(寛永五年正三月)十~十一日
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| 十日
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| 御弓二拾挺頭 千石
|一、神西與三右衛門今日出船被仕候事、
| (長沢顕長室、沼田清延女)
船頭請書 |一、いよ殿ゟ、そうしゅいん様へしふかミ包大小弐つ、上せ被申候、内ニ銀子御座候由候、大坂ニ
| (宗珠院)
| 慥
| て、寺嶋主水殿へ〇相渡可申候、
| 大阪銅物奉行 二百五十石 御船頭 (黒印)
請取 | 石川彦右衛門〇
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| 中津郡奉行・百五十石 (新兵衛)(栗野伝介) (彦進)(甚丞)
郡奉行中津郡残米 |一、蓑田甚丞、京都郡・中津郡残米之書付持参被仕候、御蔵納肩ハ加藤・栗、御借米方ハ松本・豊岡
ノ書付持参 | へ可被相渡由、申渡候事、
忠利木屋善賀邸ニ |一、今朝ハ木屋善賀へ被成 御成候事、
臨ム |
豊後横目へ音信鰤 |一、豊後御横目衆へ被遣御小人四人罷帰候、御音信ハぶり也、
銀屋彦丞六人扶持 |一、銀屋彦丞ニ、御扶持方六人分被下候、則御礼申上候事、
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| 十一日
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| (寒田、築城郡) (沢村吉重)
帰参百姓ノ有付方 |一、沢田村帰参百性之儀ニ付而、大学殿百性罷出候、大学殿ゟ使者被相添、被差上候、大学殿百性之
| 進瑠偉ニ相究申候ニ付、大学殿知行所ニ有付申候様ニと、申渡候事、
| (衍)
肥前ニ釉薬ヲ求ム |一、肥前へ、石薬取ニ被遣ニ付而、石薬見知たるもの可遣旨、被 仰出ニ付、問井太郎介ニ様子相
上野ノ焼物シタル | (田川郡)上野焼?
唐人又介 | 尋候処ニ、前廉肥前にてやきもの仕たる唐人、上野ニ居申候、是を加被遣通、冣前申上候、彼被
| 遣唐人ハ少三郎親又助と申ものニ、太郎介申合置候由被申候事、
釉薬五十石積ノ船 |一、右ノ石薬つミニ被遣御舟ハ、五十石つミ申御舟可然由、太郎介被申候、
京都郡鷹部屋ノ修 |一、横田権佐与渡辺太兵衛、京都郡鷹へや繕ノ奉行ニ遣候事、
繕 |
|一、唐沢長介、此中中津へ親煩ニ付参候、昨日罷帰由、生源寺市兵衛被申候事、
|一、中川佐左衛門方、此中長崎へ御暇申被参、今日罷帰由ニ而、登城被仕候事、
欅門番普請ナル者 |一、けやき御門番野村左源次・中村源右衛門、両人当番ニ而御座候処、ふしんなるもの壱人参候ニ
ヲ捕ウ | (ママ、以下同、弘光)
深野二郎左内ノ者 | 付、とらへ、たつね候ヘハ、去年深野二郎右衛門所ニい申たるものゝ由申候、何とて御城へ参候
| 哉と、申候ヘハ、二郎右衛門内勘介・二郎作二作町人と咄可申と存、参由申候事、
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不審者ノ挙動 |一、右御門番衆改出様ハ、御門をはい入、つる/\ととをり申候、たれの内ノもの二て候哉、何ノ用
門ヲ這入ル | ニ通り候哉と申候ヘハ、いやと申候て出申候を、とらへ申由申候事、
| 田川郡奉行・二百石 (新兵衛)(栗野) (松本)(豊岡)
田川郡蔵納方借米 |一、釘本半左衛門、田川御蔵納方御借米方残米之書付持参被仕候、新兵衛・伝介・彦進・甚丞へ可被
方残米ノ書付 | 相渡由申候事、
| 祖父幽齋菩提寺・小倉北区馬借一丁目4番、現在ブックセンタークエスト
忠利泰勝院へ参ル |一、泰勝院へ被成御座、夜ニ入、被成 御帰城候事、