津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■爺様が頭を悩ませること

2020-06-02 08:54:19 | 徒然

 私が使っているドメイン shinshindoh.com の使用期限が近づいている。
このドメインは私の「姓」と興味津々の「津々」から名付けたものだが、このサイトを開設したのが2003年8月だから、その年の6月に契約したことになる。
一年ごとに契約更新をしているが、べつにケチっている訳でもないが、しかし考えを改めなければならないなと思ったりしている。
つまり、私が倒れたりして、またうっかりして契約更新が出来ないようになると、このサイトは地上から消え去るということになる。
そこで保険的契約をして、なんとか地上に残したいと考え始めた。まずは10年契約はどうだろうか。
88歳まではOKということになるが、ひょっとすると私自身が地上からおさらばして、サイトが幽霊状態になって、新しい書き込みのないものが漂っている可能性もある。
これも気持ち悪いなあとも思うし、大いに頭をなやませることである。
また、掲示板などを設置して、爺がいないサイトが生き続ければありがたいな~と思ったりもする。如何。

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■細川小倉藩(249)寛永五年・日帳(二月十一日)

2020-06-02 06:20:33 | 細川小倉藩

                      (寛永五年正二月)十一日 

         |
         |    十一日
         |
中津へ返済銀十四 |一、中津へ御銀拾四貫五百目、井田小兵衛持せ被参候、去春、元三拾貫目被成御借用ノ御返上銀、払
貫五百目     |  残也、
長崎へ沙穀米買入 |一、国遠道倫奉にて、長崎へ為御飛脚御小人弐人遣被申候、さんごべいと申ものを取ニ被遣通被申
蘭        |  候、若右さんごべい無之候ハヽ、蘭を調可参由被申候、右御買物之様子ハ、白井太左衛門方へ
         |  道倫・白井兵助両人にて申遣由也、
         |          (中)久盛
中川久盛へ鶴ヲ贈 |一、今橋三右衛門、内川内膳様へ靏壱つ持せ被遣候、御小袖壱つ・かわはかま壱下被下由被申候、
ル    使者ニ |                                 〃  
小袖革袴ヲ給サル |  同御内中川加賀守へ御馬壱疋被遣候、御中間三人付参候ニ、壱人ニ弐歩判壱つ宛被給候由、被申
         |  候事                                  〃
         |               めん
あんめんどノ種子 |一、あん〇ど廿粒、甚介ニうへさえ可申旨、道倫奉ニて被持出置候を、則上林甚介ニ渡申候、うへ様
         |  ハ道倫ニ可被尋由、申渡候事、
三斎へ音信    |一、明日 三斎様へ為御音信、ねりさげとくり壱つ、ミかん一籠・つるしかき一箱・あわひ・さゝい
練酒蜜柑吊柿鮑栄 |  (髭 籠)          (規矩郡)
螺        |  ひけこ壱つ、今一色、椎田にて真鍋小左衛門被調、上筈也、
         |                                           (大里、規矩郡)
宇佐ヨリノ小廻ノ |一、宇佐郡住江ノ三郎右衛門舟ニ、小廻之御米百五十石、又頼母殿米五十石つミまわし申候とて、内
米舟難破     |  裏の沖にて、瀬ニのりかけ、加子・船頭ハはし舟ニのり、あかり申候、此段兵介所へ申来ニ付、
         |  御城へも注進被申候、其後内裏のおきあいの嶋・もつれ嶋ゟ、海上小船を出シ、尋させ見候へと
         |                    (蓋井嶋、長門豊浦郡)
         |  も、舟も御米をも見え不申候、然処、中国ふたおいと申所ゟ、商人参候而申候ハ、かのふたおい
         |          (舵)
漂着物      |  ニ、ほはしら其外かち木なとのやうなるものなかれより申由、申ニ付而、水橋五郎助を申付、見
帆柱舵木等小道具 |  せニ遣申候処ニ、かの舟ニ極申候、ほしはしら・かち木、其外小道具共あかり申候を、所のもの

         |                   〃
         |  取上、上おゝいをしておき申候由、五郎介申候事、
三斎椎田ニ泊鷹野 |一、三斎様、明日椎田まて御泊鷹野ニ被成御座ニ付而、為御使者真鍋小左衛門被進之、此方ゟ持せ被
鷹野見舞ノ肴ノ調 |  進之御音信物之外ニ、椎田にて何にても肴をとらせ、同前ニ差上可申旨、 御意ニ付、肴とらせ
進ヲ浦奉行ニ命ズ |  可被申段、御浦奉行百留忠左衛門ニ申渡候事、
梨壺蜜柑竹筒ヲ埋 |一、なし壱つほ・ミかん竹筒壱つ、何も口をしつくいニてぬり、土ニいけさせ可申旨、道倫奉、則
シム  口ヲ漆喰 |  梅松軒預ノなし・ミつかんを右ノ分こしらへさせ、小堀長左衛門ニ渡させ申候事、
ニテ固ム     |
         |
国東郡代官両名へ |一、後藤定林・恵良半右衛門、両人をよひ、何やらん被 仰付候、様子は不存候、不入儀ニ候へ共、
何やらんヲ命ズ  |  幾日之儀なとニ在之儀候ヘハと存、如此候事、
         |

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 付足し:
    今回の記事のトップに「中津へ御銀拾四貫五百目」とあり、「元三拾貫目被成御借用ノ御返上銀」とある。
細川小倉藩(235)寛永五年・日帳(正月廿一日)にも同様の記事があり「廿貫」を返済している。銀廿貫めで少々解説した。

これに準じると今回の14.5貫目は 19,285,000円ということになる。
今回の記事には「元30貫」とあり、正月廿一日に20貫目、今回14,5貫目で合計34.5貫目を返済しており、4.5貫目が利息であることが判る。
借り入れたのは「去春」とあり詳細な日にちが判らないが、約一年程のことであろう。
30貫に対して4.5貫の利息は15%である。この時代の借銀の利息は大変高利である。
「銀廿貫め」でも「藩主忠利との親子の関係ではなく、藩と中津様のビジネス」と書いたが、それでも少々納得がいかない。
  

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