今年もサボテンが花を付けました。昨日から今日にかけての熊本は凄い風雨に見舞われて、サボテンも室内に入れて開花を待ちました。
開く瞬間は見ることができませんでしたが、昨晩の内に開き始めました。
淡い奇麗な色に癒されます。双子で余りのも近くにさいて花が重なり合っています。今日いっぱいのはかない命です。
(寛永五年正三月)十六日
|
| 十六日
|
| (吉田)
池田忠雄使者舟ニ |一、松平宮内様ゟ御使者被参候由、少右衛門被申候、宿を申付候へ共、舟ニ居か申由ニて、上り不被
滞在ス | (沢村吉重)
| 由申候、御進物其外ハ、大学殿を以披露可仕由、申之通ニ候事、
|
沢村大学は寛永初頭、三斎の御機嫌を損じて出国している。
出国先の備前岡山藩主「松平宮内殿御詫言」により忠利により召返されのは寛永二年八月十八日である。(忠利書状)
今回の使者の対応も大学と池田忠雄の近しい関係が見て取れる。
それより以降三斎には面談が許されず、寛永二十年に光尚に提出した「起請文」には、三斎に対する恨み言が書かれている。
これ以降三斎に面談するのは、三斎の死の直前である。
|
松井少吉知行物成 |一、松井少吉、寛四分知行物成残米過相渡との御書付、今日出申候を、写候て、新兵衛・伝介ニ渡申
残米 | 候事
|一、野田権兵衛煩よく候て、罷出候事、
上野勘平天守米賜 |一、上野勘平、御天主米廿石拝領被仕候事、
与サル |
| (定林院)
後藤定林院国東郡 |一、後藤定林、国東郡先御代官所之儀ニ付而、御せんさく之儀有之ニ付而、今日蒲田次左衛門処へよ
代官在任中ノ詮索 | ひよせ、次左衛門奥村少兵衛を使にて、刀・わきさしを出させ、しちへやニ入申候、定林せかれ
刀脇差取上ゲ質部 | 左平次と申もの、志水安左衛門所へ見廻ニ参居候を、則安右衛門ニ預り状をさせ、被成御預候、
屋入リ 請人ノ袋 | 預り状ハ、万証拠ニ成書物入候段ニ、請人と申袋有之ニ入置候也、
|一、松平内宮
| 〃〃〃〃
池田忠雄使者ニ給 |一、松平宮内様ゟノ御使者ニ、御小袖壱つ・御道服壱つ被遣候事、
与ノ品 |
国東郡前代官恵良 |一、恵良半右衛門儀も、定林同前ニ被 召籠候、加藤新兵衛所へよひ、刀・わきさしを取申候事、
半右衛門質部屋入 |
刀脇差ヲ取上ゲ |
山田喜斎三斎ノ命 |一、山田喜斎、夜前中津ゟ爰元へ被参候、中津ヘハ昨朝下着被申候、佐藤伝右衛門煩之儀ニ付而、喜
| 中津ゟ
ニヨリ佐藤伝右衛 | 斎此方へ 三斎様被進之、又今日中津へ被参候事、
門ヲ診療ス | 〃〃〃
| (烏丸光賢室、三斎女) (三淵之直)
烏丸万書状 |一、山田喜斎彼罷下候ニ、 御万様ゟ之 御文・円光寺ゟノ御状被持下候を、左膳殿を以 御前へ上
| 申候事、