三密状態を避けるためにこんな状態ですが、後ろの方も満席でした。
熊本は昨日までは洪水注意報が発令されるほどの激しい降りがあったが、今日は良い天気になった。
4・5月例会を取りやめたため会員の方とは三か月ぶりの再会、そして一般入場者も多くあっての盛会となった。
今回は佐々成政研究会の会員で熊本佐々家(干城系)の佐々瑞雄氏をお招きして、「肥後国主佐々成政が遺したもの‐越中の覇者・肥後の失政」をお聞きした。
佐々成政の熊本の治世はわずか一年余である。成政の入国により検地が行われ、これに対して在地の国衆が蜂起して戦いとなった。
巷間伝えられるいろいろな資料の信ぴょう性が疑われているが、肥後に於ける国衆の一揆の勃発が、秀吉をして成政の命を奪う口実となった。
国主として高い教養と見識をもった成政が、熊本に於いては本当の実力が発揮されないままの無念の死であった。
この一揆をきっかけとして秀吉の九州征伐の為の大軍をして、九州が一気に平定したことは大変皮肉な事ではある。
熊本人として、成政の人となりを勉強する良い機会となった。
水戸家家臣・佐々助三郎や、明治の三兄弟(干城・友房・正之)の活躍など、お聞きしたい話は沢山あるが、又の機会にお聞きすることにして閉会した。