20日の史談会では、佐々成政公のご子孫・佐々瑞雄氏を講師にお迎えして、「肥後国主佐々成政が遺したもの~越中の覇者・肥後の失政~」をお聞きすることにした。
佐々氏とは20代前半から30代前半の10数年、茶道・肥後古流のお稽古を通じての友人である。講演をお願いすると快諾していただいた。
佐々家を語るにはその歴史は広範にわたり、90分の制限した時間では語りつくせない。
佐々氏との打ち合わせの中で「1・佐々成政の事、2・水戸藩士佐々宗純(助三郎)の事、3・明治の三兄弟、(干城・友房・正之)の事が「佐々家の三題噺」だといわれる。
まずは今回は(1)を取り上げようということになった。
私はひそかに(4)として、「徳川家、絵師狩野家に入った成政の子孫」を加えたいと思っている。
このことを詳しく知る人はそう多くはあるまいが、遠藤和子著「家光大奥・中の丸の生涯‐狩野探幽と尽くした徳川太平の世」が詳しい。
一応小説仕立てのさまに思えるが、その所々に引用した記事の出典が記事ごと、頁ごとに記されており、一種研究論文の躰を感じさせる。
534ページに及ぶ大部だが、なかなか面白くて出色である。
つまり、成政女の岳星院の女・鷹司孝子が徳川家光の正室であり、同様養秀院の子が狩野探幽である。
二人は生母(成政女)が異なるが、いとこの間柄である。
成政の最後は大変悲劇的なものがあるが、徳川家および絵師狩野家に多大な足跡を残したのである。
このことを含めて「佐々家四題噺」であろうと思っている。
某ローカル新聞が民家の塀を覆う植物をジャスミンだと報じたら、読者からテイカカズラだろうと突っ込みを受け訂正したという。子供たちがジャスミンだと言っているのをうのみにしたらしい。
私の散歩コースでもこのテイカカズラをよく見かけた。防衛施設局前のつつじの植え込みは、花の盛りが過ぎるころこのテイカカズラの猛攻を受けて、白い花で覆いつくされる。花が終わるころになると今度は先にご紹介した夕顔の花に占領される。不思議な循環が見て取れる。
また、少し離れた飲料大手G飲料の工場跡地ののり面にも、他の植物を席巻してテイカカズラが繁茂していた。
最近は暑さが増してきたのでいきおい木陰を選んで散歩コースとしているが、ケヤキ並木が美しい錦が丘公園の木立の中の夾竹桃が花を付け始めた。夏らしい花だ。
この夾竹桃とテイカカズラ(キョウチクトウ科)は毒を持つ同類らしい。
テイカカズラはカタカナ表記されることが多いが、漢字表記では「定家葛」、由来は謡曲の「定家」である。
ご厚誼頂いているサイト「徒然なか話」でも、「テイカカズラか 離れがたやの・・・」や「定家葛(テイカカズラ)の命運」に取り上げられているが、わが蘊蓄はこちらのサイトから勉強させていただいた。(感謝)
一々、新聞ネタに反応するのも大人げないが、たまたま二つとも散歩途中デジカメで撮影していたので取り上げてみた。
(寛永五年正二月)廿七日~晦日
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| 廿七日
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台所ノ算用 |一、御台所之御算用可承旨、被 仰出ニ付、今日ゟ田内半左衛門尉・星出市左衛門ニ申付、聞せ申候
| 事、
| (浅山)千石・御留守居組・御鉄炮二十五挺頭
浅山修理組ノ鉄炮 |一、修理与ニ召抱候御鉄炮之小頭中嶋忠左衛門尉、今日召寄、与之ものゝ儀きもをいり可申通、申付
小頭任命 | 候事、
| (田中氏次)留守居組・千石(御鉄炮二十五挺頭)
田中氏次組ノ鉄炮 |一、兵庫与之小頭ニ召抱候山村少左衛門も召寄、与之ものゝ儀きもをいりかまいなと無之哉、改可申
