肥後藩の「手永制度」については、1、手永の一覧 2、会所の場所 3、区画図 4、所属する村名などを視覚的・総合的に見る資料がないことに気づいた。
これを確認するためには、いろんな資料をデスクの横に積み上げて確認する必要がある。
厄介なのは手永は時代により数を替えている。他の手永に吸収されたり、分割統合されたりしている。
(1)(2)は昭和36年に熊本近代史会が発効した、森下功氏編「肥後藩手永・惣庄屋一覧」に詳しい。
豊後領を含め16の郡と53の手永が存在する。(空欄になっている所はかって存在したが他の手永などに吸収合併されたものである。
(3)は今村直樹氏の論考「19世紀熊本藩領の地域行政機構と零落管理」に紹介有る、「図1・熊本藩領郡・手永区画図」が良くまとめられており、非常にありがたい。
(4)はこれは「肥後国誌」または熊本近世史料叢書一「肥後国中寺社御家人名附」のお世話にならなければいけないようだ。1,597 に及ぶ膨大な数である。
その地図上の場所については、「明治五年の自然村界」(県北)(中央)(県南)(天草)をひとつひとつ辿らなければならないようだ。(豊後領は除外)
次回から各手永に所属する「村」について触れようと思っている。