津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■昭和28年水害の写真

2020-06-29 09:01:04 | 古写真

 史談会の若い友人中村君は師匠ともいうべきDr高田先生の遺品の整理に力を尽くしている。
数万枚ともいわれる写真やネガもその中の一部だが、今となっては貴重な史料だ。
その中から昭和28年当時の水害の写真を送ってくれた。
Drのクリニック兼住居は、通称「歩小路」、現在の南坪井4丁目にあったが、昭和28年当時どこにお住まいであったかは承知していない。
                  久留米大学の医学生でたまたま帰省中だったらしい。(24歳)
この当時は高校生ではなかったかと思われる。上の写真には橋の上を路面電車が走っているのが見える。大甲橋だ。
だとすると、手前の橋は安政橋だろう。
上流側から撮影すると、大甲橋を奥にしてこのように至近に橋が重なって写ることはあり得ないから、下流側から撮影されている。
また上の写真の下に見える建物は、下の写真の上の方に写し込まれていて写真が縦方向に繋がっていることが判る。
そして安政橋は流失しているから、大水害直前の撮影であろう。撮影場所はこれも流失した銀座橋の上からだろう。

白川の河川敷には当時この様なバラックが多く建てられていたが、これらも全て押し流された事は間違いない。
終戦から8年という時期、それぞれが必死に生きていたころ、自然は無情にも大きな試練を与えた。

私と同じくらいの子供たちの姿が見える。自分の姿を見る思いだ。無事で有ったろうか。
カンナの花が咲いている・・・・・暗くて淋しい見ていて辛くなる風景だ。

                

                

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■細川小倉藩(277)寛永五年・日帳(四月六日~八日)

2020-06-29 08:30:56 | 細川小倉藩

                      (寛永五年正四月)六日~八日 

         |
         |    六日         
         |
         |               古保、松井興長室、三斎女)    (南条元信室、細川興秋女
忠利東茶屋ニテ古 |一、今日は、ひかしの御茶屋にて、御こほ様、御かね様、おなへ様被成御振舞候事
保かね鍋三人ニ振 |                     筑紫重門室、細川幸隆女
舞ウ       |
                                                                            南条元信
                                    ‖
                                                +-----興秋---------なべ
                           |
                           | 松井興長
                           |  ‖
                           +-----こほ
                           |
                  +----三齋忠興-----+----忠利
                  |        |
                  |        +---- 
                  |           ‖
                  |          烏丸光賢
                  |
                  +-------  幸隆 ---------- かね
                              ‖
                             筑紫重門
         |
佐藤久右衛門発狂 |一、宇佐郡之御郡奉行衆ゟ被申越候ハ、佐藤久右衛門尉狂気被仕、昨日女房衆と下女壱人さしころし
刃傷放火シ切腹ス |  被申候、又主小者壱人・魚住木工百性之小者壱人つき被申、手負居申由候、其身ハ家ニ火をか
         |  け、腹をきり被相果候、子供両人ハおもてにふせり居、火事出来と心得、はしり出候ニ付、何事
         |  も無之由、被申越候事、
         |         (金太夫)(吉右衛門)
金山ノ様子ヲ奉行 |一、小山之様子尋ニ、春木・沢治所へ之状、上林甚介与之新介ニ持せ遣候事、
ニ尋ヌ      |
         |一、上方ゟ御小早下り申候、御船頭は福嶋八兵衛也、先度大坂御普請ニ、被成御上せ候御年寄衆へ
忠利東花畠ニアリ |  御書被成候、其御請持下申由、被申候事、右之御請とも、ひかしの御花畠ニ被成御座候ニ、すく
         |  ニ持参仕由申候事、
長崎へ蜜蜂請取ノ |一、岡田■茂兵衛、長崎へ明日ミつばち取ニ被遣候、罷戻候時、海上二日参候へとの儀ニ御座候由、
帰路ヲ急ガシム  |  被申候、成ほと急キ可被申由、申候事、
         |