小頭任命 | 通、申付候事、
掃除奉行組ノ小頭 |一、上林甚介与之小頭四人、今日めしよせ見申候事、
| (長舟)
三斎へ河口ノ堅海 |一、川口のかたのり、中津へ二籠持せ、昨日被進之処ニ、使今日罷戻候、被成 御満足旨、十右衛
苔進上 | (貴田政時)
| 門・権内方ゟノ奉書、則 御前へ差上申候事、
鷹師等金鍔ノ脇差 |一、浅野但馬様へ御鷹すへ候て、河井権丞・歩之御小姓唐沢長介被遣候、四五日以前ニ罷下候、彼地
小袖ヲ給与サル | にて権丞ハ金つはのわきさし拝領仕候、長介ハ御小袖弐つ拝領仕候由、被申候事、
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| 廿八日
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忠利波多中庵邸ニ |一、今朝は中庵御申被仕候事、
臨ム |
| (中津郡)
乃美景嘉知行百姓 |一、乃美主水百姓出入、此中道家左近右衛門・富田十太夫御奉行にて被承候、花熊之四郎左衛門籠者
ノ出入 入牢 | 被申付候、此中せんさく被仕候へとも、埒明不申ニ付而、又籠ゟ出申由、富田十太夫被申候事、
忠利終日能稽古 |一、今日は御能御稽古、終日被遊候事、
台所番 |一、中野久右衛門・阿部與兵衛、今日ゟ御台所之御番ニ入申候事、
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| 廿九日
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演能 |一、今日ハ御能御座候事、
敷松葉ノ用 |一、御路次ニ敷申松葉、大分入申ニ付、先度御路次ノ松の葉御おろさせ被成候を、御薪奉行ニ渡させ
乾燥 | 置申候を、よく仕おかれ候へ、干候てゟ、御路次ニ渡可申由、申渡候事、
大坂詰小早下着 |一、大坂詰小早之御船頭田中作兵衛下着申候、御普請奉行衆ゟ之言上、又公儀御普請御奉行衆ゟ之
大坂城普請奉行幷 | 御返書持下申候、式ア殿へ当り申ニ付而、則式ア殿へ持せ遣候事、
公儀大坂城普請奉 |
行ヨリノ音信 |
| (一通)
|一、稲葉民ア様へ 御書箱壱つ、明日持せ可遣旨にて、出申候事、
| (久盛)
|一、中川内膳様へ右同前之事、
| (宰相、烏丸光賢)
烏丸光賢夫妻来訪 |一、中津中路宗悦ゟ被申越候ハ、今度 相宰様・御万様御下向被成ニ付、御供衆以上五十人之通御
供侍等五十人ノ書 | 書付下り申候、左様ニ候ヘハ、宗悦ゟ、今度大坂御普請ニ被上せ候人数四拾六人にて候付、何共
付 無人ニ付役 | 手前ニ人無之、礑行当申候間、御役引被下候様ニ、申上くれ候へと被申越候、下にて相済候ヘハ、
引ヲ願フ | 無申事候、左も無之候ハヽ、此状を上ヶ候とて、言上被相調、被差越候事
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| 晦日
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|一、夜前中路宗悦ゟ参候状之返事相調、式ア殿ゟ一つニ被成、可被遣由候間、式ア殿へ持せ進之候
| 事、
|一、稲葉民ア様・中川内膳様へ之 御書箱、御飛脚両人宛申付、遣候事、
| 朝ノ
|一、石寺加兵衛只今出津之由にて、五つ時分ニ登城被仕候事、
忠利東花畠ニ遊ブ |一、今日は江戸へ之 御書とも被成御調、八つ過ゟひかしの御花畑へ被成御座候、夜更候迄被成御慰
| 候事、
初雷 |一、今日初神なり仕候事、
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