津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■土曜の散歩

2020-06-13 11:59:35 | 徒然

 土曜の散歩はドリス・デイの「Tea For Two」を聞き「サワコの朝」を見ながら食事をして、一息ついて出発である。
やや雲行きが怪しいが、折り畳みの傘をもって、いつもの A コースを廻る。
Tea For Twoを口ずさみながら歩いていると、途中で案の定小雨が降り出した。Singing In The Rain がお似合いだなと思ったりする。
こんな天気では散歩をするような酔狂な人はいない。口笛を吹きながらの散歩となった。

 病院のDrのご託宣でたんぱく質類を半分にしているが、朝はほとんどベジタリアン状態である。
「お肉も食べないと体力が落ちるよ」とは奥方の言だが、これも量を減らしていただいている。おかげで体重が落ち始めた。
ついでに腹囲も落ちてくれるとありがたいのだが・・

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■御恵贈御礼「恕斎日録・文久三年」釈文

2020-06-13 07:26:13 | 書籍・読書

               

 中村恕斎のご子孫、肥後金春流の中村勝様から、文久二年の「除斎日録」の釈文・全321頁のコピーを御恵贈いただいた。
誠に有難く感謝申し上げる。恕斎日録は12巻に及ぶものであるが、第一・二巻は既に刊行されている。
その内容は精緻を極め、研究者の間でもその恩恵を蒙り、種々論考などで引用されていることは周知のとおりである。
有志の方々が活動をされ、完全なものとは言えないが、部分的には解読がなされている。
二巻以降の発刊が待たれるところだが、個人の負担ではなしうるものではない。
郷土の財産として、公的・私的の援助を受けて発刊につながるような知恵を出さなければならない。

当方としては、何とかこのブログで全ページをタイピングしてご紹介しようと考えている。
一日2頁で半年ほどの作業であろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■細川小倉藩(261)寛永五年・日帳(三月五日)

2020-06-13 06:51:00 | 細川小倉藩

                      (寛永五年正三月)五日 

         |
         |    五日
         |
         |                   (成政)
忠利薮正成邸ニ臨 |一、今朝は薮図書所へ被成御成候事、
ム        |
         | (細川立允)当時14歳東方立允と改名、還俗は2年後・立孝          (成政)    
坊丸ノ還俗カ改名 |一、御坊様御元俗之御名替か、又御出家之御名替か、様子坂崎清左衛門ゟ、中津へ次飛脚ニてカ申遣
         |      (環)
カヲ三斎ニ伺ハシ |  
ム        |  旨、清左衛門奉ニて書状相調、次飛脚ニて遣被申候事、
         |        能の演目      (長元)
鵺ノ太刀請取様ノ |一、右次飛脚ニ、之御能太刀請取様、小笠原備前殿へ被成御尋、其御請下候を、此中本書中津へ、
書付写ヲ三斎へ上 |  (村上景則)                           (長舟)
グ        |  長岡河内殿ものニ渡遣候へ共、未中津着不仕由、重て十右衛門所ゟ被申越ニ付、右本書ノ写仕置
         |  候を、又写遣候事、
         |                         (立成)
坊丸改名祝儀ノ使 |一、中津へ、明日御坊様御名誉為御祝儀、御使者ニ道家左近右衛門被遣候ニ、御鉄炮衆井門亀右衛門
者        |                (与脱)      (宰)
         |  与柳田八郎右衛門・明石源左衛門樋田新吉弐人、御進物さい料ニ遣候、
         |      
改名ノ祝儀進物ノ |      御進物之覚
覚        |  一、かつほ 三十連  一、あわひ 百はい  一、たい 八つ
         |  一、するめ 三十連  一、こんふ 六十は  此持夫五十一人也 内五人ハ御なかへ(長柄) 
         |  一、塩たい 六十枚  一、はも  二百本            十八人ハ御小人
         |             一、樽   十六             廿八人ハ御郡夫
         |               又すし小桶壱つ、一人ニ持被遣候、
         |
江戸御印帳ノ算用 |一、江戸ニ而之 御印帳之御算用、石寺加兵衛・小林半三郎両人ニ申付候事、
危篤ノ母見舞ノ願 |一、唐沢長介母中津ニ被居候、母以之外相煩申由申来候間、たゝ今ゟ夜通ニも参度候間、四五日ノ御
         |        (生源寺)
         |  暇之儀、与頭市兵衛以被申候間付、遣可被申由、返事申候事、
         |               〃
         |一、長舟十右衛門方ゟ、二月廿九日之日付ニて奉書、長岡河内守内小田弥七郎と申もの、晦日ニ持来
         |  候、今月朔日之日付ニ而、 御意之旨返事相調、右之使ニ渡遣候処、舟ニ而罷戻ニ付、中津着不
         |  申候を由、両度十右所ゟ無心元通被申越候、右之様子ニ付、延引申たるかと返事申候、さりなか
         |    〃
三斎ヘノ鵺ノ太刀 |  ら、鵺之御能ニ付、太刀ノうけ取様、本書は右之文箱ニ入遣候ゆへ、其写を仕置候を遣申由、申
ノ受取様ノ書付  |  入候、左様ニ候処、河内殿ゟ被申越候ハ、主之ものニ、十右ゟ之御用之御状事つかり、其元参候
風悪ク使ノ乗船中 |   
津ニ着カズ    |  其返事を取、舟ニて戻申ゆへ、日和悪候而、遅中津着申候ニ付、使者を下関へ遣候間、右之御状
継飛脚ニテ進上ス |  持参候ハヽ、可請取由被申越候、則今日参候をうけ取、次飛脚ニて、中津へ進上申候事、
         |  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする