津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■熊本史談会6月例会、開催決定

2020-06-04 19:42:09 | 熊本史談会

 熊本史談会はいつも熊本市民会館を会場としているが、四月は熊本市の要請により取りやめ、五月は13日まで使用不可、16日の開催予定だったので大いに迷ったが、これも取りやめの決定をして二ヶ月続きの流会となった。
六月は何とか開催したいと思っていたがようやく開催の運びとなった。
予定していた20人収容の会議室を急きょ40人収容の会議室に変更、「密」を避けるための措置だが幸いにも部屋に空室があって幸いだった。
お願いしている講師にも随分御迷惑をかけたが、立派なレジュメも用意していただきその原稿も手元に届いた。
これから地元紙・熊本日日新聞の「文化短信」に掲載をお願いしなければならないし、レジュメの印刷や会員への案内状の準備など忙しくなる。
しかしコロナ暇のなか、久しぶりの忙しさもまた良いものだ。

       演目:「肥後国主佐々成政が遺したもの~越中の覇者・肥後の失政~」
       講師: 佐々成政研究会会員 佐々瑞雄氏   佐々成政(佐々干城系)子孫
       場所: 熊本市民会館:第6会議室
       日時: 令和2年6月20日 午前9:50~11:50

佐々成政の神髄をお聞きすることを楽しみにしている。一般の方のご参加も大いに歓迎する(資料代300円)

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■翁草著者・神沢杜口と入江氏

2020-06-04 11:37:55 | 徒然

 私のブログをご覧にならない方でも、桐野作人氏の最新の著「明智光秀と斎藤利三・本能寺の変の鍵を握る二人の武将」をお読みになった方々は、光秀の田中城籠城に関しての田中城主・比良内蔵助一族の略系図が紹介されていることにお気づきの方は多かろう。
その出典の正確さを証明するためのお手伝いをした。
    
この系図で雲仙庵と呼ばれる人物は、細川藩三卿家老の二番家老米田家の二代・是政の奥方である。
近年全国的に是政の父・米田貞能(求政)が著した「針薬法」が話題になっている。
この中に薬の処方について明智光秀から伝授されたとの記述があり、光秀の闇の中にある前半生の一分に光が当たってきた。そして先の系図が結び付き、あたらな展開が桐野氏著作で紹介されている。
米田氏の三・四代にわたる方々のお墓は、近江坂本の西教寺に存在する。光秀室妻木氏の菩提寺である。
米田家の史料によると、「雲仙庵は光秀姪」と紹介されているが、是政は「某か妻(雲仙庵)も光秀内室の姪に候」と言っている。
これは光秀の本能寺の変の直後、事件の重大さに驚愕する忠興に対しての是政の発言である。
雲仙庵の母が光秀室の姉妹と考えるのが自然であろう。

そして雲仙庵の妹「しも」は、忠興の正室・明智玉(ガラシャ夫人)の最後を記した「霜女覚書」を書き残した人物である。妻木氏を通じて身近な間柄であったのだろう。
二重にも三重にもこの系図の関係者と明智氏の関係が見え隠れしている。

 過日、「翁草」の著者・神沢杜口を研究されている方から、肥後入江氏についてお問い合わせをいただいた。
神沢杜口は入江家から神沢家に養子となった人物であり、肥後入江家「淡路・兵衛尉」兄弟の叔父の家系の人である。
神沢は当時「光秀縁戚」は禁句で有ったろう時代に、自らが「兵衛尉」を通じて明智との関りを承知したうえで、著作にもいろいろ触れているのではないかとのお説である。
関係する文章を見出すには「翁草」の内容は膨大である。新発見もお有りの様で研究に励まれたうえ、詳細をご披露戴きたいものだと考える。

 「麒麟がくる」の脚本は、前半生がよく判らない光秀を自由に動かし、時代もテンポよく展開して好感をもってみている。
三渕藤英・細川藤孝兄弟が重要な役どころとして度々出てくるところなど、非常に興味深い。
何だか熊本に関するこのような史料が、脚本の芯の部分にあるように思える。

                 

コメント (3)
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■細川小倉藩(252)寛永五年・日帳(二月十四~十六日) 

2020-06-04 06:38:53 | 細川小倉藩

                      (寛永五年正二月)十四~十六日 

         |
         |    十四日
         |                             
鼓打仁保伝三郎  |一、中津ゟ鼓打仁保伝三郎・狂言師幸六左衛門、昨夜ニ入、爰元〇仕由ニ而、登城被仕候事、
狂言師幸六左衛門 |
         |            (元明)      
         |一、右両人賄可被仕由、住江甚兵衛所へ申遣候事、
         |  御扈従与也 二百六十石
         |一、伊藤義太夫 三斎様へ御使者ニ被進之、昨夜半時分ニ罷帰由ニて、登城被仕候事、
ふきぬきノ金子  |一、ふきぬきの金子百■拾三匁五分平田包、田内清太夫・岡成助太夫、両人ふかせ候へ共、当分不入
平田包      |    (市兵衛)(長左衛門)
銀奉行へ渡ス   |  ニ付、徳永・野村へ渡置候事、
         |                         (横山重嘉)
         |一、大坂・京へ之状とも、横山清十郎ニ渡申候、左候て、助進方へ可被相渡通、申渡候事、
         |   (岩石、田川郡)            ヤマモモ            掃除奉行
楊梅ノ継穂五百本 |一、かんしやくゟ、楊梅之つきほ五百本参候を、上林甚介ニ渡申候事、
         |