         |
         |    七日         
         |
         |             (塩田)
佐野某捕縛町籠ニ |一、佐野九兵衛と申もの、浜助ニとらへさせ、町籠ニ入置候事、
入牢       |
忠利佩刀ノ鑑定ニ |一、御腰物御わきさし・御太刀ノ身調ニ、竹や喜兵衛被遣候、御横目ニ宮部権三郎可被遣候との 御
竹屋ヲ遣ス    |  意之由、喜兵衛申候、則権三郎をよひ、申渡候事
         |      (恵重)(豊後速見郡)
木下延俊ヘノ使者 |一、先度、志水新丞日出へ御使者ニ被遣候時、日出にて小袖壱つ拝領仕由、被申候事、
大工脇差ヲ進上ス |一、大工之新兵衛上申候わきさし、今日熊谷九郎兵衛を以、 御前へ上申候、わきさし上申子細、則
ソノ理由ヲ尋ヌ  |  九郎兵衛を新兵衛やとへ被遣、被成 御尋候事、
         |

         |
         |    八日         
         |
宇佐善光寺ノ茶屋 |一、上野文左衛門、うさ善光寺の御茶屋繕仕廻、罷帰由にて、登城仕候事、
修繕完了     |
佐野某捕縛ノ様子 |一、佐野九兵衛をとらへ申候時ハ、先兵助取付申候処ヲ、田辺作介左ノ手ニ取付由、其後松岡久左衛
         |  門与之池部七兵衛と正斎と取付申候、其後上林甚介与之田崎與兵衛取付申候由、田辺作介と池部
         |  七兵衛、此両人申候事、
         |                      (北村)
入牢ノ百姓病ニ薬 |一、下毛郡伊原村之弥市煩申ニ付而、御くすしの作雲明日脉ニ被参候、左候而、今晩薬を遣被申候
師派遣      |  事、
佐野某成敗    |一、佐野九兵衛御成敗被 仰付候事、
         |                               壱歩二つ
買物奉行町ニテ壱 |一、壱歩判弐つ、坂崎一角所ゟ御かり被成候を、則買物奉行町ニ而、〇拾四匁宛ニかい候而、上ヶ候
歩判買入ノ価   |  を、御銀奉行ニ、徳永市兵衛ニ相渡申候事、
銀奉行      |
         |  (大里、規矩郡)
忠利大里辺ニ鹿狩 |一、内裏ノわきの山ニ鹿弐つ見こめ有之付、被成 御座候事、
り        |
         | 烏丸光賢室、三斎女供之者・御扈従与也「藤」三百石(於豊前小倉御侍帳)
烏丸万ヲ出迎   |一、御様御迎、小崎四郎左衛門被遣候、下津井ニて、当五日ニ懸 御目、直ニ中津へ御使ニ被遣
         |  ニ付、中津へ参、中津ゟ罷帰候事、
鹿狩不猟莵ヲ獲ル |一、右分ニ御鹿狩ニ被成御座候へ共、鹿一つも居不申ニ付、被成御帰候、うさき大小三つ、被成御取
         |  候事、
         |   (宇治屋)                                         小倉北区馬借一丁目4番、
宇治屋茶助歿ス  |一、うちや茶介今夜相果申由、上林甚介申来候事、但、茶介つね/\泰岩寺たんなの由ニ而参候つる
泰厳寺      |  間、右之寺へ、桶ニ入、可遣由申候、又茶介銀子少在之通、やしないむすこ申候間、是も相当可
         |  遣由申候、其分可然由申候事、
         |

                

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■志方半兵衛言上之覚・釈文‐ 36(原文42分)

2020-06-29 06:34:48 | 史料

42           一大坂ゟ左門殿忰御下候を伊豆殿被仰候ハ百生
           と申候ても身を捨たる物ニて城をもこしらへ
           居申候を不見して是ゟ之御差圖御無用
           御着之上見及御談合ニて可然様ニ可被仰付
           と被仰候へ共左門殿忰を御下候由申候事
          一左門殿爰元ニても一くわはして見せたてと
           被仰せ候へ共伊豆殿被仰候ハ左様ニしてミはた
           多被打候ヘハ異国まて之御外聞如何ニ御座候
           と被仰候由申候 何事ニ而も伊豆殿被仰候に
           遊申由申候事
          一薩广之御人数天草へ壱万五千に而渡り申
           筈之由申候 嶋原へも御人数渡候へとの儀ニ
           御座候は御息式ア大夫殿壱万五千被召連御
           渡海之はすと申候 嶋津下野も上使衆へ之
           御使ニ一両日中ニ嶋原へ着被申由三原左衛門佐
           被申候 左衛門佐 上使衆之前ニて申候ハ薩广ゟ
           打立申候ヘハやらふやらふニて御座候故下知法度を聞
           不申所めいわくの由申ニ付 上使衆も嶋原へ

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