---- 細川伊也  |
|           +---萩原右衛門督兼従
|           | 
|           +---愛宕山福壽院住持幸賢法印
|         |
|           |  長束大蔵正家
|           +---●・田中半左衛門室----又助・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・細川家臣田中氏  
|           |                                    ‖ 
+ ----------------------------------------------- 
          |
          | 阿野中納言実顕 キントミ   キンナリ
          |    ‖----------公福==公業---実藤(生母・木下勝俊女)
          +---●・ ミツ       (公業は公福弟)
          |
          +---●・船橋従二位秀相室---相賢==経賢
          |
          +---●・たま 小笠原備前長元室・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・細川家臣小笠原氏
          |         ガラシャ夫人殉死小笠原少斎嫡子
          |
          +---●・清田石見室・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・細川家臣清田氏 
      
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