(寛永五年正四月)六日~八日
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| 六日
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| (古保、松井興長室、三斎女) (南条元信室、細川興秋女)
忠利東茶屋ニテ古 |一、今日は、ひかしの御茶屋にて、御こほ様、御かね様、おなへ様被成御振舞候事
保かね鍋三人ニ振 | (筑紫重門室、細川幸隆女)
舞ウ |
南条元信
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+-----興秋---------なべ
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| 松井興長
| ‖
+-----こほ
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+----三齋忠興-----+----忠利
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| +---- 万
| ‖
| 烏丸光賢
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+------- 幸隆 ---------- かね
‖
筑紫重門
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佐藤久右衛門発狂 |一、宇佐郡之御郡奉行衆ゟ被申越候ハ、佐藤久右衛門尉狂気被仕、昨日女房衆と下女壱人さしころし
刃傷放火シ切腹ス | 被申候、又主小者壱人・魚住木工百性之小者壱人つき被申、手負居申由候、其身ハ家ニ火をか
| け、腹をきり被相果候、子供両人ハおもてにふせり居、火事出来と心得、はしり出候ニ付、何事
| も無之由、被申越候事、
| (金太夫)(吉右衛門)
金山ノ様子ヲ奉行 |一、小山之様子尋ニ、春木・沢治所へ之状、上林甚介与之新介ニ持せ遣候事、
ニ尋ヌ |
|一、上方ゟ御小早下り申候、御船頭は福嶋八兵衛也、先度大坂御普請ニ、被成御上せ候御年寄衆へ
忠利東花畠ニアリ | 御書被成候、其御請持下申由、被申候事、右之御請とも、ひかしの御花畠ニ被成御座候ニ、すく
| ニ持参仕由申候事、
長崎へ蜜蜂請取ノ |一、岡田■茂兵衛、長崎へ明日ミつばち取ニ被遣候、罷戻候時、海上二日参候へとの儀ニ御座候由、
帰路ヲ急ガシム | 被申候、成ほと急キ可被申由、申候事、
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| 七日
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| (塩田)
佐野某捕縛町籠ニ |一、佐野九兵衛と申もの、浜助ニとらへさせ、町籠ニ入置候事、
入牢 |
忠利佩刀ノ鑑定ニ |一、御腰物御わきさし・御太刀ノ身調ニ、竹や喜兵衛被遣候、御横目ニ宮部権三郎可被遣候との 御
竹屋ヲ遣ス | 意之由、喜兵衛申候、則権三郎をよひ、申渡候事
| (恵重)(豊後速見郡)
木下延俊ヘノ使者 |一、先度、志水新丞日出へ御使者ニ被遣候時、日出にて小袖壱つ拝領仕由、被申候事、
大工脇差ヲ進上ス |一、大工之新兵衛上申候わきさし、今日熊谷九郎兵衛を以、 御前へ上申候、わきさし上申子細、則
ソノ理由ヲ尋ヌ | 九郎兵衛を新兵衛やとへ被遣、被成 御尋候事、
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| 八日
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宇佐善光寺ノ茶屋 |一、上野文左衛門、うさ善光寺の御茶屋繕仕廻、罷帰由にて、登城仕候事、
修繕完了 |
佐野某捕縛ノ様子 |一、佐野九兵衛をとらへ申候時ハ、先兵助取付申候処ヲ、田辺作介左ノ手ニ取付由、其後松岡久左衛
| 門与之池部七兵衛と正斎と取付申候、其後上林甚介与之田崎與兵衛取付申候由、田辺作介と池部
| 七兵衛、此両人申候事、
| (北村)
入牢ノ百姓病ニ薬 |一、下毛郡伊原村之弥市煩申ニ付而、御くすしの作雲明日脉ニ被参候、左候而、今晩薬を遣被申候
師派遣 | 事、
佐野某成敗 |一、佐野九兵衛御成敗被 仰付候事、
| 壱歩二つ
買物奉行町ニテ壱 |一、壱歩判弐つ、坂崎一角所ゟ御かり被成候を、則買物奉行町ニ而、〇拾四匁宛ニかい候而、上ヶ候
歩判買入ノ価 | を、御銀奉行ニ、徳永市兵衛ニ相渡申候事、
銀奉行 |
| (大里、規矩郡)
忠利大里辺ニ鹿狩 |一、内裏ノわきの山ニ鹿弐つ見こめ有之付、被成 御座候事、
り |
| (烏丸光賢室、三斎女)供之者・御扈従与也「藤」三百石(於豊前小倉御侍帳)
烏丸万ヲ出迎 |一、御万様御迎、小崎四郎左衛門被遣候、下津井ニて、当五日ニ懸 御目、直ニ中津へ御使ニ被遣
| ニ付、中津へ参、中津ゟ罷帰候事、
鹿狩不猟莵ヲ獲ル |一、右分ニ御鹿狩ニ被成御座候へ共、鹿一つも居不申ニ付、被成御帰候、うさき大小三つ、被成御取
| 候事、
| (宇治屋) 小倉北区馬借一丁目4番、
宇治屋茶助歿ス |一、うちや茶介今夜相果申由、上林甚介申来候事、但、茶介つね/\泰岩寺たんなの由ニ而参候つる
泰厳寺 | 間、右之寺へ、桶ニ入、可遣由申候、又茶介銀子少在之通、やしないむすこ申候間、是も相当可
| 遣由申候、其分可然由申候事、
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