津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■志方半兵衛言上之覚・釈文‐ 32(原文38分)

2020-06-15 17:00:28 | 史料

38         分被仰候 其後牧野傳蔵殿林丹波殿ゟ 立允様へ
          御使参候ニも右之分ニ御座候 又其後三人共ニ嶋原
          御渡候ニ御暇乞之御使ニ私を被遣候時もさすか
          三斎様之御子ニて御座候物はやく御座候て天草
          を仕廻嶋原表へ三人共ニ加勢ニ渡候 後日遣度
          存候 嶋原を仕廻罷上申刻ハ肥後之地へ
          渡り上申其節懸御目可被得御意之由
          被成候間江戸上方之御さた一段左様ニて可
          有御座候事
         一よせ衆御陳取まはりニ御座候と最前申候て
          此節ハ城之廻りニ城ゟ間二町三町五町程間
          を置さくをふり廻シ申候 左君お手も昨夜
          切々あい申候 持口ニより丈夫不丈夫御座候而
          次第ニ丈夫ニ仕候へ可申と奉存候 事外きく木を
          山ゟ切出し申候事
         一此度ハ御書頼被遊候 御草臥被為成候間
          被 思召出次第一紙ニ被 遊候間能々敷後
          分参仕御請可仕之由奉得其意候事

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■「小津安二郎の俳句」

2020-06-15 16:20:14 | 書籍・読書

                   著:松岡ひでたか 出版社:河出書房新社 発行年月:2020年03月 キーワード:おずやすじろうのはい...

 コロナ禍の中、鬱陶しい毎日を過ごしていると、読書やPSのキーボードをたたくのにも疲れたし、それかといって芸能人のくだらない所業ばかり取り上げるTVを見るのもうんざりの極みである。
小難しい歴史の本も、これは趣味の範疇だから肩を凝らしながら読んでいるが、何かホッとするようなことはないかと考えてしまう。
楽しく読めそう本はないかとググっていると、この本の「書評」に出くわした。
これなら、二三日は心ゆたかに読書できそうだと購入手続をとった。
ここ数か月「街に出ない」(熊本人は上通・下通り周辺の中心街に出かけることをこう表現する)から、本屋にも随分御無沙汰である。
勢いインターネットでの買い物になるが、一つ・二つ買物を失敗してしまった。
そんなあとでの性懲りもないことだが、これは外れがなさそう・・数日間、到着をまつのも楽しみではある。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■細川小倉藩(263)寛永五年・日帳(三月七~九日)

2020-06-15 06:10:50 | 細川小倉藩

                      (寛永五年正三月)七~九日 

         |
         |    七日
         |
         |一、御乗物かき助五郎女房、年四十四ニ成申由申候也、    
忠利北ノ丸ニテ数 |一、今朝ハ北之御丸にて御数寄被遊候、
寄ヲ催ス     |
         |一、御よこめ玄佐女房、四十七ニ成申由也、         
         |                                 (飯田)
         |一、御小人喜介与久作・茂右衛門弐人、今日江戸へ被遣候、 御書箱壱つ才兵衛被持出候を、相渡遣
         |  候事、
         |一、右弐人乗せ上り候御船頭ハ石井又左衛門也、
         |           (松野親英)(町)
         |一、二月廿七日ノ状、江戸織ア・三右衛門ゟ参候ニ付、右御飛脚被成御遣候、但、江戸ゟ参候飛脚ハ
         |  橋詰兵右衛門・秋吉彦太夫也、
         |                       御扈従与也 三百石
         |一、右之御小早早出船仕候哉、重而御用御座候旨、生嶋平三郎を以被 仰出候、六つ時ゟ以前ニ出
         |  船仕由、小頭喜介申ニ付、はや出船仕由、御請申上候、被成御尋候ハ六つ過、夜ニ入候て之儀
         |  也、
         |一、北ノ御丸ゟ、夜ニ入、六つ過ニ御帰被成候事
         |一、江戸ノ御飛脚橋詰兵右衛門・秋吉彦太夫、御船頭小出惣左衛門舟ニて、大坂ゟ乗下候事
         |一、手嶋一郎右衛門、肥後ゟ被罷帰候事、
         |
                                                                                                                                   小倉城北御丸

                                                                                                           

         |
         |    八日
         |
         |   (立成)御扈従与也・五百七十壱石三斗六升九合
三斎ヨリノ道家立 |一、道家左近右衛門、今朝中津ゟ被罷帰、彼地ニて御小袖・肩衣・袴拝領被仕由、被申し押す籠事、      
成拝領品     |
三斎医師山田喜斎 |一、山田喜斎儀、未下着不仕ニ付、不被進と斗被 仰進段、何とやらんたり不申候、下着次第可被進
ヲ求ム      |  候儀と、 三斎様被思召旨、左近右衛門ニ被 仰進ニ付、被申上候ヘハ、被為得其意旨、道家左
         |  近右衛門ゟ中津へ可申上旨、被 仰出候とて
、書状左近右ゟ遣被申候事、但、次飛脚ニ而遣候
         |  事、
         |       (山田)
         |一、山田久丞、市左衛門知行所へ参度由、被申候、可被参由申候事、
         |  (国東郡)
忠利国東ノ辻仏ノ |一、両子山ノわきの在所ニ、辻仏在之候、其石仏之かさを、次夫ニ而取よせ可申旨、真下七兵衛を
笠ヲ取寄セシム  |  以被 仰出ニ付、岩田喜右衛門を奉行として、国東へ遣候事、御郡奉行衆へも具ニ書状遣候
         |  事、
         |       (御牧郡)
筑前ヨリ親子走来 |一、ちくせん枝光村ゟ、助左衛門と申もの、おやこ三人つれニて走来申候ハ、築城郡寒田ノ中村ニ二
ル        |  右衛門と申もの御座候、右二右衛門ハ助左衛門もこノ由申二付、むこ無紛候ハヽ、被相改、二右
事実ナレバソノ身 |  衛門を可被指出候、助左衛門を渡可申由、沢少兵衛・塩木又丞所へ書状を以申遣候、使ハ岩田喜
ヲ婿ニ渡スヲ築城 |  右衛門国東へ遣候ニ、被遣候事、
郡奉行へ命ズ   |
をらんた縞    |一、田川ゟ、をらんたしま十二端参候を、坂本二兵衛ニ渡候事、
問太郎介へ給与ノ |一、問太郎介ニ、金子壱枚・御道服一つ被下候事、
金品       |

         |
         |    九日
         |
         |  (長之)細川忠利公御書出(寛永拾年九月)八百五十石    馬廻組一番 三百石
盗人ノ処置    |一、小笠原民ア殿御登城ニ而、被仰候ハ、此中田中又介もの盗仕候ニ付、中津へ書状ニ而被仰遣候へ
         |  ハ、かまい無之由申来候、科人之儀如何可仕哉と、被仰候、ともかくも御分別次第ニ候と申候
         |  事、
山岡書鑑折檻サル |一、山岡書鑑 御機嫌をそこなひ申、事外御たゝき被成候、左候て、人しちへやへ被成御入候事、
質部屋ニ拘留中ノ |一、書鑑自分之銀子弐百九十四匁弐分有之を、しちへやニおかせられ候間ハ、此銀子にて賄可申付
賄ヲ自弁セシム  |  旨、 御意之由にて、土佐新太郎・吉山熊介被持出、御銀奉行衆へ被渡候事、
         |

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする