残念ながら熊本では西空は雲に覆われ日蝕は見られませんでした。それでも望遠で撮影をしてみました。
中央に雲越しに15㎜ほどのぼんやり光っているのがそうですが、逆光だしさすがに欠げた部分は確認できません。
フイルターもなしでしばらく眺めていましたから、現在眼がシパ/\して、なんとも不愉快な状況です。馬鹿ですね~・・・
残念ながら熊本では西空は雲に覆われ日蝕は見られませんでした。それでも望遠で撮影をしてみました。
中央に雲越しに15㎜ほどのぼんやり光っているのがそうですが、逆光だしさすがに欠げた部分は確認できません。
フイルターもなしでしばらく眺めていましたから、現在眼がシパ/\して、なんとも不愉快な状況です。馬鹿ですね~・・・
袈裟の散歩で見つけた「ねじ花」の群れ、去年はこんなところに群生はしていなかったように思う。
自然の造形力の不思議さを感じるが、何で花が螺旋状になるのだろうか?
もう十数年前、義父から二三本植え込まれた鉢物を貰った。それまでは全く知らない植物であったが、芝が貼ってあるような処に自生するらしい。
数年枯れないように管理したつもりだったが、ある年、真夏の水のやり方がまずかったようで枯れてしまった。
今日いつものルートを少し離れた場所でこんなに群生しているのを発見、明日にでも二三本頂戴しようと考えている。
(寛永五年正三月)十九・廿日
|
| 十九日
|
数寄道具 |一、渡辺真斎・唐沢長介、此両人田川へ御すき道具見せニ被遣候事、
三斎ヨリ一万石借 |一、当年 三斎様ノへ壱万石被成御借用、御借状■■三輪権内ニ持せ、中神與兵衛中津へ参被居ニ付
米借状 | 〃
| 而、中津御奉行衆へ被相渡候へと申、右ノ御借状遣候也、
| (東大寺)(多賀社) (興相)
北ノ丸ニ数寄ヲ催 |一、今晩は北之御丸にて御すき被成候、御客人ハ正源院・たか少将・松屋九郎兵衛・牧左馬允・加々
ス | (可政)
| 山主馬也、
百姓町籠入牢 |一、上毛郡犬ヶ岩屋村之百生三郎左衛門と申科人、町籠ニ遣、入置候事、
| (規矩郡)
上ゲシ桂花忠利ノ |一、𠮷岡執兵衛・藤井宇左衛門、上城野内宮ニ、かつら花在之とて、取て参、上ヶ候ヘハ、 御意ニ
意ニ叶ウ | 入申候、則明後日ほりよせ科申旨、九郎兵衛を以被 仰出候事、
| (石原町村、規矩郡)
草花移植 |一、原久助、石原町之わきニて、草花見出由ニ而、上ヶ被申候ヘハ、 御意ニ入申候、則明後日取よ
| せ可申旨候事、
鹿狩ニ付音信物ノ |一、今度御鹿狩ニ参候御音信之御帳付、壱人ニてハめしかわり無之候間、今一人増科申由、加々山主
帳付 | 馬被申事
|
|
| 廿日
|
規矩郡奉行へ鹿百 |一、しか百抱とらせ可申由、浦上瀬兵衛被申候、則平井五郎兵衛・小崎與次兵衛ニ申渡候也、
抱ヲ獲ルヲ命ズ |
赤キ実ノナル花木 |一、湯浅角兵衛与西村久七、昨日花見ニ参候処、高月ニて、赤キミノなり候花木取来、上ヶ申候へ
忠利秋ニ移植ヲ命 | ハ、秋御庭ニ御うへさせ可被成由、熊谷九郎兵衛奉ニ而被 仰出候、則久七ニ具申渡候、惣庄や
ズ | 高月孫右衛門ニ能被預置候へと、申渡候事、
国東郡前代官ノ算 |一、後藤定林・恵良半右衛門手前御算用、高田角左衛門・下村五兵衛被聞候ニ、筆入申由被申越ニ付
用ニ筆ノ用 | 而、古筆を三対相渡候事、
|
安国寺村頭百姓後 | 後藤定林老妻子預申事
藤定院林妻子預状 | 一人ハ女 定林女房
写 | 男女合七九人うち、一人男子 正気 女房有、女子弐人、内一人ハ五つ、一人ハ弐つ、
| 〃 一人ハ男子 長八 九つ、
| 一人女子 しよろ 六つ、
| 一人男子 長吉 三つ、 (下毛郡)
| 一人女子 かめ 廿一、是ハ糸原村十三郎女房、
| 一人女子 高田清兵衛よめ、則清兵衛預状、別帋在之、
| (豊後国東郡)
| 安国寺村頭百生
預り人 | 寛永五三月十八日 忠右衛門
| 又右衛門
国東郡小庄屋判 | 小原太郎右衛門判 預り人 甚右衛門
| 與兵衛
| (蒲田次左衛門)
国東郡奉行宛 | 右之本書、蒲次左被取置候、
|
惣庄屋高田太郎右 | 恵良半右衛門妻子預状
恵良半左衛門妻子 | 合四人内 壱人女房 廿七
預状写 | 一人女子 ミや 十五、先腹、
| 一人息子 牛右衛門、十一 同、
| 一人女子 たね 三つ、今腹、
預人ナキ故番ヲ付 | 右ハ預人無之二付、番を堅申付置候、若走候ハヽ、私可存との、御惣庄や高田右衛門判形
ク | 在之也、
| 寛五三月十八日 高田太郎右衛門
| (半右衛門)
国東郡奉行宛 | 小林
| 蒲田
| 此本書、蒲次左被取置候、
| (皆川)
|一、御横目玄佐女房、今日治ア方へ、古庄次左衛門被申候事、
多賀社使僧へ給与 |一、多嘉之使僧少将ニ、御小袖弐つ、又御初尾銀弐枚被遣候事、