         |
         |    十五日
         |
演能       |一、御能御座候事、
三斎鷹師等ニ金品 |一、渡辺三十郎ニ、 三斎様ゟ御小袖壱・銀子壱枚被下由、惣ノ御鷹師衆ニハ、鳥目百疋宛被下由、
ヲ与ウ      |  三十郎被申候事、
         |  御扈従与也・三百石
久留島通春ヨリ使 |一、熊谷忠右衛門、久留嶋殿へ御使者ニ被遣候処、鉄炮壱丁被下候由、被申候事、
者ニ鉄炮賜与サル |
         |   (国東郡)
隼ノ巣見分    |一、姫嶋へ隼ノす見せ候へ共、すかけ不申由申来候、使ハ井門亀右衛門与松尾清太夫也、
吹気屋      |一、ふけいや新左衛門ニ、御小袖弐つ被遣候、
         |   (鞆、備後沼隈郡)
         |一、ともノ與兵衛ニも、同弐つ被遣候、
         |   (舞阪、遠江敷智郡)
舞阪ノ宿主父子ニ |一、前坂ノ御宿九左衛門ニ、御銀弐枚被遣候、
銀ヲ遣ス     |
         |
         |一、同人子九兵衛ニも、御銀弐枚被遣候、
能楽師へ小袖   |一、仁保伝三郎・狂言師六右衛門両人ニ、御小袖弐つ宛被遣候事、
         |

         |
         |    十六日
         |
忠利東馬場ニ責馬 |一、今朝ひかしの馬場にて、御馬御せめ被成候ニ被成御座候、さ候て、ひかしのため池にて、あミ御
東ノ溜池ニ網猟ス |  ひかせ被成候事、          
         |  (兼治)         (興昌)
諸方ヨリノ使者等 |一、吉田様之御使者・細川玄蕃様ゟ之御使者・前坂之御やと・ふけいや新左衛門、今日被成御上せ候
帰途ニツク    |  事、
         |  (惟英)                                       (瀬崎)
         |一、竹原清太夫・瀬崎被乗上候御舟之御船頭中村喜兵衛、今日罷下候、猪右衛門ニ付上せ申御小人久
         |           (木下延俊)
         |  七・九介も罷下候、右衛門様ゟノ御返書持下候事、
祇園ノ神主ヨリ演 |一、井関久馬助与岡原伝三郎ニ、祇園之神主ゟ、御能ニ付而かり申ゑほし二つ・すいかん二つ持せ遣
能ニ借用ノ烏帽子 |  候事、
水干ヲ返ス    |
         |  (俵山、長門大津郡)
俵山ヘノ汲湯ニ湯 |一、田原山ゟくミよせ申たる湯無之由、治ア被申ニ付而、又御鉄炮衆申付、汲ニ遣候、田原山湯別当
別当ヘノ礼物   |                (毛利秀元)
         |  所へ為礼物、樽弐つ持せ遣申候、宰相殿御内三好藤右衛門所迄、冣前申遣、藤右衛門ゟ田原山
         |  へ被申入、くミ取よせ候へ共、左様ニ候ヘハ、湯ニ念入不申由、使ニ参候御鉄炮衆申ニ付、右之
         |  為礼物、くミニ遣申候事、
         |   (正慶)
加々山正慶加増都 |一、加々山権左衛門ニ、御加増二百石被下、都合五百石ニ成被下旨、被 仰出通被申候事、
合五百石     |
         |               (直時)         四百石・御右筆頭組脇
         |一、木下右衛門様ゟ之御返書、嶋田越前様ゟ之御返書、飯田才兵衛ニ渡、上せ申候事、
         |  馬廻組・百五十石/天草島原の乱一番乗り・千五百石
益田弥一右衛門三 |一、益田弥一右衛門被申候ハ、 三斎様御意之旨、永良宗茂奉にて書状被差越候ハ、私謡のこへを
斎ヨリ謡ノ伝習ヲ |  宗茂ニ可承旨 御意候、急度可承旨候ニ付、私知行所へ被申越由候処ニ、爰元御能ニ付而罷出候
命ゼラル     |        
         |  通、知行所ゟ返事申候ニ付、其段被申上候間、此地仕舞次第可罷越通、書状被越候ニて可有御座
         |  候哉と、被申候間、其段被得 御諚、被罷越可然通、申渡候事、
台所人灘船ニ鉄火 |一、瀬上瀬兵衛被申候ハ、今度出来仕御なた舟ニ、かな火どこ入申候間、二つ被 仰付候へ、今度御
床ヲ要ス     |  下之刻も、御めし舟之かなひとこ、御めしかへニ御乗被成候時ハ、その御ひとこをあれこれへの
         |  せ申を被成御覧、見くるしく被 思召候間、仕せ候へと 御意之由、被申候事、
         |一、加来二郎兵衛頓ニ相煩、不罷出候事、
         |

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